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2017年10月 2日 (月)

2017年10月のことば

セミの声が、かすかに聞こえてきます。
キンモクセイの匂いが漂っています。
葉が色づき始めました。
秋が近づいていますね。

秋の夜、静けさが身にしみるのはなぜでしょう?
不思議ですね。

衆議院が解散され、北朝鮮からミサイルが飛ばなくなり、Jアラートとやらも鳴らなくなりました。
静かになりましたね。なぜでしょう?
おかしいですね。

涼しくなってきました。おからだお大事にjapanesetea

 maple maple maple

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 いのちは
 みんな
 母なる海に還ります
 みんな一緒だから
 淋しくないよ

秋の景色
秋のお彼岸を迎える前、墓地の彼岸花が咲きました。彼岸花は、その名の通りお彼岸に花を咲かせます。「今年は天候不順だね」なんて会話を交わすような年でも、きちんとお彼岸に合わせて花を咲かせていたものでした。
ここ数年、彼岸花の咲く時期が早くなった気がします。律儀な彼岸花の開花時期をも狂わせるような異常気象になってしまったのでしょうか。

一年を通して常のこと
秋を迎え、掃除をしていると「秋は落ち葉が多くて大変ですね」と声をかけられます。しかし、落葉(らくよう)は、一年を通して常のことです。秋だけが大変なわけではありません。
「掃除をされているから、いつもきれいですね」とも声をかけられるのですが、ホウキを手に掃除をしていると、ちょっと複雑な気持ちになります。
落ち葉をすべて掃き集めて取ってしまえば、何も無いという意味では「きれい」です。しかし、葉が、やがて木から離れ、地上に落ちる姿というのは、いのちあるものが、いのち終えて往く姿を表わしています。落ち葉が地上にたまりゆく姿は、果たして汚いのでしょうか? 散らかっているのでしょうか? 掃き掃除をしながら、そんなことを想っています。

先に、落葉は秋だけのことではないと書きました。これから寒い冬を迎えます。「寒くなると、亡くなる方が増えるでしょ?」などとよく聞かれます(確認されているのでしょうか?)。確かに、寒さが厳しくなると、お亡くなりになる方は増える気がします。しかし、人のいのちも、厳冬にのみ去りゆくわけではありません。落葉が秋のことだけではないように、人の死もまた、冬だけの話ではありません。一年を通して常に、阿弥陀さまの元に還って往くいのちがあります。

いのちは長短では計れない
いのちあるものは、やがていのち終えてゆきます。人間だけでなく、あらゆるいのちが。動物だけでなく、植物も同じです。
価値観という眼を持つ人間は、生の長さや短さ、その内容でもって、先往く人の人生を評価してしまいます。
 「あんなに頑張っている人が、若くして亡くなるなんて! 早すぎる死だ」
 「あれだけの功績を残したのだから、あの人の人生は充実していたね」
そんなセリフを耳にするとき、人は、他者(ひと)のことを、どこで見ているのだろう? と、考えてしまいます。

先月の寺報で、8月に亡くなられた田口弘さんのお話を書きました。全盲になりながらも、親鸞聖人の教えに出遇い、聖人の教えを一人でも多くの人に伝えることを大切に願われた僧侶です。56歳で亡くなられました。
 「死ぬには早すぎる」
 「まだやり残したことがあるだろうに」
などという声が聞こえてきました。  田口さんを慕うが故の、こころの底からの声であることは分かるのですが、そのような声に違和感もありました。そんなとき、田口さんと深い親交の あったある住職が、「彼は完全燃焼したんだよ。精一杯生きたんだ」と仰っているということを伝え聞き、ホッとした気持ちになりました。
いのちは、その長短や功績で、遺された者が評価をくだすものではありません。たとえ若くして亡くなっても、たとえ長生きしても、たとえどのような生涯を送ろうとも、終えて往くいのちは、すべてみな「完全燃焼」して「精一杯生きた」いのちなのです。先往く人は、完全燃焼し、精一杯生きた姿を、私に見せてくださっているのです。そこに、 自然に手が合わさりませんか?

物語も終わりに近づき
「終活(しゅうかつ)」ということばが流行り、自分の終焉について考える人が増えたと聞きます。「自分の死後、遺された者に迷惑をかけたくないから、葬儀について決めておきたい」と。それも終活のひとつでしょうが、果たして、何を遺して往くべきでしょうか?
落ち葉が掃き掃除されて、「きれいになりましたね」と喜ばれるような人生を送るのか。落葉した葉であっても、そこにいのちを感じてもらえるような人生を送るのか。
今までの生き方を見直したり、いのちについて考えたり。それこそが「終活」ではないでしょうか。

ネクタイの締め方はね、
9月に入り、長崎に住む伯父を亡くしました。人が亡くなるということは、とても大変なことです。そもそも、  迷惑をかけない死などありません。また、それでいいのです。遺された者の胸に悲喜こもごも想いを抱かせ、先往くいのちは、大きな海(あみだ)へと還っていきます。
9月末、出かける際にネクタイを締めていて、ふと思い出しました。学生の時、伯父にネクタイの締め方を習ったことを。ネクタイなどしたことがない私は、教わった通りに締めてみても、前が長くなったり、後ろが長くなったり・・・前が長くなりすぎて金太郎みたいになったりして。その度に、周りで見ていた伯父と伯母と母が声を出してゲラゲラ笑っていました。あのときのやりとりは面白かったなぁ。
今月のことばは、容体の急変した伯父に急きょ郵送したことばです。ことばが届いた翌日、息を引き取りました。棺に入れてくださったそうです。
いのちはみんな、母なる海に、私を包みこんでくださっている阿弥陀さまの元に還ってゆくからね。私もそのうち還るから。だから淋しくないよ。
南無阿弥陀仏

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掲示板の人形
リスとフクロウ
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