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2018年7月 9日 (月)

反省(懺悔)と感謝(讃嘆)を合わせ持っている人を「人間」といいます

2018年7月6日(金) オウム真理教元代表 麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の死刑が執行されたのを皮切りに6人の元幹部の死刑が執行される。

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昨晩(7月5日)、ご門徒のお通夜に車で20分で着いた斎場に、今日のお葬儀には1時間近くかかってたどり着いた。
渋滞に巻き込まれて少し焦り始めた頃、「麻原死刑囚の死刑執行」のニュースが入る。驚きと共に、胸騒ぎがした。
車を走らせること数分・・・
松本死刑囚の死刑が執行され、続いて井上嘉浩 早川紀代秀 中川智正 新実智光 遠藤誠一 土谷正実の死刑が執行されたとのニュース。

大学の先輩が、『「生きて罪を償う」井上嘉浩さんを死刑から守る会』に携われている。今年に入り、死刑が執行されるのではないかという気配が漂い初め、機関誌『悲』の発行作業を進められていました。
私は、死刑制度は公の殺人であると考え、ブログにも書いていました。また、“私”の持つ罪業性についても常々語っています。そんな私に先輩は声をかけてくださり、『悲』に原稿を書くご縁をいただきました。
私の原稿を含め、寄せられた原稿に目を通された井上嘉浩さんは、先輩宛に手紙を書かれました。(死刑囚は手紙を書くにも制限があります。)
その手紙の中に、原稿を寄せた人 一人ひとりの名前を書いて、「感謝しています」と書かれていました。その手紙を、先輩から写メで読ませていただきました。私の名前もありました。

「感謝しています」
井上さんと私との間の、最初で最後のやりとりです。

手紙に書かれた言葉ですが、まるで聞いた言葉であるかのように脳裏で繰り返されます。

感謝しています・・・感謝しています・・・感謝しています・・・

井上さんは、「感謝しています」と言い遺して、逝ってしまった・・・

私は、井上嘉浩さんを、殺してしまった。

「感謝しています」という気持ちを持っている人を、殺してしまった。

気がついたら、渋滞に呑み込まれた車の中で、嗚咽号泣していました。

次から次へと、死刑執行のニュースが入ってくる。

日本は、開けることがあっては絶対にいけない扉を開けてしまいました

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法を犯した人は相当の罰を受けて当然だと考える人は多いでしょう。
明白な考え方です。それを否定はしません。
けれど、
麻原彰晃死刑囚と6人の元幹部の死刑が、同じ日に続けて執行された。その準備は数日前から進められ、
死刑執行の前日には、同じ席で総理大臣と法務大臣がお酒を酌み交わしていた。
翌日の死刑執行の話題が出ないはずはない。
平成のうちに平成の事件のけりを付けたかったのではないか・・・などとまことしやかに噂されているが、それならば他の死刑囚にも、執行の足音は近づいていることになる。

権力者が、自分たちに都合の良いように法律を解釈し、制定し、
友人は厚遇して友人でない者は冷遇し、
街中には当たり前のように“防犯”カメラが設置され、
パソコンやスマホで見たもの買ったものがチェックされ、個人の思考・嗜好が把握されている世の中。
いつ誰がどのような理由で捕まるか分からない世の中になっています。
悪い考えをした奴が悪いんだ!と、権力者は高笑いしながらお酒を酌み交わすのでしょう。

情報が流れていたのか、流していたのか、
マスコミは、死刑の執行が分かっていたかのように報道を始めた。
執行された死刑囚の顔写真に「執行」のシールを貼り、
縁ある場所が「信者から神聖視されることが考えられます」なんて報道しておきながら、荼毘に付す火葬場の前でスタンバイしている。ここで火葬しましたよ!と分かるように。
イベント化し、矛盾し、伝えることを控えるべきことを声高に報道している。
報道されている内容は、視聴者の求めているものに応じているという側面もある。ということは、それを求めている私がいるということ。
自分は罰せられる側に立つことはない、という根拠のない自信が、テレビの向こう側とこちら側に大きな溝を作っている。

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東本願寺 「死刑執行の停止、死刑廃止を求める声明」(2018年7月9日)

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https://blogs.yahoo.co.jp/nazunayh/58133053.html

7センチというたばこの長さが、残された人生の時間だと感じたという。拘置所長から手渡された両切りのピースの先が息を吸い込むたび赤く燃え、灰がポトリ、ポトリと落ちた。

 「さあ、いこか」

 受刑者を教え諭す大阪拘置所の教誨師を務めた安養寺(兵庫県尼崎市)の住職、足利さんにとって、死刑執行に立ち会う最初の瞬間だった。27歳の男性死刑囚は、強盗に入った民家で騒いだ家族を殺害、心中を図って共謀の愛人の命も奪った。

 拘置所内の1畳半の個室。教戒に看守は立ち会わず、背後で施錠する音だけがする。そして、2人きりで向かい合う。「職員が聞いているわけではないから、本当のことを言う。教誨師は黙って聞いてくれる。それは、大きな安らぎだと思います」。週に2回通うにつれ、男は語り始めた。

 父を知らない男は生後間もなく母に捨てられ、祖母を母と信じて育ったという。だが、学校で消しゴムを盗んだと疑われ、投げた石が同級生の目に当たった。その母がかまを手に押しかけてきた。「おまえの家のててなし子出せ」。男は捨て鉢になった。やがて麻薬の密売に手を染めた。

 1審で死刑判決を受け、「私が許される世界は死しかない」と控訴しなかった。「何度も話して、態度は変わっていきました」。安養寺には、今も男から贈られた手形がある。そこには、執行前の境地がつづられている。

 <この手は小さいころお母さんのお乳をつかんだ手 お母さん(祖母)の白髪を抜いてあげた手 ある時は人を殺した手 今この手は朝な夕な歎異抄を点訳した手>

 執行は3日前に通知された。最後の日のお別れ会。奥に仏壇がある講堂で、受刑者、職員の家族ら200人が集まった。男は浄土真宗の教えで人間のはかなさを諭した「白骨の御文章」を自ら拝読することを望んだ。

 <それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、おほよそはかなきものは、この世の始中終、まぼろしのごとくなる一期なり>

 「はい、はい」とうなずきながら、かみ締める蓮如の言葉。足利さんは言う。「私たちは宗教家として人の死を説きおるが、本当の世界は自分自身の中にあるんですね」

 男は居室を掃除し「布団さまもぞうきんさまもさようなら」と頭を深く下げた。廊下を黙って歩くと、窓から桜が見える。「きれいですね」。男のつぶやきに、足利さんは、良寛の作ともされる「散る桜 残る桜も 散る桜」を思い起こした。見送りに来た6人ほどの死刑囚と1人ずつ握手し、こう言い残した。「いずれかあの世でお会いしますが、あなたたちはなるべくゆっくりきてください」

 足利さんは高く厚い塀の外に戻ると、叫びたい衝動に駆られた。「みなさん、今日ひとりの命が失われたのですよ!」。人の波、車の列、いつもの町並みに吹く風に無常を感じたことだろう。

 受刑者への教戒は明治初期、岐阜監獄で始まった。仏教やキリスト教、ほとんどの宗教家がかかわった。安養寺は教戒に熱心な浄土真宗の本願寺派だったことから、少年院の教官経験もあった足利さんは66年、大阪拘置所に派遣された。万博前の日本は高度成長期に向かっていた。足利さんは、毎年5人ほど、60歳で退くまで30人以上の死刑囚とかかわった。拘置所内の仏間で読経し、浄土はあるかないかなど、説法をする。すでに亡くなった死刑囚の弔いもした。

 ただ囲碁の相手を望む男性死刑囚もいた。自分が働いていた立ち飲み屋に押し入り、経営者夫婦とその母を殺害、売上金を奪った。事件で会社を首になった父は、最後の面会に行かなかった。

 だが、母は違った。最期に着る白装束に香をたき、両襟に母子の名前を書いた。「お前ひとりで死ぬんじゃないよ」。母は仕切られた金網の下に小指を入れ、「母ちゃんの手を握れ。分かってるな、この次も母ちゃんの子に生まれて来いよ」と叫んだ。息子は「私が殺した人の子どもにもし会うことがあったら、本当に心の底からわびて13階段を上がって行ったと伝えてくれ」と母に託した。

 「母親は仕切りの向こうに入って抱いてやりたかったんでしょう。相手は国家ですから、どうにもならない。息子も今度は親孝行するとも言った。それが救いなんです」

 足利さんは拘置所の中で、見てきた。宗教教戒を受けない人、仏教書をすり切れるまで読む人、怒鳴って暴れまわる人、精神的に病んでいる人。拘置所生活が長くなると、ほかの受刑者に来た手紙や面会に嫉妬(しっと)したり、争いが絶えない。食事にフケを入れたり、嫌がらせもする。

 「犯した罪はそれはむごいですよ、本当に悪い人間もいます。自分は悪くないと言い続ける人間もいれば、本当にすまないと思う人間もいる。兄への復讐(ふくしゅう)心から5人を殺害し、線香一本手向けない人もいたと聞きました。でも、最期は自分を救ってくれる阿弥陀さんにお礼をしたいと南無阿弥陀仏と10回唱えたそうです。随分教えられましたよ、死ばかり見つめとる人たちですから。我々以上に宗教的情操を深めた人もいる」

 事件の真偽にかかわることのない足利さんにただ無実を語り、のちに実際、逆転無罪となった人もいた。25年間には、自らが処刑台に立つ悪夢にうなされ、叫びながら目を覚ましたこともある。「助けてくれ」と。

 教誨師--。受刑者にとっての教えは更生の機会となるが、死刑囚には意味を成さない。「仏の慈悲を伝えるってことです、死刑囚はもう改心させる時期ではないから。ああ、それは、つらいですよ。おれは死ぬしか許されないんだ、そういう心境にまで立ち至らせなければならない」 ―略

☆HikkenDokugoさんへ
引用元、読ませていただきました。
善か悪か、
許せるか許せないか、
死刑制度存続か廃止か、
などなど、人間関係は二元論では築けないわけで、
そんな人と人とが生きる世の中で、
教誡師さんだけでなく 僧侶・宗教者が為すべきこと(できること)は、「仏の慈悲(それぞれの宗教の救済)を伝えること」しかない。
足利さんの姿、死刑囚の方の姿から、あらためて教えていただきました。

ありがとうございます

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