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2017年12月 5日 (火)

地獄は一定すみかぞかし

過日、報恩講の出講を終え、お話の内容や門徒さんとのやりとりを反芻しながら、お寺から駅に向かいました。
バスで帰るつもりが、ちょっとの差でバスが出発してしまいました。「じゃ、電車で帰ろうかな」と、JR改札口に通じる横断歩道を渡るために信号待ちをしていました。すると、「あの・・・」と、30代ほどの男性に声をかけられました。
何か相談かな?と思いながら、「はい?」と応えると、

 「どちらの宗派ですか?」
 「浄土真宗です」
 「あなたたち・・・」

「あなたたち」の声のトーンに、あ、相談者じゃなかった!と察しました。

「あなたたち浄土真宗のお坊さんは、浄土三部経をよりどころとしていますよね。浄土三部経は、仏教の開祖であるお釈迦さまご自身が、方便の教えだから「捨てろ!」と仰ったお経です。お釈迦さまが捨てろ!と仰ったお経をわざわざよりどころとして、教えを伝えている。なぜ、そんな矛盾したことをするのですか? 嘘の教えを広めて、恥ずかしくないのですか!?」との旨。
浄土真宗の坊さんに「あなたたちの教えは間違っている」と話しかけてくる日蓮系の信者さんがいると、話には聞いていたけれど、本当にいた――――!! 私のところに来た――――!! 
薄くなったとはいえ、髪の毛のあるお坊さんだから、恐らく浄土真宗の坊さんだとふんで声をかけてきたのでしょうね。ワクワクしながら、彼の話を全部聞きました。それから、
「そうですか、“方便の経”ですか。でも、正法の時代ならともかく、末法の世の中だもの、方便の教えこそ必要でしょ」と応えると、
「お釈迦さまが捨てろ!と言って捨てたものを、わざわざ拾ってきて、その教えを伝えているわけですか!」とのこと。
で、しばらくは私が何を言っても、「お釈迦さまが捨てろと言った方便の経を・・・」の繰り返し。そこが彼にとっての問題点なのかなぁ?と思いながら聞いていると、
「日蓮大上人は・・・」と、新しい展開が!!
「日蓮大上人は2度の法難にあっても、2度とも救われた奇跡の人です。その日蓮大上人が、南無阿弥陀仏の念仏は無間地獄に堕ちると言っています。なぜあなたたちは、南無阿弥陀仏の念仏を世の人々に広め、無間地獄に堕とそうとしているのですか?」との旨。

あ、「南無阿弥陀仏」を2回も言った。これでこの人も救われたね^^と内心思いながら聞いていました。そっか、日蓮さんが奇跡の人だから信じているのかぁ。彼の座り(身の置き所)はここなのかなぁと感じながら、話を聞き続けました。
それにしても、ここは人々の往来が激しい夕刻の駅前。行き交う人々が、こちらの様子をチラ見しながら通り過ぎてゆきます。「この問答はいつまで続くのかなぁ。一杯行く?って誘ってみようかなぁ」なんて思っているところでまた
「日蓮大上人が、念仏は無間地獄に堕ちると言っています!!」と言うので、
「でも、もうすでに地獄に生きている身ですから^^ 地獄こそ私のすみかです(-人-)」と応えると、
「・・・念仏を広めていることの責任を感じながら、罪を背負いながら生きなさいよ!!」と言って、行ってしまいました。
「あれ!行っちゃうの?」と思いました。これ以上言っても無駄だと思われたのかな?彼の背中に手を振りながら、南無阿弥陀仏とお念仏申しました。

「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし。
(どのような修行・努力によっても仏になることのできない身です。地獄は私の必然的な居場所なのです。)」(『歎異抄』第2章)
報恩講で、ちょうど『歎異抄』第2章に触れたお話をしてきたところでした。

帰宅後、妻にこの話をしたら、「じゃぁ、バスが行ってしまったのは、彼とお話をするための導きだったのね^^」と言われました。
そっか、そのためにバスは行ってしまってくださったんだね。有り難いご縁でした。南無阿弥陀仏

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コメント

大乘教は、之を實際に修行する方法によりて更に二大部門に分つことを得べし。卽ち一は、此世界に於いて斷惑證理の功を全うして佛果に到るの法にして、之を聖道門といふ。聖道とは聖果に到るの道の義なり。二は阿彌陀佛の淨土に往生して、その處にて佛果を證する法にして、これを往生淨土門、又は單に淨土門といふ。 依て源空は淨土宗略抄に、

  おほかた、うき世をいでゝ、佛道にいるに、おほくの門ありといへども、おほきにわかちて二門を出す。すなはち聖道門と淨土門と也。はじめに聖道門といふは、娑婆世界にありながら、まどひをたちさとりをひらく道也。……つぎに淨土門といふは、この娑婆世界をいとひすて、いそぎて極樂にむまるゝ也。かのくにゝむまるゝ事は、阿彌陀佛のちかひにて、人の善惡をえらはず、たゞほとけのちかひをたのみ、たのまざるによる也。

といひ、我が宗祖は教行信證に、

  凡就一代教、於此界中、入聖得果、名聖道門。……於安養淨刹、入聖證果、名淨土門。 といへり。 

(龍谷大學『眞宗要義 上』昭和二年 pp.205-206.)


> 彼の座り(身の置き所)はここなのかなぁ

わたしたちが、人間が、考えるような居場所というのは、結局、自分一人が思う、かくあるべし、という、自分一人の理想、これが正しいという、そういうものですね。

これは宗派にかかわりなく、浄土真宗でも同じ。

ひとりの例外もなし

ご無沙汰してます。久しぶりの投稿です。
1年もあっという間でした。
最近は忙しくありましたがここは必ず目を通してます。
いつもありがとうございます。

いろいろな宗派がありますから、いろいろと言う方も
いらっしゃるのですね。
しかしそれも縁なのですね。素晴らしいお話ありがとうございました。良いお年をお迎えください。

☆ HikkenDokugoさん
☆ Kさん
12月31日、いよいよ2017年も最終日を迎えました。
いつもブログをお読みいただき、ありがとうございます。
新しい年が、より素晴らしい年になりますように!!
お元気でpaper

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