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2018年6月 9日 (土)

阿弥陀さまの元で遇えるね^^

6月9日 前坊守(祖母)50回忌の命日。
家族で本堂でお勤め。娘(祖母からするとひ孫)も「正信偈」をお勤めしてくれました。
ジィジバァバ(住職 坊守)も一緒に食卓を囲み夕食。子どもたちの要望でピザhappy01
「美味しいheart04」と言いながら、小学校での出来事を楽しそうに話す娘たち。
有り難い時間をもらってるんだなぁと感じました。

祖母は、47歳で癌のため亡くなりました。
今、私は47歳。おばあちゃんは、この年で世を去ったんだなぁ。
子どもたちをおいて、この世を去る。やっぱつらいなぁ。ピザを頬張る娘たちを見ていて、感傷的になりました。おばあちゃんも、心残りいっぱいいっぱいあっただろうな。
おばあちゃんに還浄のときが近づいていたとき、長男(西蓮寺現住職)は大学を終えて寺にいました。もう二十歳を越えていたわけですが、子どもが幾つであろうと、「安心して逝ける」なんてことはないでしょうね。父もまたつらかっただろうなぁ。
病床の母の前で、父と母(住職と坊守)は簡単な式を挙げました。そういう面ではホッとしたことと思います。でも、おばあちゃんは孫を見ることも抱くこともなく亡くなりました。私はおばあちゃんに会うこと叶いませんでした。

今年の「西蓮寺永代経法要」は、前坊守の50回忌と、15世住職(現住職は18世)の100回忌も合わせてお勤めしました。前坊守のことを覚えていてくださる門徒さんもお参りくださり、思い出話を伺って、会うこと叶わなかったおばあちゃんに出遇うことができました。ご法事を通して、亡き人に出遇うんですね。

いのちあるものは、いつかいのち終えて往く。当り前のことだし、避けられないこと。でも、その当たり前のことに抗いながら生きるのが人間。

大学の後輩が語ってくれたことを思い出します。
「先輩、蟻って、水たまりの中に落っこちると、必死で泳ぐっていうかもがくじゃないですか。僕ね、あれって人間の姿だと思うんですよ。たとえ阿弥陀さんに守られていると信じたって、泰然自若としてられるのではなくて、もがくんですよ。ジタバタジタバタ。それが他力の中で自力を生きるってことだと思います。蟻を見てて思いました」

私もそう思います。
ジタバタジタバタしたなかで、「南無阿弥陀仏」とお念仏申すのです。
お念仏申しながら、ジタバタジタバタ生ききるのです。

平均寿命が80歳とか90歳といったって、その前に亡くなる人も大勢いるわけで、年を重ねるほどに自分の身体の衰えを感じ、近しい人の大病や死の話が日常になってきます。50手前にして、よりリアルに生老病死の身を生きていることを感じています。

おばあちゃんの話をできた夕食でした。おばあちゃん、乾杯winewine

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