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2017年7月23日 (日)

誰だって、ひとりでは生きられないし、生きていない。

相模原市の「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺された事件から7月26日で1年。
昨年7月下旬は、東本願寺夏安居参加のため、京都で生活。26日早朝、起きてテレビをつけたら、この事件を報道していました。始めは、何が起こったのかすら理解できませんでした。

今朝(2017年7月23日)の「東京新聞」朝刊に、植松被告からの手紙の内容について記事が書かれていました。
植松被告からの手紙とは、東京新聞記者が横浜拘置支所に拘留されている被告に対して出した手紙への返信。

手紙には、「意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだ」とあり、差別的な考え方に変化がない旨、記事で書かれています。

「意思疎通がとれない」・・・果たして、どれだけの人間が、他者(ひと)と意思疎通をとれているというのでしょうか? 意思疎通がうまくとれない者どうし、それでも分かり合いたい、認め合いたいという意志を持っているからこそ、この世はさまざまな人間が、それぞれの世界で生きているのでしょう。

自分は意思疎通をとれている。その想い(勘違い)が、他者を非人間化してしまう。自分こそは人間であるという思いでいるのだろうか? しかし、他者を非人間として見ている者は、自分で自分を非人間化していることに気が付かない。

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