« 2017年6月のことば | トップページ | 人間が苦悩を生きるという姿は、昔も今も変わらない。そして、これからも »

2017年6月 3日 (土)

木を見て森を見ず

善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや。
(『歎異抄』第3章)

親鸞は父母の孝養のためとて、一返にても念仏もうしたること、いまだそうらわず。
(『歎異抄』第5章)

親鸞は弟子一人ももたずそうろう。
(『歎異抄』第6章)

さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし
(『歎異抄』第13章)

 bud

親鸞聖人のことば
『歎異抄』に載っていて、その解釈がいろいろ成されたり、いろいろと疑問を投げかけられるところ。
自分も、自分なりの解釈・受け止めを書いたことがあるけれど、
「解釈を読んで詳しく知ること」を要点にしてしまうと、
 親鸞聖人が仰っているように生きなければ!
 親鸞聖人の言っているようには生きられません
 親鸞って人が言ってることは難しいね、分からないね、おかしいね
と、出来るか出来ないか、分かるか分からないか、
自分を、人生をより良くするために
といった見方になってしまう。
『歎異抄』全体を通して読んだとき、ひとつ一つの細かな解釈よりも、その根底に
「人は、無量 無数の縁をいただくなかで生まれ、生きている」
ということを仰っているのだなぁと感じられる。

ことばの解釈で足を留めるてしまうのではなくて、「縁を活かされているんだなぁ!」「縁を生きているって、どういうことだろう?」という気持ちも根っこに持って、『歎異抄』を読むと、今までとは違う世界が開かれてきます。と、思います。
南無阿弥陀仏

« 2017年6月のことば | トップページ | 人間が苦悩を生きるという姿は、昔も今も変わらない。そして、これからも »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 2017年6月のことば | トップページ | 人間が苦悩を生きるという姿は、昔も今も変わらない。そして、これからも »

フォト
2018年11月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30  
無料ブログはココログ