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2017年10月

2017年10月13日 (金)

「やましいことはありません」という やましさ

2017年10月11日放送の「報道ステーション」
党首討論の場において、安倍首相は一国民 森友学園前理事長 籠池泰典被告に対し「詐欺を働く人物」と述べた。
現状、被告である。「詐欺をはたらいた」と決めつけられる段階ではない。それに、以前は籠池氏の学園運営姿勢に共感するとも述べていたにも関わらず、自身の疑惑への追及の中で、詐欺呼ばわりである。他者を利用し、自分の都合で見方を変え、排除する。そのような考え方をする人が首相という地位に恋々とする中で、共謀罪が適用されれば、全ての国民が詐欺(に限らないが)で捕まりかねない。

自身の都合悪さを隠そうとすると、どうしてもボロが出ます。

毎日新聞」 2017年10月12日配信 20:07配信より

 安倍晋三首相が11日夜のテレビ朝日系「報道ステーション」の党首討論で、小学校建設にからむ国の補助金を詐取したなどとして起訴された森友学園前理事長、籠池泰典被告(64)について「詐欺を働く人物」と述べた。法曹関係者は「司法の独立を侵す問題発言だ」と批判している。

 安倍首相は討論で、籠池被告への国有地売却の経緯について検証の必要性を問われ、自身や妻昭恵氏の関与を否定。「こういう詐欺を働く人物のつくった学校でですね、妻が名誉校長を引き受けたことはやっぱり問題だった。やはりこういう人だからだまされてしまった」と述べた。

 首相は行政府の長として、刑事事件で検事総長に指揮権を発動できる法相の任免権を持つ。元検事の郷原信郎(ごうはら・のぶお)弁護士は毎日新聞の取材に「刑事事件では推定無罪の大原則がある」と指摘。「籠池氏は起訴されたが黙秘しているとされ、公判も始まっておらず、弁明の機会がない。行政の最高責任者が起訴内容をあたかも確定事実のように発言するなど司法の独立の観点からあってはならない」と話す。【岸達也】


2017年10月12日 (木)

沖縄知事、国難だ「悲しい、悔しい、怒り」

2017年10月11日 沖縄県東村高江での米軍大型輸送ヘリコプターCH53の不時着(?)事故
12日の朝刊では、「毎日新聞」や「東京新聞」では、その事故を丁寧に伝えてくださっています。
が、「読売新聞」や「産経新聞」が熱心に取り上げるのは、10日に公示されたばかりの選挙動静。しかも「自公過半数越え」だとか・・・。
どこに軸足を置いているのかがよく分かる朝でした。

ひとつだけの情報ではなくて、いろいろな情報を読んでみましょう。
取り上げられていないことや、取り上げ方の大小の違いを比べるだけでも、大切な情報を感じ取ることができます。
同じ現実を見ていても、取り上げ方はさまざまです。私たちも同じです。
知らぬ存ぜぬではなく、自分なりに考えましょう。
私が、これからのいのちが歩む未来です。

毎日新聞」 2017年10月12日(木) 13:24配信より

<米軍ヘリ炎上>沖縄知事、国難だ「悲しい、悔しい、怒り」

 米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)所属の大型輸送ヘリコプターCH53が11日夕方に沖縄県東村(ひがしそん)高江の米軍北部訓練場付近の民有地に不時着後、大破し炎上した事故で、県は12日、防衛省沖縄防衛局や外務省沖縄事務所に抗議するとともに事故原因の徹底究明と同型機の飛行中止などを求める。また翁長雄志知事は同日、事故現場を視察した。

 翁長知事は事故現場を視察後、報道陣に対し「悲しい、悔しい、そして怒り。いろいろな米軍関係の事件や事故を思い出しながら、どのように国に訴えていくのかを考えている。ある意味でこのような状況を国が沖縄に強いているのが国難だ」と語った。

 事故機は2004年8月に沖縄国際大(宜野湾市)に墜落したヘリの後継機。沖縄県内では昨年12月に米軍垂直離着陸輸送機オスプレイが名護市沖で不時着し、大破する事故を起こすなど米軍機の事故や緊急着陸が相次いでおり、今回の事故で米軍に対する反発がさらに強まるのは必至だ。

 沖縄県の富川盛武副知事は12日、県庁で記者団に対し、在沖縄米軍トップのニコルソン沖縄地域調整官から11日に「クラッシュ(墜落)ではない。エマージェンシーランディング(緊急着陸)だ」と連絡があったと説明。「炎が出ており、クラッシュと変わらないという実感だ」と語った。

 一方、衆院選の応援で沖縄入りしていた自民党の岸田文雄政調会長は12日、選挙日程を取りやめて米軍ヘリの事故現場を訪れた。

 在沖縄米海兵隊は「飛行中の火災で北部訓練場外に緊急着陸した。現場へ急行し消火した」と説明。乗員7人にけがはなかった。現場は県道70号に近い米軍基地敷地外の民間の牧草地。最も近い民家までは約300メートル、高江小学校までは約2キロしか離れていない。

 高江地区周辺には県内最大の米軍施設である北部訓練場が広がり、訓練場の約半分の4000ヘクタールを返還する条件として昨年12月までに6カ所のヘリコプター離着陸帯(ヘリパッド)が移設された。ヘリパッドは高江地区を取り囲むように配置されているため、周辺上空ではオスプレイやヘリが頻繁に飛行している。

 翁長知事は11日夜、記者団に対して「昨年の名護市での墜落事故から1年もたたないうちに米軍が再び県内で同様の事故を起こしたことに強い憤りを感じている。事故原因の徹底的な究明と早急な公表、原因究明までの同型機の飛行を中止するよう強く要請する」と述べた。また「一歩間違えば住宅地に墜落していた。県民の生命や財産がいかに危ういものかが感じられる」と強い不快感を示した。【佐藤敬一、川上珠実】

2017年10月 8日 (日)

現実的になる

2017年のノーベル平和賞に、「ICAN(アイキャン:核兵器廃絶国際キャンペーン)」が選ばれました。
核兵器廃絶を目指して活動し、「核兵器禁止条約」が採択されるのに貢献した国際NGOです。
「受賞おめでとうございます」と書くと、他人事のようです。世界の人々のために活動をされているのですから、「ありがとうございます」というのが、今の気持ちです。

今年(2017年)7月、核兵器の開発や保有などを法的に禁止する「核兵器禁止条約」が122の国と地域が賛成して採択されました。
日本がこの条約に交渉過程からボイコットしているのは、ご存じの通りです。
核兵器を保有もしくは保有が疑われる9か国(米国・ロシア・イギリス・フランス・中国・インド・パキスタン・イスラエル・北朝鮮)も、この条約に関する交渉や投票には参加しませんでした。

「核兵器禁止条約」採択の準備が進む中、アメリカのヘイリー国連大使は、イギリスやフランスなどおよそ20か国の代表と並んで、「北朝鮮が核兵器の禁止に賛同すると思うのか。現実的になるべきだ」と述べて、条約作りに反対しました。
日本も追随し「核軍縮は、核保有国と非保有国が一緒になって段階的に進める必要があるとしています」という理由で、条約採択には背を向けています。ノーベル平和賞受賞が決まっても、政府は何のコメントも発していません。

日本(政府)が条約に反対するのは、落胆しつつも、「あぁ、そういう姿勢なんだ」と、ある意味納得してしまいます(納得している場合ではありませんが)。
アメリカのヘイリー国連大使が「現実的になるべきだ」というのをテレビで見たときから、そのセリフがこびりついて離れません。

「現実と理想」(「理想と現実」という言い方の方がシックリしますかね)というのは、よく語られる問題です。
現実に即せば、理想を語るのもはばかられる。理想の中味も小さくなる。
理想を追求すれば、現実と相反する。今私が生きている現実を否定することになる(のかな?)。
さも矛盾するかのように「現実と理想」は相容れないもののように語られます。
そこに違和感があります。

日本では衆議院が解散し、10月22日の投開票に向けて、日々目まぐるしく動いています。
選挙期間中、立候補者は「公約」を語ります(罵り合いではなく、どうか政策を語ってください)。
「公約」も、ある意味「理想」だと思います(当然、イコールではありません)。
「安定した社会制度」などと言われれば、「ぜひ実現を!!」と願いたくもなるけれど、「財源は?」という問いかけも出て来ます。それに、「安定した社会制度」を築く気があるのであれば、解散なんかしなくても出来るはずだろ!!と突っ込みたくなります。
「原発ゼロ」を訴えると、「そんなことできるわけない」「電力の安定供給のために必要だ! 現実を見ろ!」と罵声を浴びます。現実を見ろというのであれば、原発の危険性という現実も見てほしいですが。それに、「原発ゼロ」を公約にする党の代表は、核武装論者なので、その公約を額面通り信用できない現実もあります。

あ、少しづつ横に逸れてしまってる。
今書きたかったことは、「理想」を語ることは悪いことでもないし、現実をまったく見ていないわけでもないし、前に進むためには必要なことです!ということ。
現実を見ているから、被爆の現実を見たからこそ、核兵器は使ってはいけない、核廃絶を訴えているのです。賛同する人々がいるのです。
「現実的になれ!」という言葉で押さえつけようとする背後には、どんな想いがあるのだろう?

それから、「憲法改正」も公約に盛り込む党が出て来ました。
「現実に即して、憲法を改正する」などと言っていますが、それがどんなに恐ろしいことか。
平和主義という大きな理想を掲げ、そこに向かって不断の努力をするために現憲法がどれだけの力を持ってきたことか。現実世界が戦争に向かいそうになっても、平和への舵取りをするために憲法があるのに、戦争に向かいつつある現実に合わせて「憲法を改正する」と時の権力者が言ったならば、それは「戦争をできように憲法を改正しますから」と言っているようなもの。まさに、それが現実です。今の日本で、現実に起きていることです!
10月22日(日)は投票に行きましょう。

現実を見つめると、理想がどれだけ必要なものかが痛いほどに分かります。
というより、現実から理想は生まれ、理想が現実を形作る。そしてまた理想が生まれ・・・
そう考えると、理想の実現が必ずしも良い状況を生むとも言い切れないことは、人類の歴史が証明しているわけですが、理想が強く語られる時代(とき)ほど、現実社会は危機的状況を迎えています。

2017年10月 2日 (月)

2017年10月のことば

セミの声が、かすかに聞こえてきます。
キンモクセイの匂いが漂っています。
葉が色づき始めました。
秋が近づいていますね。

秋の夜、静けさが身にしみるのはなぜでしょう?
不思議ですね。

衆議院が解散され、北朝鮮からミサイルが飛ばなくなり、Jアラートとやらも鳴らなくなりました。
静かになりましたね。なぜでしょう?
おかしいですね。

涼しくなってきました。おからだお大事にjapanesetea

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 いのちは
 みんな
 母なる海に還ります
 みんな一緒だから
 淋しくないよ

秋の景色
秋のお彼岸を迎える前、墓地の彼岸花が咲きました。彼岸花は、その名の通りお彼岸に花を咲かせます。「今年は天候不順だね」なんて会話を交わすような年でも、きちんとお彼岸に合わせて花を咲かせていたものでした。
ここ数年、彼岸花の咲く時期が早くなった気がします。律儀な彼岸花の開花時期をも狂わせるような異常気象になってしまったのでしょうか。

一年を通して常のこと
秋を迎え、掃除をしていると「秋は落ち葉が多くて大変ですね」と声をかけられます。しかし、落葉(らくよう)は、一年を通して常のことです。秋だけが大変なわけではありません。
「掃除をされているから、いつもきれいですね」とも声をかけられるのですが、ホウキを手に掃除をしていると、ちょっと複雑な気持ちになります。
落ち葉をすべて掃き集めて取ってしまえば、何も無いという意味では「きれい」です。しかし、葉が、やがて木から離れ、地上に落ちる姿というのは、いのちあるものが、いのち終えて往く姿を表わしています。落ち葉が地上にたまりゆく姿は、果たして汚いのでしょうか? 散らかっているのでしょうか? 掃き掃除をしながら、そんなことを想っています。

先に、落葉は秋だけのことではないと書きました。これから寒い冬を迎えます。「寒くなると、亡くなる方が増えるでしょ?」などとよく聞かれます(確認されているのでしょうか?)。確かに、寒さが厳しくなると、お亡くなりになる方は増える気がします。しかし、人のいのちも、厳冬にのみ去りゆくわけではありません。落葉が秋のことだけではないように、人の死もまた、冬だけの話ではありません。一年を通して常に、阿弥陀さまの元に還って往くいのちがあります。

いのちは長短では計れない
いのちあるものは、やがていのち終えてゆきます。人間だけでなく、あらゆるいのちが。動物だけでなく、植物も同じです。
価値観という眼を持つ人間は、生の長さや短さ、その内容でもって、先往く人の人生を評価してしまいます。
 「あんなに頑張っている人が、若くして亡くなるなんて! 早すぎる死だ」
 「あれだけの功績を残したのだから、あの人の人生は充実していたね」
そんなセリフを耳にするとき、人は、他者(ひと)のことを、どこで見ているのだろう? と、考えてしまいます。

先月の寺報で、8月に亡くなられた田口弘さんのお話を書きました。全盲になりながらも、親鸞聖人の教えに出遇い、聖人の教えを一人でも多くの人に伝えることを大切に願われた僧侶です。56歳で亡くなられました。
 「死ぬには早すぎる」
 「まだやり残したことがあるだろうに」
などという声が聞こえてきました。  田口さんを慕うが故の、こころの底からの声であることは分かるのですが、そのような声に違和感もありました。そんなとき、田口さんと深い親交の あったある住職が、「彼は完全燃焼したんだよ。精一杯生きたんだ」と仰っているということを伝え聞き、ホッとした気持ちになりました。
いのちは、その長短や功績で、遺された者が評価をくだすものではありません。たとえ若くして亡くなっても、たとえ長生きしても、たとえどのような生涯を送ろうとも、終えて往くいのちは、すべてみな「完全燃焼」して「精一杯生きた」いのちなのです。先往く人は、完全燃焼し、精一杯生きた姿を、私に見せてくださっているのです。そこに、 自然に手が合わさりませんか?

物語も終わりに近づき
「終活(しゅうかつ)」ということばが流行り、自分の終焉について考える人が増えたと聞きます。「自分の死後、遺された者に迷惑をかけたくないから、葬儀について決めておきたい」と。それも終活のひとつでしょうが、果たして、何を遺して往くべきでしょうか?
落ち葉が掃き掃除されて、「きれいになりましたね」と喜ばれるような人生を送るのか。落葉した葉であっても、そこにいのちを感じてもらえるような人生を送るのか。
今までの生き方を見直したり、いのちについて考えたり。それこそが「終活」ではないでしょうか。

ネクタイの締め方はね、
9月に入り、長崎に住む伯父を亡くしました。人が亡くなるということは、とても大変なことです。そもそも、  迷惑をかけない死などありません。また、それでいいのです。遺された者の胸に悲喜こもごも想いを抱かせ、先往くいのちは、大きな海(あみだ)へと還っていきます。
9月末、出かける際にネクタイを締めていて、ふと思い出しました。学生の時、伯父にネクタイの締め方を習ったことを。ネクタイなどしたことがない私は、教わった通りに締めてみても、前が長くなったり、後ろが長くなったり・・・前が長くなりすぎて金太郎みたいになったりして。その度に、周りで見ていた伯父と伯母と母が声を出してゲラゲラ笑っていました。あのときのやりとりは面白かったなぁ。
今月のことばは、容体の急変した伯父に急きょ郵送したことばです。ことばが届いた翌日、息を引き取りました。棺に入れてくださったそうです。
いのちはみんな、母なる海に、私を包みこんでくださっている阿弥陀さまの元に還ってゆくからね。私もそのうち還るから。だから淋しくないよ。
南無阿弥陀仏

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掲示板の人形
リスとフクロウ
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