« 心を動かされることから逃げるな!! | トップページ | 阿弥陀さまの元で遇えるね^^ »

2018年6月 1日 (金)

2018年6月のことば

2018年6月のことば

Dsc_0792
なむあみだぶつ
 人の世の悲しみは尽きないけれど
 阿弥陀の慈悲は常に私を照らす

なみだ
「涙が枯れ果てて」ということばを耳にし、こころに引っかかっています。
溢れんばかりの涙をこぼし、いつまでも止まらぬ涙に衣服を濡らす。やがて嗚咽の声も小さくなり、あんなに溢れていた涙も流れることをやめる。

涙をこぼしたのはいつだろう。
なぜあんなに泣いたのだろう。

くるしいとき  
つらいとき
くやしいとき  
いたいとき
さみしいとき  
かなしいとき

自分の想いを誰にも理解してもらえないとき
自分のしでかしたことの罪の重さに押しつぶされそうなとき
「うれし涙」ということばもあるけれど、うれしさが表出する奥底には、堪え忍んできた苦しみや、歯を食いしばるほどの努力がある。

辛苦の涙と
歓喜の涙があるわけではなくて、
涙の源は悲しみ

「涙が枯れ果てて」という表現が耳の底に残ったのは、枯れ果てた涙はもう こぼれないのかといえば、そうではないから。「もう流す涙もない」「体中の水分が抜けるくらい泣いた」と思うほど泣いた。それほど泣いたのに、またあるときふと涙がこぼれる。
涙をこぼす。「こぼす」を漢字で書くと「溢す」。「溢」は「あふれる」という意味。涙は、あふれ出ているんだ。あんなに泣いたのにまだ涙が溢れ出る。泣けるって、人間って凄いな。

涙は、枯れ果てることがない。なぜならば、起きた出来事、起こした事柄が、こころに刻み込まれているから。人の世の悲しみは、尽きることがないから。
ここまで書くと「泣けない自分は冷たい人間ですか?」という声も聞こえてきそうだけど、そうではありません。
涙を多く流したから悲しんでいて、流さないから悲しんでいないわけではなくて。涙をこらえさせる大きな堤防はなんだろう。意地・世間体・憎しみ・・・堤防の正体はいろいろだけど、こころ揺さぶられる出来事が私の身に起きていることは事実。溢れんばかりの涙を流すこともあれば、からだの中に涙をためることもある。 どちらにしても、枯れ果てることのない涙が、私の内と外とで波打っている。

あわれというも中々おろかなり
「友だちの死が悲しくて、いつまでも泣いていたら、ある人から「あなたが泣き続けていたら、亡くなった友だちが悲しむから、泣いてはいけないよ」と言われました。泣いてはいけませんか?」
と尋ねられたことがあります。
「泣いていいんですよ。どれだけ泣いたっていい。悲しいときは泣きましょう」と応えました。
本願寺8世蓮如上人(1415~1499)が書かれた「白骨の御文」に、身内の死に際し、尽きることのない悲しみが描かれています。

(原文)
すでに無常の風きたりぬれば、すなわちふたつのまなこたちまちにとじ、 ひとつのいきながくたえぬれば、紅顔むなしく変じて、桃李(とうり)のよそおいをうしないぬるときは、六親眷属(ろくしんけんぞく)あつまりてなげきかなしめども、更にその甲斐あるべからず。
さてしもあるべき事ならねばとて、野外におくりて夜半のけぶりとなしはてぬれば、ただ白骨のみぞのこれり。あわれというも中々おろかなり。

(現代語試訳)
今、無常の風が吹いたならば、二つの眼はたちまちに閉じ、呼吸は永遠に途絶えてしまいます。血の通った顔もはかなく色あせ、桃や李(すもも)のような瑞々(みずみず)しい美しさも失われてしまいます。無常の風が吹いたその時、家族や親族が集まり歎き悲しんでも、元気な姿を再び見せることはありません。
いつまでも悲しんではいられないと、火葬し、夜中、火も燃え尽きて煙が立ち昇る頃には、後にはただ白骨が残るばかりであります。悲しいというだけでは言い尽くせません。

かけがえのない人との別れは、悲しいというだけでは言い尽くせません。枯れ果てることのない涙が流れるのは、いつの世も変わりありません。

無明を照らす涙(ともしび)
涙は、感情の表出。自分でも分からなかった自分が見えてきます。自身に何事も起らなければ、誰もが自分の気持ちさえ分からずに、真っ暗な無明の闇を生きています。闇の中にいることすら気づかないままに。涙は、無明の闇を照らす、ほんの小さな明かり。一滴(ひとしずく)の涙が、今まで見えなかったものを照らし出します。無明を歩いていた私のこと。人の世の尽きせぬ悲しみ。人の世の悲しみをすべて受け止め、  救わんと願われた阿弥陀の慈悲。
人の世の悲しみと阿弥陀の慈悲。 親鸞聖人のことばが響いてきます。

無明長夜(むみょうじょうや)の灯炬(とうこ)なり
智眼(ちげん)くらしとかなしむな
生死大海(しょうじだいかい)の船筏(せんばつ)なり
罪障(ざいしょう)おもしとなげかざれ
     (「正像末和讃」)

(趣意)人の世の悲しみにこころ痛めています。けれど、出口の見えない暗闇だと立ち尽くすことはありません。阿弥陀の慈悲の船・筏(いかだ)が私を乗せて、人の世の悲しみという大海を渡らせてくださいます。

涙は、人間がつくるいちばん小さな海。
みんな海でつながっています。

 banana banana banana

掲示板の人形
かえるのピクルスhappy01happy01
Dsc_0791

« 心を動かされることから逃げるな!! | トップページ | 阿弥陀さまの元で遇えるね^^ »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 心を動かされることから逃げるな!! | トップページ | 阿弥陀さまの元で遇えるね^^ »

フォト
2018年10月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
無料ブログはココログ