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2018年1月14日 (日)

今年 2018年は戌年(いぬどし)ですね。
「戌」という漢字の部首は「戈」(ほこづくり)です。

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「戈」という漢字は見慣れませんが、『仏説無量寿経』の中に「兵戈無用(ひょうがむよう)」ということばが出て来ます。「仏教広まるところには、兵も戈(武器)も無用である」という意味です。
しかし、兵や戈の数や充実を競い、争いが起ころうとしている、否、現に争いが起きています。
ということは仏法は広まってないということか? という自問自答も生まれます。

昨日、
「仏法は説よりも聞にはじまる」(曽我量深)
「人間を尊重するということは相手の話を最後まで静かに聞くことである」(安田理深)
ということばを紹介(投稿)しました。
「聞」の欠落は、人間不信へと通じると教えられています。
「戈」で脅し合いをするのではなく、聞き合うことが求められています。
仏法が広まっていないのではなくて、聞く耳を持たない“わたし”が浮き彫りになっています。

「戌」には「滅」の意味も含まれるそうなのですが、「戌」という漢字の中に「戈」があるからといって、武器でもって人と人とが いのちを奪い合い 消し合いする世の中になりませんように。相手を傷つけることは、やがて自身の滅亡へとつながります。

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