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2017年12月31日 (日)

明くる年も、よろしくお願い致します

2017年暮れ 年賀状を書く手元に、今年届いた「喪中ハガキ」。今年も、有縁の方、有縁の方の大事な方が多々亡くなられました。年を重ね、出会いよりも別れの機会の方が増えていることを実感しています。

喪中ハガキを眺めていて、ふと気が付きました。大きく2種類あることに気付きました。
「喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただきます」
「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」

これだけ読んで、何かお気づきになられましたか?

以前は、「喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただきます」と書いてあったような記憶があるのですが、
「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」という文言に、ふと「えっ?」と感じました。今まで気が付かなかっただけなのかなぁ・・・。

「喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただきます」では、
新年のご挨拶(年賀状)を失礼させていただきます。申し訳ありません。
という意味合いになります。
つまり、「当方としましては欠礼しますが、お許しください」と、自分の側の欠礼をお詫びしていることになります。

しかし、
「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」では、
当方喪中につき、当方に年賀状を出すことをご遠慮申し上げます。
という意味合いになるのではないでしょうか?
つまり、「当方喪中のため、うちに年賀状を出さないでください」と、相手側に年賀状を出さないでくださいと懇願していることになります。

と、受け止めたのですが、どう感じますか?

念のため申しますが、
「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」ハガキを送られた方を責めているわけではありません。
喪中ハガキは型が出来上がっていて、それほど考えることなく印刷を注文されたことと思います。

もっとも、「喪中だから年賀状を出さない。のはおかしくないですか?」とかつて投稿したこともありますから、
喪中欠礼そのものに違和感を持っています。
葬儀の際、「故人亡き後も、故人の生前同様のお付き合いをお願い致します」と挨拶をするのに、新年の挨拶を欠礼するのは何故だろう?と思います(「年賀状」そのものに疑問を持っている、必要性を感じていないというのなら別ですが)。
1年欠礼すると、結局2年間欠礼することになります。
年に1度すら会う機会のない友と、せめて年賀状くらいはつながっていたい。そういう想い、そういう友が、誰にもあると思うのですが。

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