« 2017年6月の寺報より | トップページ | すうじ »

2017年7月 2日 (日)

2017年7月のことば

Dsc_0290
 ひとり一人が光に照らされている
 だからこそそれぞれの色に輝いている

『茶色の朝』
ここに一冊の本があります。『茶色の朝』という本です。

 『茶色の朝』(大月書店)
  フランク パヴロフ・物語
  ヴィンセント ギャロ・絵
  高橋 哲哉・メッセージ
  藤本 一勇・訳

本の大筋を語ってしまうことになりますが、紹介させていただきます。

登場人物は主に「俺」と「シャルリー」。ふたりは、カフェでたわいのない会話を楽しんでいました。あの話が出るまでは・・・。
シャルリーが告白します。飼い犬のラブラドールを安楽死させたと。理由は、茶色の犬じゃなかったから・・・。
「俺」自身、猫を安楽死させたばかりでした。白に黒のブチの。限度を超えた猫の増えすぎという問題解決のためには仕方がないと、「国の科学者たちの言葉」を信じたのでした。しかし、猫だけでなく犬までも茶色しか認めないと国が言い出したことに驚きを隠せません。
けれど、シャルリーは何事もなかったかのように振る舞っています。きっと彼の対応こそ正しいのだろう。「俺」の方が感傷的になっているにすぎない。

数日後、新聞『街の日常』が廃刊になりました。理由は、茶色の犬しか認めない国に対して、『街の日常』紙は、国をたたき続けたから・・・。
その後、『街の日常』の系列出版社がつぎつぎと裁判にかけられ、そこの書籍は全部、図書館や本屋の棚から強制撤去を命じられました。
街は、徐々に茶色の生活に染まります。そのことに対する違和感はしだいに薄れていきます。

ある日、シャルリーが新しい犬と一緒にあらわれました。鼻の頭からしっぽの先まで茶色の犬と。同じ日、「俺」も新しい猫と一緒でした。茶色の瞳と茶色の毛並みの雄猫と。ふたりで笑い合い、すごく快適で安心した時間を過ごしました。
街の流れに逆らわないでいれば、安心が得られて、面倒にまきこまれることもありません。茶色に守られた安心。それも悪くないなと思いました。

ある日、信じられないことが起こります。シャルリーが自警団に捕まったのです。理由は、“前に”茶色ではなく、黒の犬を飼っていたから・・・。
“前に”飼っていたことで違法になるならば、「俺」も自警団の餌食だ。冷や汗がひとすじ、シャツを濡らします。
『茶色ラジオ』が報じています。
「時期はいつであれ、法律に合わない犬あるいは猫を飼った事実がある場合は、違法となります」と。

「俺」はひと晩中考えた。
「茶色党のやつらが、最初の【ペット特別措置法】を課したときから、警戒すべきだったんだ。いやと言うべきだったんだ。抵抗すべきだったんだ。でも、どうやって? 政府の動きはすばやかったし、俺には仕事があるし、毎日やらなきゃならないこまごましたことも多い。他の人たちだって、ごたごたはごめんだから、おとなしくしているんじゃないか?」

だれかがドアをたたいています。こんな朝早くに・・・。 
(あらすじ、以上)

ドンドンドンドンッ!
茶色は、フランスではナチスを連想させる色であり、そのイメージが元になり、今日ではもっと広く、ナチズム、ファシズム、全体主義などと親和性をもつ「極右」の人々を連想させる色になっているそうです。レイシズム(人種差別主義)に基づく排外主義を主張します。
1980年代、ジャン=マリー・ルペン率いる極右政党・国民戦線が支持を集め始めます。1998年の統一地方選挙では国民戦線が躍進し、保守派の中にこの極右政党と協力関係を結ぼうとする動きが出て来ました。そのような時代に、著者であるフランク・パヴロフは、強い抗議の意思表示として『茶色の朝』を出版しました。
(参考、高橋哲哉氏の寄稿より)

現代社会は、国と国との関係を見ても、国内に於ける人間関係を見ても、排他的な雰囲気が漂っています。自分ファーストであるために他を排除し、或いは、他を自分色に染めようとしています。
権力や財力を持つ一部の人間の思惑により、民衆がひとつの色に染められようとしています。そのことに疑問を抱いたり、疑義を呈したりして面倒に巻き込まれることはゴメンとばかりに、民衆の多くも思考を停止させて、大きな流れに乗り、安心を得たつもりになっているかのようです。
思考停止の果てに、おかしい!と気づいたときには手遅れです。そんな状況になっても「俺」は、仕事や日常のこまごまとしたことのせいにして、茶色に染めようとしている大きな流れに抗わなかった自分を弁護するのでしょう。
朝早く、家の玄関のドアをたたく音で起こされないために、私たちにできることは? 私たちは、物事に驚いたり、違和を感じたりする能力を持っています。「これはどういう意味?」「これっておかしくない?」という感性や感覚を失いたくありません。思考停止は、茶色の朝の訪れを意味します。

光に照らされてある私 
個性を色にたとえ、「自分の色を出して!」などと言いますが、実は物体そのものに色はありません。物体が光に照らされて、その反射によって色として認識されるのです。つまり、光に照らされているという事実が、それぞれの色(個性)を持つ私を生みだしています。誰かに、強大な権力に、無理矢理特定の色で染められてしまうような私ではありません!

   

掲示板の人形
『茶色の朝』の中に猫が出て来たから、というつもりではありませんが、今月は木製の猫の人形を飾っています。
真ん中の、子猫を抱えた猫は、どこで飼ったかなぁ? 覚えていません。
左右の猫は、一昨年、タイのナイトバザールで買ってきました。また行きたいなぁ
Dsc_0288

« 2017年6月の寺報より | トップページ | すうじ »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 2017年6月の寺報より | トップページ | すうじ »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ