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2018年2月 5日 (月)

2018年2月のことば

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この一枚の紙のなかに
雲が浮かんでいる
  ティック・ナット・ハン

他者を鬼と見るのはたやすい

鬼は外 福は内
 自分の身勝手が豆をまく

福願う 心の裏に 鬼の顔

折れてみて 初めて見えた 鬼の角
  浅田正作

私のあたまに つのがあった
つきあたって 折れて わかった
  榎本栄一

相手を鬼と見る人は
自分もまた鬼である
  曽我量深

鬼はおらん
鬼をつくる心が こっちにある
  仲野良俊

2月は節分があるためか、鬼にまつわる法語(教えのことば)をよく目にします。
「鬼は外 福は内」のかけ声は、除災招福を願ってのことでしょう。果たして、外へ追い出したい「鬼」とは何でしょう? 我が身・我が家に災いをもたらすものや、「鬼」にたとえられるような誰かさん。いずれにしても、私の周りにあるもの、周りにいる人を「鬼」と見ているのではないでしょうか。
「鬼」を他者(ひと)の中に見る人は多いけれど、自分の中に「鬼」を見る人は少ない。自分の中に「鬼」を見たのならば、「鬼は外 福は内」のかけ声と同時に、自分自身が外へ飛び出しているはずだから。
私は、他者にばかり鬼性を見ていました。けれど、その私自身が鬼でした。仏さまの教えは、私を映し出す鏡。法語に映し出された私を見て、私の頭に角が生えていることがわかりました!

教えのことばから、私の中の鬼性を知らされます。けれど、「あぁ、そんな私だったなぁ」「そんな私ではいけないなぁ」で留まってしまっては、反省で終わってしまいます。

さるべき業縁のもよおせば
親鸞聖人のことばです。「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」。そうあるべき縁に出会えば、私は、いかなるふるまいもする身である、と。
現在(いま)、「戦争反対」と叫んでいても、ひとたび戦争が起きてしまったならば、私は人を殺すかもしれません。殺さないまでも、敵国の人間を許せなくなり、意見を異にする周りの人間をののしるかもしれません。人間を認めないという意味では、実際に手を赤く染めた者も、頭の中で他者を非難した者も、罪は同じです。
人は縁によって人に出会い、ことばに出会い、出来事に出会いながら生きいくもの。教えのことばは、私の中にある鬼性を問い、反省を促しているのではなく、縁によってある私を明らかにしてくださっています。

ティック・ナット・ハン氏
ティック・ナット・ハン氏は、ヴェトナム出身の禅僧です。
「行動する仏教」「社会参加する仏教」などと訳される「エンゲイジド・ブッディズム」を主張されました。
ヴェトナム戦争の際、多くの人々が死にゆく姿を目の当たりにし、自分だけの悟りを求めて修行をすることに疑問を持ち、僧院を出ました。そして、戦争の犠牲となり、苦しむ人々を救うため、支援活動に従事します。

この一枚の紙のなかに
ティック・ナット・ハン氏のことば「この一枚の紙のなかに雲が浮かんでいる」は、縁起の道理を説いています。
一枚の紙が生まれるために、雲が必要です。雲がなければ雨は降りません。雨が降らなければ植物は育ちません。植物(森林)が育たなければ、紙はできません。それだけでなく、木を伐採する人、運ぶ人、加工する人、流通する人、販売する人も必要です。雲が生じるため、木や人を育てるためには、  海も太陽も必要です。
そのようなことを考えてゆくと、この世のあらゆるいのち・物事は、すべて 一枚の紙のなかにあります。私も、 「この一枚の紙のなかに」います。ということは、「私と無関係ないのち・物事など、なにひとつない」ということでもあります。
一枚の紙のなかに、この世のすべてがありました。

つくべき縁あればともない
私が私であるために、いのちの縁がありました。父と母の縁、そのまた父と母の縁、さらにまたその父と母の縁・・・。縦糸のいのちの歴史の中に、私はいます。
私が私であるために、つながりの縁がありました。同じ時代(とき)を生きるすべての人がいて、私の生活が、人生が成り立っています。横糸のいのちのつながりの中に、私はいます。
縦糸と横糸が織り成す人生模様。私の思いを超えたはたらきの中を、私は生きています。
けれど、「ご縁に感謝です」「ありがたいご縁をいただいて」で留まってしまっては、感謝で終わってしまいます。

親鸞聖人のことばです。「つくべき縁あればともない、はなるべき縁あれば、はなるる」。共になる縁が整えば一緒にいるし、離れるべき縁が整えば、離れることもある、と。
自分中心の出来事としてみれば、「ある人と出会い、仲良くなることもあれば、別れることもある」だけの話。 しかし、ご縁をいただいてあることを思えば、「私がある人と出会ったとき、その人と別れている誰かがいる」という道理も見えてきます。目の前のいのちを守るために、他のいのちに目が向かない、という現実があります。愛が生じるとき、同時に憎しみも生じています。
私の中の鬼性は、私の中の福性(優しさ)と共にあります。鬼にも優しさはあります。慈愛に満ちた人は、こころの中に悲しみを納めているものです。

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