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2017年6月 7日 (水)

「こうしなければいけない」ってことはないですよ。自然に身が動きますから。

喫茶店にて。隣のご婦人3人の聞くともなく聞こえてくる会話。

「お仏壇のお花、うち造花にしてるわ。だって、本物の花じゃもったいないじゃない」
「あら、造花はダメよ。うちは生花よ。命日の時だけだけど」
「こうでなくちゃダメってことないでしょう。その家 その家のやり方でいいわよねぇ」
「そうよね」
「そうよね」

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お内仏(お仏壇)に「造花」はやめておきましょう。造花にしてしまうと、お花を替えなくなります。つまり、手を合わせることがなくなってしまいます。
お内仏やお墓で、お花は私の方に向けて挿していますよね。亡き人に対してお花を供えているつもりが、自分に対して向けられています。それはつまり、亡き人からいただきものをしているということだと思います。
「有限ないのちを、どのように生きていますか?」という問いかけであったり、
「何か困ったことがあったんじゃないの?」という呼びかけに応える場であったり(お内仏は、愚痴をこぼしたり、弱音を吐いたり、感謝の想いをそっとつぶやいたりする場所。結局は、自分を見つめる場所。自分に出遇う空間)。
お内仏のお花、造花を挿して満足してしまわずに、たとえ一輪でもいいから生きたお花を挿して、毎朝お水を足してください。すると、自分の居場所が生まれます。愚痴ったり、弱音を吐いたり、感謝したり…誰かに言えなくても、口に出来る場所があるって、大切なことです。お内仏は、亡き人の供養のための箱ではなくて、私と向き合う鏡なのかしれません。
そういうふうに感じられれば、そもそも「造花でいいわよね!」「造花じゃダメなの?」「命日だけでいいわよね!」「毎日あげなくちゃダメなものなの?」「個々のやり方でいいわよね!」「決まりはあるの?」なんて疑問は出てこないことでしょう。

冠婚葬祭の習慣や作法など、気になってネットで調べる人は多いけれど、結局、できること・納得できることは「なるほど!」と受け入れるけれど、できないこと・納得できないこと・面倒くさいことは、「こうでなくちゃダメってことないよね」「個々のやり方でいいよね」「やってられないし」って、自分の都合の方が勝ってしまう。

我が家に手を合わせる場所があることって、落ち着けていいですよhappy01

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箱形のお内仏でなくても、名号があれば充分だと思います。
私は、学生時代、ひとり暮らしをしているとき、母が渡してくれた阿弥陀さまをお飾りして、ときにお花を一輪刺して、毎朝毎晩手を合わせていました。
学生時代、つらいとき、淋しいとき、嬉しいとき、手を合わせる場所があって、こころの寄り所がありました。
もっとも、京都にいたわけですから、時間があればご本山(東本願寺)に行って、阿弥陀さまや親鸞さまの前に座って手を合わせていました。南無阿弥陀仏
幸せな時間(とき)でしたnote

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