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2018年1月28日 (日)

「氏」というのは、良くも悪くも人心を縛る

「東京新聞」 2018年1月27日(土)朝刊
コラム「本音のコラム」より


夫婦別姓で絆を 師岡カリーマ(文筆家)

 概して保守的で父権主義が根強いにもかかわらず、私が育ったエジプトをはじめ、イスラム社会では通常、女性の性は結婚後も変わらない。生みの親は生涯不変だが、配偶者は替わり得る。結婚は個人と個人との契約だ。うまくいかなけらば解消できる。だから個人を識別する根拠となるのはその人が「誰の子か」であって「誰の配偶者か」ではあり得ないのだ。
 夫婦別姓の国々では家族の絆が弱いとか、子が情緒不安定だといった話は聞かない。むしろエジプトの夫婦げんかは、しばしば双方の実家を巻き込み、壮大に盛り上がって、切りのいいところで雨降って地固まる。離婚率は日本とほぼ同じだ。
 夫婦同姓を強要する法律にメリットがあるとは思えない。夫婦別姓が解禁された場合、離婚率の上昇は確かにあり得るだろう。いちいち姓が変わらなければ、体裁に縛られることなく、離婚や再婚がしやすくなる。でも、それって悪いこと?
 今まで我慢を強いられてきた男女の選択肢が増えるのは、むしろ健全なことではないか。強制的な同姓制度で無理やりつなぎ留められた家族が幸福だとも思えない。
 そういえば、スペインやポルトガルも夫婦別姓で、子は父母の姓を併記する。仮に離婚しても、子は姓によって両親とつながり続けるわけだ。家族の絆を優先するなら、いっそそれを検討してはどうだろう。

〈雑感〉
妻は、私と結婚してくれました。それだけでも有り難く嬉しいことなのに、同じ「白山」の姓まで名乗ってくれました。個人的に、とても嬉しく想っています。
日本に生まれ育ったためか、結婚したら(入籍したら)夫婦同姓になることは当たり前のことと、疑問に思ったこともありませんでした。夫婦同性・別姓の問題が取り上げられるようになってからも、「結婚したら同じ姓を名乗ってほしいな」と考えていました。
しかし、「夫婦同姓」を主張している方々の声(「明治の民法制定以来、日本に定着している制度を変える必要はない」「姓が別だと、家族の一体感が保てない」「姓が別だと、家族間の絆が薄れる」「「姓が別だと、子どもの情緒が不安定になる」など)を聞けば聞くほど、「夫婦同姓にこだわる意味あるの? 同姓か別姓か選べるようにすることが何故ダメなの?」と、疑問ばかり浮かんできます。
こういうときに「一体感」や「絆」などという言葉を出すけれど、日本の家族の仲がいいとして、それは夫婦(家族)同姓だからなの? と思ってしまいます。 「絆」云々言うのであれば、師岡さんがおっしゃるように、「スペインやポルトガルも夫婦別姓で、子は父母の姓を併記する。仮に離婚しても、子は姓によって両親とつながり続けるわけだ。家族の絆を優先するなら、いっそそれを検討してはどうだろう。」ということの方がよほど説得力があります。昨朝は、ここの文章で目がパチッと覚めました。
それに、夫婦同姓を頑なに主張する方には、結婚して姓をあらためる労力。離婚の際に、そのままの姓で生きるか、元の姓に戻すかを悩み考え、その手続きをするエネルギーのことなど、想像もされないことと思います。一言で「離婚」といっても、仲が冷めたから、絆が失せたからするばかりではありません。経済的事情から、離婚の形を選ばなければならないご夫婦を何組か見てきました。お互いのことを想い続けているのですよ。そういう意味では、離婚してもなお深い絆で結ばれています。
紙一枚、名字が同じか別かでその強弱が変るような関係ではないでしょう。人間って。

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