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2018年10月 3日 (水)

2018年10月のことば

台風に見舞われた夏でした。台風24号は凄かったです。3日間掃除しても、まだ終わりませんcoldsweats02
境内の芙蓉が折れてしまいました。秋のお彼岸にちょうど花を咲かせて、お寺参りの皆さんに美しい姿を見せていたのに残念です。けれど、折れた部分を切っていたら、太い幹(折れた部分)に包まれるように若い幹が育っていました。共に曲がっていたのに、若い幹はしなっていて無事だったようです。もしかしたら、残された若い幹が育って、数年後に花を咲かせてくれるかもしれません。お楽しみに。

 sun cloud rain snow thunder typhoon

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うれしいときだけが〝きみ〟ではありませんよ。
     日野原重明

暑い夏でした
あれだけ暑かった夏が過ぎ、秋の気配が漂います。いつの間にかセミの鳴き声も消えました。着る物に悩みますね。アイスコーヒーよりもホットコーヒーが欲しくなりました。日の暮れる時間が早くりました。夏の夕暮れと違って、なぜ秋の夕暮れは淋しいんだろう? 窓の外では鈴虫が鳴いています。
暑さに文句を言っていた私は、じきに寒さに文句を言い始めることでしょう。夏は暑くて冬は寒い。この当たり前の現実を受け入れるということが、なかなか難しいものです。

蜆蝶(しじみちょう) 我の心の 中で舞え
この夏に出会った番組です。
Eテレ ETV特集(9月1日放送)
「蜆蝶 我の心の 中で舞え ~少年俳人・小林凜~」

番組の内容
「いじめが原因で不登校を続けていた少年俳人・小林凜。医師・日野原重明との対話を通じ、成長していった中学から高校までの3年間の軌跡を見つめ、生きるとは何か考える。
若者の自殺が多いこの時期に、いじめと不登校を経験した少年俳人・小林凜の言葉に耳を傾ける。小学校入学と同時にいじめにあい不登校となった小林凜にとって、俳句は辛い時期を乗り越える唯一の手段だったという。俳句を通じて出会った亡き医師・日野原重明との俳句文通もまた、彼の心を支えた。番組では小林凜が不登校だった中学2年生から高校へ進学するまでの3年間に密着。俳句という表現の持つ力について考える。」
(NHK ETV特集ホームページより)

年齢差90歳の親友
小林凜さんは2001年5月、予定より3ヵ月早く、944グラムで生まれました。
未熟児で生まれ、予断を許さない状況でしたが、危うい時期を乗り越え、成長します。しかし、小学校に入学すると、体が小さく、体力も弱い凛さんはいじめにあい、不登校になります。中学校でもいじめは続きました。
5歳の頃から俳句を詠まれていた凜さんが、不登校のときに詠んだ俳句です。

いじめられ 行きたし行けぬ 春の雨

ランドセル俳人として知られていた凜さんは、聖路加病院の日野原重明先生と出会い、俳句を通して親交を深められました。年の差は90歳。日野原先生は、凜さんの影響を受けて俳句を詠み始められました。
文通を重ねるなか、凜さんが学校でいじめを受けていることを受け、日野原先生は手紙に書かれます。

 凜君
 忘れないでいて欲しいことがあります。
 うれしいときだけが “きみ” では
 ありませんよ。
 どんなときの自分も大事にすること。
 生まれてきたことは、
 それだけで素晴らしいことです。

 君たちの 使える時間 それがいのち

ことばのキャッチボール
日野原先生のメッセージ「うれしいときだけが “きみ” ではありませんよ」。うれしいときはもちろんだけど、かなしいときも、つらいときも、いろいろなときもすべてひっくるめて あなた自身ですよ、と聞こえてきます。
大人は、「子どもには分からないから、難しいから」「子どもにはまだ早いから」などと、まるで自分は分かっているかのように小さい人を見下します。けれど、小さい人は小さい人なりに一生懸命考えて生きています。日野原先生は、90歳年下の凜さんに、自分の生きてきたすべてを投げかけます。凜さんは、90歳年上の日野原先生のいのちの声を受け止めます。俳句や文通を通して、ことばのキャッチボールをしてきたふたりの信頼と尊重し合う姿が伝わってきます。

この当たり前の現実を
つらい思いをしている人に、どのような言葉をかけられるでしょう?
「今はつらくても、ここを乗り越えればいいことがあるよ」というような励ましの言葉もありますが、難しいですね。そんな励ましの言葉に、「やまない雨はないからね」「明けない夜はないよ」「冬を越えれば春の訪れがあるよ」などがあります。
私自身、20代の頃は、そんな言葉に励まされもしました。「そうだなぁ。 いつまでも雨が降り続くわけはないし、今はつらくても、いつか雨がやむときがくる!」と思えました。
年を重ね、「それはちょっと違うなぁ」と考えるようになりました。雨が上がって陽光が射しても、またいつか雨は降ります。夜が明けて明るくなっても、夜はまた訪れます。冬の寒さに耐えて暖かい春を迎えても、夏が来て、秋が来て、そしてまた冬を迎えます。
雨の降るときも、闇夜の晩も、寒さに凍えそうな冬も、それらもひっくるめて“わたし”です。日野原先生流に言うならば、「晴れているときだけが“きみ”ではありませんよ」でしょうか。
思うに、「やまない雨はないからね」と言う場合、雨を起点にしています。けれど、晴れの日があったからこそ雨の日を迎えているのかもしれません。
人は、出会いの縁を重ねて生きています。けれど、出会いには別れが付きものです。あなたとの出会いという人生最大のうれしいときをもらいました。けれど、それゆえに別れの淋しさに怯え、別れのつらさに涙せねばなりません。それも含めての“わたし”です。雨の背景には必ず晴れの日があります。その晴れの日を知ることができるのは、雨の日があるからです。
この当たり前の現実を受け入れるということが、なかなか難しいものです。

 cafe cafe cafe

掲示板の人形
クマの人形 9月末に京都での仕事があり(日帰り・・・残念!!)、帰りに新幹線の待合所のお土産屋さんで買ってきました。
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