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2017年9月 3日 (日)

2017年9月のことば

9月になりました。
暑さは続きますが、朝晩の涼しさや、鈴虫の泣き声・トンボの飛来が、秋の訪れを予感させます。
季節の変わり目は、体調を崩しやすいです。皆様、お気をつけてpaper

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 あらゆる自由は奪われても
 念仏する自由は奪われない

自分の姿を受け入れて生きる
8月半ば 朋友の田口弘さんが阿弥陀さまのもとへ還られました。
7月の終わりに一緒に食事をし、8月の頭に一緒に勉強会に参加していました。「最近続けて会っていたのに、何を話したかなぁ・・・」。諸行無常を口にしながら、目の前にいる人(いのち)との時間を共有しているだろうか? と、振り返っています。

田口弘さん。真宗大谷派僧侶。幼少の頃より弱視で、やがて視力を失います。
弱視ということで、学校ではいじめを受けました。いじめる者たちを見返すために勉強に励み、優秀な高校に入学します。しかし、やがて成績も振るわなくなり、弱視である自分をみじめに思い、自殺を考えることもありました。
そのようなときに、長川一雄先生(真宗大谷派僧侶)と出遇われます。

田口さんが打ち明けます。
「せっかく一流高校に入って、いじめたやつらに勝ったのに、勉強が追いつかなくなった。私はもう自慢できるものがない、寂しい人間です」

長川先生は語りかけます。
「君は差別の意識をすごく持っている。自分は目が不自由で、つらいつらいって言うけれども、目が不自由な人のことをとても強く差別しているんじゃないか。君は目が不自由だということを悪いことだと思い込んでいる。そりゃあ、障害を持っている人は、世の中の競争では不利でしょう。だけど、世間の競争に参加するために君は生きているんじゃない。君が勝とうが負けようが、生きることを願われているんでしょう」
(真宗大谷派宗務所発行 「同朋新聞」2009年3月号より)

「自分の今の姿をちゃんと受け入れて生きるということが浄土真宗の教えなんですよ」と、長川先生に語りかけられ、自分を認めていないのは、自分自身であったことに目覚め、田口さんの聞法生活が始まります。
長川先生の勧めで京都の大谷専修学院に入学し、真宗大谷派僧侶となりました。学院卒業後、北海道の旭川別院で4年間勤めた後、東京に戻り、四谷坊主バーを始められます。お店ではカウンターのはじに座り、おもむろに立ち上がり、法話をされました。悩み事を聞いてもらいにお店を訪ねる方も後を絶ちませんでした。
「私と一緒に仏法を聞いてください。ともに親鸞聖人の教えを聞きましょう」という願いを、田口さんは持ち続けておられました。

私のことも見てくださっていたんだ
田口さんとの思い出話です。
田口さんを含めて仲間数名で食事をしていたときの話。メンバーの中の、独身者のお相手は、どのような女性がお似合いだろう? という話になった際、みんなは当たり障りのないことを言うのですが、田口さんは、個々の性格を驚くほどちゃんと見ていて、「〇〇君には、このような人がいいんじゃないかなぁ」と、誰もがうなる想いを述べられました。もちろん私に対してもです。
ある研修会に参加したときの話。 車で来ていた私に、田口さんから「品川駅まで送ってくれませんか?」と声をかけられ、お乗せしました。助手席に座っている田口さんが、「あ、今、どこそこを走っているね。ここは昔海でねぇ。子どもの時釣りをして遊んだもんだよ」と語り始めたのでビックリしました。もちろん正解です。

聞法の場に行くと、必ずといっていいほど田口さんがいました。田口さんを知る人は、「田口さん、こんにちは」と声をかけます。恥ずかしい話、私は、みんなのように自然に声をかけることがなかなかできませんでした。そんな私のことも、田口さんはちゃんと見てくださっていたのだと思います。車で送っているときに話していて、「田口さんには、私たちに見えていないものが、ちゃんと見えているんだ!」と感じました。

念仏する自由
私たちはよく「自由」を口にしますが、果たして「自由」って何でしょう?
「自分の人生だから、何をしたって自由だろう!」「自分のやりたいようにできなくて不自由だ!」などと言いますが、多くの人々(いのち)と交わりながら生きている私です。私の思いだけがまかり通るはずもなく、私だけが不自由を感じているわけでもありません。
目が見えない不自由さから、他者に対する怒りやねたみを、田口さんは かつて持っていました。しかし、長川先生との出遇いを縁として、他者だけでなく、自分自身をも傷つけながら生きてきたことに気が付きます。
人間とは厄介なものです。自由を奪っていたのは、実は自分自身でした。 自分で自分を認められない。その不自由さは、大きないのちに守られながら生きていることに気付いていないゆえに生じます。

「念仏する自由」とは、「『南無阿弥陀仏』と念仏する自由」という意味ではありません。念仏は、すべての生きとし生けるものを救いたいという阿弥陀如来の願いです。阿弥陀の眼には、すべてのいのちが平等に見えています。私を救いたい、私を守りたいという大きな願い。その御手に包まれながら、今、 私はここに生きている。その温もりを、田口さんは、感じられたのです。
「念仏する自由」とは、私が私のままに生きられる自由。その自由は、誰にも侵されません。誰にも奪われません。阿弥陀さまに守られているのですから。念仏する生活を、田口さんは生涯尽くされました。南無阿弥陀仏

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柿の上で眠るネコ。ガラス細工です。
8月に長崎に行った際、大浦天主堂前の素敵なガラス細工をたくさん売っているお店で買ってきました。
祈りの丘 絵本美術館にも寄りました。
長崎にお出かけの際はぜひ!!

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