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2017年12月

2017年12月31日 (日)

背き合うより向き合っていたい

今年の漢字が「北」に決まりました。

朝鮮の脅威」
「九州部豪雨」
海道日本ハムファイターズ大谷選手大リーグへ」
といったニュースが「北」が選ばれた理由として語られていますが、あまりピンと来ませんでした。

「北」という漢字は、ふたりの人が背を向けている姿を象っていると聞きます。
「北」という漢字に人間の体を表わす「肉月(にくづき)」の部首を付けると「背」という漢字になります。
「背」は、「そむく」と読みます。まさに、人と人とが別々の方向を向いていることを表わしています。

人と人とが背(そむ)き合っている。あぁ、そう考えると、今年の漢字として合っているのかも。
って、現実は悲しいですね。

ちなみに、人が2人並んでいる姿を象っているのは「比」だそうです。
「比較」「対比」という熟語のイメージからすると、「くらべる」のですから、2人並んでいる姿をイメージしづらいですね。でも、比べることができりということは、相手のことを気にしている、向かい合っているということもできます。
「比」には、「合う」「助ける」「仲がよい」という意味もあります。そういう意味において、2018年の漢字が「比」になると良いですね。

新しい年が、相手のことを想い、助け合い、仲が良くなる年になりますように。

世知辛い世の中にしてしまうのも、ほんのちょっとの喜びの積み重ねを生きるのも、私しだい

ブラック企業が社会問題化しています。
確かに、企業としてのブラック企業が存在することも事実ですが、
たとえば、私がお店で食事するとき、私があるお店を利用するとき、私がタクシーに乗るとき等々、サービスを受けることが当たり前だと思ってはいないだろうか? 過剰なサービスを要求していないだろうか?
私の欲求・要求が、一所懸命に働いている人を追い詰めてはいないでしょうか? その態度がブラック化を招いている現実もあると思います。

果たして「お金を払っているんだから、やってもらって当たり前!」のでしょうか?
「本来自分がすべきことを他の人がやってくれる。その対価としてお金を払わせてもらっている」という考え方もできるのでは?

感謝の気持ちを忘れずに。

明くる年も、よろしくお願い致します

2017年暮れ 年賀状を書く手元に、今年届いた「喪中ハガキ」。今年も、有縁の方、有縁の方の大事な方が多々亡くなられました。年を重ね、出会いよりも別れの機会の方が増えていることを実感しています。

喪中ハガキを眺めていて、ふと気が付きました。大きく2種類あることに気付きました。
「喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただきます」
「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」

これだけ読んで、何かお気づきになられましたか?

以前は、「喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただきます」と書いてあったような記憶があるのですが、
「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」という文言に、ふと「えっ?」と感じました。今まで気が付かなかっただけなのかなぁ・・・。

「喪中につき新年のご挨拶を失礼させていただきます」では、
新年のご挨拶(年賀状)を失礼させていただきます。申し訳ありません。
という意味合いになります。
つまり、「当方としましては欠礼しますが、お許しください」と、自分の側の欠礼をお詫びしていることになります。

しかし、
「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」では、
当方喪中につき、当方に年賀状を出すことをご遠慮申し上げます。
という意味合いになるのではないでしょうか?
つまり、「当方喪中のため、うちに年賀状を出さないでください」と、相手側に年賀状を出さないでくださいと懇願していることになります。

と、受け止めたのですが、どう感じますか?

念のため申しますが、
「喪中につき新年のご挨拶をご遠慮申し上げます」ハガキを送られた方を責めているわけではありません。
喪中ハガキは型が出来上がっていて、それほど考えることなく印刷を注文されたことと思います。

もっとも、「喪中だから年賀状を出さない。のはおかしくないですか?」とかつて投稿したこともありますから、
喪中欠礼そのものに違和感を持っています。
葬儀の際、「故人亡き後も、故人の生前同様のお付き合いをお願い致します」と挨拶をするのに、新年の挨拶を欠礼するのは何故だろう?と思います(「年賀状」そのものに疑問を持っている、必要性を感じていないというのなら別ですが)。
1年欠礼すると、結局2年間欠礼することになります。
年に1度すら会う機会のない友と、せめて年賀状くらいはつながっていたい。そういう想い、そういう友が、誰にもあると思うのですが。

諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ

サーロー節子さんの演説
「東京新聞」 2017年12月11日 夕刊より

2017年12月10日 オスロで行われた核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN(アイキャン))へのノーベル平和賞授賞式で被爆者サーロー節子さんが行った演説は次の通り。 

      ◇

両陛下。ノルウェー・ノーベル賞委員会の高名なメンバーの皆さま。ここにいる、そして世界中にいる運動家の仲間たち。淑女、紳士の皆さま。

ICANの運動を形づくる傑出した全ての人々に成り代わってベアトリス(・フィン事務局長)と共にこの賞を受け取ることは大変な栄誉です。私たちは核兵器の時代を終わらせることができる、終わらせるのだという、かくも大きな希望を皆さま一人一人が私に与えてくれます。

▼座視しない
被爆者は、奇跡のような偶然によって広島と長崎の原爆を生き延びました。私は被爆者の一人としてお話しします。七十年以上にわたって私たちは核兵器の廃絶に取り組んできました。
私たちは、この恐ろしい兵器の開発と実験から危害を被った世界中の人々と連帯してきました。(核実験が行われた)ムルロア、エケル、セミパラチンスク、マラリンガ、ビキニといった長く忘れられた地の人々。土地と海を放射線にさらされ、人体実験に使われ、文化を永遠に破壊された人々と連帯してきました。
私たちは犠牲者であることに甘んじることはありませんでした。灼熱(しゃくねつ)の終末を即座に迎えることや、世界がゆっくりと汚染されていくことに対し、手をこまねいていることは拒否しました。いわゆる大国が、無謀にも私たちを核のたそがれから核の闇夜の間際へと送り込むことを、恐怖の中で座視することは拒否しました。私たちは立ち上がりました。生き延びた体験を分かち合いました。人類と核兵器は共存できないのだと声にしました。

▼叫び声聞こえた
きょう、この会場で皆さまには、広島と長崎で死を遂げた全ての人々の存在を感じてほしいと思います。雲霞(うんか)のような二十数万の魂を身の回りに感じていただきたいのです。一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。彼らの死は、無駄ではなかったと確認しましょう。
米国が最初の原爆を私が住んでいた都市、広島に投下した時、私はまだ十三歳でした。私は今もあの朝を鮮明に覚えています。八時十五分、窓からの青みを帯びた白い閃光(せんこう)に目がくらみました。体が宙に浮かぶ感覚を覚えています。
静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きできないことに気付きました。級友たちの弱々しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けて」
そして突然、私の左肩に手が触れるのを感じました。「諦めるな。頑張れ。助けてやる。あの隙間から光が差すのが見えるか。あそこまでできるだけ速くはっていくんだ」。誰かがこう言うのが聞こえました。はい出ると、倒壊した建物には火が付いていました。あの建物にいた級友のほとんどは生きたまま焼かれ、死にました。そこら中が途方もなく完全に破壊されているのを目にしました。
幽霊のような人影が行列をつくり、足を引きずりながら通り過ぎていきました。人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れ上がっていました。体の一部を失っていました。肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。おなかが裂けて開き、腸が外に垂れ下がっている人もいました。人間の肉体が焼けた時の嫌な悪臭が立ち込めていました。
このようにして、私の愛する都市は一発の爆弾によって消滅したのです。住民のほとんどは非戦闘員でした。彼らは燃やされ、焼き尽くされ、炭になりました。その中には私の家族と三百五十一人の級友が含まれています。

▼愚行を許さない
その後の数週間、数カ月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。今日に至ってもなお、放射線は人々の命を奪っています。
広島を思い出すとき、最初に目に浮かぶのは四歳だった私のおい、英治の姿です。小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱々しい声で水が欲しいと言い続けました。
今この瞬間も、世界中で罪のない子どもたちが核兵器の脅威にさらされています。おいは私にとって、こうした世界の子どもたちを代表する存在となりました。核兵器はいつどんなときも、私たちが愛する全ての人々、いとおしく思う全てを危険にさらしています。私たちはこの愚行をこれ以上許してはなりません。
苦しみと生き延びるためのいちずな闘いを通じて、そして廃虚から復興するための苦闘を通じて私たち被爆者は確信に至りました。破局をもたらすこうした兵器について、私たちは世界に警告しなければならないのです。繰り返し私たちは証言してきました。
しかし、広島と長崎(への原爆投下)を残虐行為、戦争犯罪と見なすことをなお拒絶する人たちもいたのです。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け入れたわけです。こうした作り話が破滅的な核軍拡競争をもたらしました。今日に至るまで核軍拡競争は続いています。
今も九つの国が都市を灰にし、地球上の生命を破壊し、私たちの美しい世界を未来の世代が住めないようにすると脅しています。核兵器の開発は、国家が偉大さの高みに上ることを意味しません。むしろ、この上なく暗い邪悪の深みに転落することを意味するのです。こうした兵器は必要悪ではありません。絶対悪なのです。

▼終わりの始まり
今年七月七日、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成した時、私は喜びでいっぱいになりました。私はかつて人類の最悪な側面を目撃しましたが、その日は最良の側面を目撃したのです。私たち被爆者は七十二年の間(核兵器が)禁止されることを待ち続けてきました。これを核兵器の終わりの始まりにしようではありませんか。
責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません。署名を拒否すれば歴史の厳しい審判を受けることになるでしょう。彼らのふるまいは大量虐殺につながるのだという現実を抽象的な理論が覆い隠すことはもはやありません。「抑止力」とは、軍縮を抑止するものなのだということはもはや明らかです。私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で暮らすことはありません。
核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちはそれぞれ、人類を危険にさらす暴力の体系を構成する不可欠な要素となっているのです。私たちは悪の陳腐さを警戒しましょう。
世界のあらゆる国の、全ての大統領と首相に懇願します。この条約に参加してください。核による滅亡の脅威を永久になくしてください。

▼光に向かって
私は十三歳の時、くすぶるがれきの中に閉じ込められても、頑張り続けました。光に向かって進み続けました。そして生き残りました。いま私たちにとって、核禁止条約が光です。この会場にいる皆さんに、世界中で聞いている皆さんに、広島の倒壊した建物の中で耳にした呼び掛けの言葉を繰り返します。「諦めるな。頑張れ。光が見えるか。それに向かってはっていくんだ」
今夜、燃え立つたいまつを持ってオスロの通りを行進し、核の恐怖という暗い夜から抜け出しましょう。どんな障害に直面しようとも、私たちは進み続け、頑張り、他の人たちとこの光を分かち合い続けます。この光は、かけがえのない世界を存続させるために私たちが傾ける情熱であり、誓いなのです。
(オスロ・共同)=ノーベル財団公表の公式テキストによる

掛け替えのない いのち

この投稿は、天皇制の是非を抜きにしてお読みいただきたく思います。

平成の天皇陛下 明仁天皇の生前退位が再来年の4月30日に決まりました。
色々なご苦労ご心労があることとお察し致します。
こころ穏やかにお過ごしいただきたいと思います。

それにしても・・・
今上天皇の生前退位に関して、その期日をいつにするのか議論がなされました。
有力な説として、来年の4月30日と言われていませんでしたか?
ところが、ふたを開けてみれば、再来年の4月30日とのこと。まだ1年以上先の話となりました。

いのちは、いつ尽きるともしれないものです。朝、どんなに元気であっても、同じ日の夕暮れ時には白骨となれる身です。
にもかかわらず、再来年の退位という話。もちろん、お元気でお過ごしいただければ幸いですが、何が起こるか分からないのが“いのち”です。制度・システムの話とはいえ、自分の寿命を、赤の他人がどーだこーだ議論され、この日に退位などと決められてしまうのが、果たして天皇に人権はあるのか!?と考えてしまいました。

真宗大谷派の、ある老僧(既にお浄土に還られています)が、法話中に「天皇に人権を」と言われたそうです(残念なことに、私は現場にいませんでした。ご法話の後、人づてに聞きました)
その老僧は天皇制に疑問を呈し、その姿勢に賛同し随行する方々がいました。しかし、「天皇に人権を」とお話されたことを受け、「そんなことを言う人とは思わなかった」と失望した人もいました。でも私は「天皇に人権を」と言われた話を聞き、その老僧をより好きになりました。天皇もひとりの人間です。個人の寿命に関して他人にとやかく言われる筋合いはありません。生前退位云々言っている時点で、「あぁ、今上天皇には、懸命に人生を尽くしてこられた方に人権はないのか」と涙ながらに感じていました。

生前退位に関して事前に決めておく理由として、「元号の変更に伴う社会の混乱を最小限にとどめるため」とか「事前の準備が必要だから」などと言いますが、そもそも、昭和天皇が崩御されたとき、亡くなられてから元号が決まり、発表され、昭和から平成へと移行したではありませんか。もちろん、昭和天皇の際も、準備をされ、元号も決まっていたのかもしれません。亡くなられたのも、実際は1月7日ではないのではないか、国民のお正月気分を壊してはいけないから・・・などという噂も聞きます。
結局、政治の都合で決められているのだなと、悲しくなりました。

ひとりの人間として、掛け替えのないいのちとして、お過ごしいただきたく念じております。

2017年12月14日 (木)

諦めない心を

「私たちを最も追い詰めてきたのは、最も苦しめてきたのは、『イスラム国』でもアサド政権でもなく、世界から無視される、忘れ去られているという感覚なのです」。シリアから逃れ、避難生活を送る人々に投げかけられた言葉を今、改めて思い返す。この1カ月だけでも、世界で起きた悲劇は数えきれない。シリア、イラクの戦火は消えず、ソマリアの首都では爆発で300人以上の命が奪われた。

麻生太郎副総理が講演で北朝鮮から避難者が日本を目指してくる可能性に触れ、「武装難民かもしれない。警察で対応するのか。自衛隊、防衛出動か。射殺ですか」と発言した。確かにイラクでは、武装勢力が難民に紛れてくるかもしれないと、対応に追われている現場も目の当たりにした。議論が必要であることに疑いはない。ただし攻撃を企てる武装勢力はそもそも難民とは呼べない。自衛のために武器を所持していても、保護過程で放棄してもらって対応できる。「武装」と「難民」という相いれない言葉を混同して使うことで、誤解が広がるばかりか「リスク」ばかりが強調されてしまう。争いとは全く関わりのない人々が翻弄(ほんろう)され続けていることに、光は当たってきただろうか。

イラクの友人の言葉を記したい。「人間だから戦争がなくならないんじゃないかって? 違うよ。どうせ人間はそんなものだって諦めてしまう、人の心がそうさせるんだ」。争いを止めること、互いを受け入れること、共に難題であっても挑み続けたい。(フォトジャーナリスト)

週刊サラダぼうる・安田菜津紀の写心館「忘れ去られる苦しみ」より
(「毎日新聞」2017年11月20日)

2017年12月 5日 (火)

地獄は一定すみかぞかし

過日、報恩講の出講を終え、お話の内容や門徒さんとのやりとりを反芻しながら、お寺から駅に向かいました。
バスで帰るつもりが、ちょっとの差でバスが出発してしまいました。「じゃ、電車で帰ろうかな」と、JR改札口に通じる横断歩道を渡るために信号待ちをしていました。すると、「あの・・・」と、30代ほどの男性に声をかけられました。
何か相談かな?と思いながら、「はい?」と応えると、

 「どちらの宗派ですか?」
 「浄土真宗です」
 「あなたたち・・・」

「あなたたち」の声のトーンに、あ、相談者じゃなかった!と察しました。

「あなたたち浄土真宗のお坊さんは、浄土三部経をよりどころとしていますよね。浄土三部経は、仏教の開祖であるお釈迦さまご自身が、方便の教えだから「捨てろ!」と仰ったお経です。お釈迦さまが捨てろ!と仰ったお経をわざわざよりどころとして、教えを伝えている。なぜ、そんな矛盾したことをするのですか? 嘘の教えを広めて、恥ずかしくないのですか!?」との旨。
浄土真宗の坊さんに「あなたたちの教えは間違っている」と話しかけてくる日蓮系の信者さんがいると、話には聞いていたけれど、本当にいた――――!! 私のところに来た――――!! 
薄くなったとはいえ、髪の毛のあるお坊さんだから、恐らく浄土真宗の坊さんだとふんで声をかけてきたのでしょうね。ワクワクしながら、彼の話を全部聞きました。それから、
「そうですか、“方便の経”ですか。でも、正法の時代ならともかく、末法の世の中だもの、方便の教えこそ必要でしょ」と応えると、
「お釈迦さまが捨てろ!と言って捨てたものを、わざわざ拾ってきて、その教えを伝えているわけですか!」とのこと。
で、しばらくは私が何を言っても、「お釈迦さまが捨てろと言った方便の経を・・・」の繰り返し。そこが彼にとっての問題点なのかなぁ?と思いながら聞いていると、
「日蓮大上人は・・・」と、新しい展開が!!
「日蓮大上人は2度の法難にあっても、2度とも救われた奇跡の人です。その日蓮大上人が、南無阿弥陀仏の念仏は無間地獄に堕ちると言っています。なぜあなたたちは、南無阿弥陀仏の念仏を世の人々に広め、無間地獄に堕とそうとしているのですか?」との旨。

あ、「南無阿弥陀仏」を2回も言った。これでこの人も救われたね^^と内心思いながら聞いていました。そっか、日蓮さんが奇跡の人だから信じているのかぁ。彼の座り(身の置き所)はここなのかなぁと感じながら、話を聞き続けました。
それにしても、ここは人々の往来が激しい夕刻の駅前。行き交う人々が、こちらの様子をチラ見しながら通り過ぎてゆきます。「この問答はいつまで続くのかなぁ。一杯行く?って誘ってみようかなぁ」なんて思っているところでまた
「日蓮大上人が、念仏は無間地獄に堕ちると言っています!!」と言うので、
「でも、もうすでに地獄に生きている身ですから^^ 地獄こそ私のすみかです(-人-)」と応えると、
「・・・念仏を広めていることの責任を感じながら、罪を背負いながら生きなさいよ!!」と言って、行ってしまいました。
「あれ!行っちゃうの?」と思いました。これ以上言っても無駄だと思われたのかな?彼の背中に手を振りながら、南無阿弥陀仏とお念仏申しました。

「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定(いちじょう)すみかぞかし。
(どのような修行・努力によっても仏になることのできない身です。地獄は私の必然的な居場所なのです。)」(『歎異抄』第2章)
報恩講で、ちょうど『歎異抄』第2章に触れたお話をしてきたところでした。

帰宅後、妻にこの話をしたら、「じゃぁ、バスが行ってしまったのは、彼とお話をするための導きだったのね^^」と言われました。
そっか、そのためにバスは行ってしまってくださったんだね。有り難いご縁でした。南無阿弥陀仏

2017年12月 1日 (金)

2017年12月のことば

12月になりました。2017年も暮れてゆきますね。
身の回りの雰囲気もバタバタしてきました。年の瀬だからといって、忙しく振る舞わなくてもいいのですが、年内にやっておきたいこと、やっておかねば気が済まないことがあるのでしょうね。
忙しく過ごしつつも、ゆったりした時間も大切にしたいです。
楽しい年末をお過ごしくださいpaper

 snow snow snow

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 過去は消えず
 未来は読めず
 不安が付きまとう
 だけど明日を変えていくんなら今
 今だけがここにある
   Mr.Children 「ヒカリノアトリエ」

日々刻々
師走を迎えました。今年も西蓮寺寺報「ことば こころのはな」をお読みいただき、ありがとうございます。
毎月寺報を作っていると、月末になるほど時間の経過が早くなるような気がします。必然、一年という時の経過も、加速度がついて過ぎ去っていくかのようです。1分、1秒という時の経つスピードに変化があるはずもないのに、不思議なものです。

年の瀬に、人間の醜さが露わになって
師走を迎える前、不快な出来事が巷を騒がせました。横綱日馬富士関の暴力事件に端を発し、横綱自身の引退へと発展しました。
「不快な」と言ったのは、日馬富士関や相撲協会に対してということではありません。酒席における横綱の暴力が明るみに出て以降、ニュースやワイドショーは、その事件ばかりでした。それまで、神奈川県座間市で起きた9人殺害事件に関心を寄せていたのに、いとも簡単に横綱の事件へとシフトしました。
事件に関わった人間がまだ多くを語らぬうちから、憶測や個人の感情で物を言い、何も分からぬ中、何も知らぬ第三者が、事件の中心人物への裁きを行なう。
横綱や暴力を擁護しているわけではありません。ただ、報道のされ方や、耳に入ってくる世間の声を聞いていると、どうしてこの私が、他者(ひと)のことをののしったり、裁いたりすることができるだろうか? そんなことを、悶々としながら思っています。

ヒカリノアトリエ
今月のことばは、今年放送されたNHKの朝ドラ「べっぴんさん」の主題歌です。オープニングで流れる部分では、

 たとえば100万回のうち
 たった1度ある奇跡
 下を向いてばかりいたら
 見逃してしまうだろう

が印象的でした。掲示した部分の歌詞は、普段のオープニングでは聞くことはありませんでした。初めて「ヒカリノアトリエ」のフルコーラスを聞いたとき、

 過去は消えず
 未来は読めず
 不安が付きまとう
 だけど明日を変えていくんなら今
 今だけがここにある

という歌詞が耳の底に残りました。フルコーラスを聞いて、「ヒカリノアトリエ」の全景が開かれた気がしました。

過去は消えず 未来は読めず
時は、過去から現在、現在から未来へと流れているのでしょうか?
もし、その流れの中に身を置いているのならば、「今」は、未来のためにあることになってしまわないだろうか。
悪い未来を夢見る人は、恐らくいないでしょう。「よりよい未来、明るい将来のために、今、がんばるんだ!」と、ある程度の成功を収めた年長者は、 分かった風に物を言う。
しかし、多くの若者が思っています。努力が実を結ぶ明るい未来など、ほとんど望むべくも無いと。「希望」が、いとも簡単に絶望へと転ずることを、世の大人たちが身をもって示してくれました。
未来が読めず、見えず、そして、今が見えなくなっている。今に安心して立っていられません。

時は、過去から現在、現在から未来へと流れているのでしょうか?
もし、その流れの中に身を置いているのならば、過去、今のために生きてきたのでしょうか。
年を重ねて、若い頃のように体が動かなくなった。頭が働かなくなった。すると、「あの頃はよかった」と、過去を懐かしむ。たくさんの装飾をつけて。「今の自分の姿は、本当の自分ではない」と、自分を、今を、受け入れられない。
過去を消すことは出来ず、不安がつきまとう。不安を消そうと、装飾を施して美化した過去にとらわれる。
過去が今を解体させる。過去の上っ面だけ塗り替えて、今の見栄えを良くしようとしている。過去という土台がぐらつき、今が不安定になっている。

「今」を生きていない私。


今だけがここにある
時は、「今」しかない。
「今」と口にしたときには、その「今」は既に過去。
私は、常に「今」を生きている。今、今、今・・・。「今」の積み重ねを生きている。先に未来があるわけではない。
「100万回のうち たった1度ある奇跡」とは、100万分の1という意味ではないのではないか! 今、今、今・・・今を生きているその瞬間瞬間が、たった1度ある奇跡。私は、奇跡を生きている。
「今」、つまり「私」が明らかになると、過去が見えてくる。消えるはずのない過去なのだから、光に当たったとき、 今まで見えなかったものが見えてくる。
その光は、ずっと「私」を照らし続けてくれていた。安心して立っていられない今、足元がぐらつく今だったから、 その光に気付かずに生きてきた。
「今」が明らかになり、過去が見え、今の積み重ねが未来へと続く道であると気が付いた。
不安という心の闇が、私の眼を曇らせ、不安という恐怖心が、他者に対する刃となって向かい、不安という焦りが、他者を裁いていた。
不安は、「今」を、「私」を知らないところから生ずる。今を、私を知らしめるために、私を照らし続けている光がある。きっと、虹はもうここにある。

 snow snow snow

掲示板の人形
「12月の人形、何を飾ろうかな・・・」と、頭を抱えていたら、下の娘がお人形箱の中から、彼女にとってクリスマスぽいイメージの人形を見つくろってくれました。12月は娘チョイスの人形です。
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