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2018年2月10日 (土)

石牟礼道子さん

2018年2月10日(土) 石牟礼道子さん還浄

「毎日新聞」2018年2月10日(土)より

人間の極限的惨苦を描破した「苦海浄土(くがいじょうど)」で水俣病を告発し、豊穣(ほうじょう)な前近代に取って代わった近代社会の矛盾を問い、自然と共生する人間のあり方を小説や詩歌の主題にすえた作家の石牟礼道子(いしむれ・みちこ)さんが10日午前3時14分、パーキンソン病による急性増悪のため熊本市の介護施設で死去した。90歳。葬儀は近親者のみで営む。喪主は長男道生(みちお)さん。

公害告発の端緒
石牟礼道子さんは1927年、熊本県宮野河内村(現・天草市)に生まれた。家業は石工。生後まもなく水俣町(現・水俣市)に移り、水俣実務学校(現・水俣高)卒。代用教員を経て、58年、谷川雁らの「サークル村」に参加。詩歌中心に文学活動を始めた。

 59年には、当時まだ「奇病」と言われた水俣病患者の姿に衝撃を受け、「これを直視し、記録しなければならぬ」と決心。69年、水俣病患者の姿を伝える「苦海浄土」第1部を刊行。70年、第1回大宅壮一ノンフィクション賞に選ばれたが、辞退した。同書は日本の公害告発運動の端緒となるなど戦後を代表する名著として知られる。74年に第3部「天の魚」を出し、2004年の第2部「神々の村」で「苦海浄土」(全3部)が完結した。

 水俣病第1次訴訟を支援する「水俣病市民会議」の発足に尽力する一方で、水俣病の原因企業チッソとの直接対話を求めた故・川本輝夫さんらの自主交渉の運動を支えるなど、徹底的に患者に寄り添う姿勢とカリスマ性のあるリーダーシップから「水俣のジャンヌ・ダルク」と呼ばれる。患者らの怒りを作品で代弁して「巫女(みこ)」に例えられるなど、水俣病患者・支援者の精神的支柱となった。

 73年、「苦海浄土」などの作品で「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞を受賞。93年、「十六夜橋」で紫式部文学賞。03年、詩集「はにかみの国」で芸術選奨文部科学大臣賞。04~14年、「石牟礼道子全集・不知火」(全17巻・別巻1)が刊行された。

 03年ごろから、パーキンソン病を患い、人前に出る機会は減ったが、口述筆記などで執筆活動を継続した。句集を出版するなど書く意欲は衰えなかった。

早朝の訃報に驚いています。
2月7日(水)「読売新聞」の文化欄 読売文学賞の人びと③ にて
『評伝 石牟礼道子 渚に立つひと』で評伝・伝記賞を受賞された米本浩二さんの記事を読み、久しぶりに『苦海浄土(くがいじょうど)』を読み返そうと、本棚から本を出してきたばかりだったからです。

米本浩二さんは、3年にわたり石牟礼道子さんを取材されます。

「渚」とは、近代と前近代、生と死、見えるものと見えないものの狭間で生きる、要するに「世の中とそりが合わない」作家の立ち位置を例えたものだ。
「彼女自身は当たり前に世の中を生きたいんですよ。でもそうできなかった。『苦海浄土』は彼女が自分と同じ孤独を患者さんの中に見いだして、彼女自身が救済されるために書いたものだと思います」
(「読売新聞」記事より)

米本さんが受賞の知らせを自分の石牟礼道子さんに報告すると、まるで自分のことのように喜んでくださったとのこと。
米本さんは、受賞そのものよりも、石牟礼道子さんが喜んでくださったこと、そのことが嬉しい。書いてよかったと述懐されています。取材後も熊本に通い続けられた米本さん。「青少年向けの石牟礼道子伝に挑戦したい」と生涯の仕事に出会われたと、記事は結ばれています。

石牟礼道子さんが為されたお仕事。その姿に感動、共感し、石牟礼道子さんの姿を通して、若い世代に伝えるべきことを伝えなければと、筆をとられた米本浩二さん。

想いや教えやことばは、人を通して伝わっていくものです。そこに体温が生まれます。
『苦海浄土』を読み返させていただきます。

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