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2017年6月 4日 (日)

人間が苦悩を生きるという姿は、昔も今も変わらない。そして、これからも

東京新聞 2017年6月4日(日)朝刊 「こちら特報部」のコーナーにお寺の今後について特集されていました。
若い僧侶に経営を指南する「未来の住職塾」のことが丁寧に書かれています。
塾を設立された松本紹圭さん(浄土真宗本願寺派光明寺僧侶)は、「『寺(の現状)は厳しい』とぼやいても始まらない。まず自分の寺にはどんな良い点、悪い点があるか見つめ直し、取り柄をどう生かせばいいのか真剣に考えてほしい。」と語られています。

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社会的に、お寺の現状が露わになったのは、僧侶を35,000円の定額で派遣する「お坊さん便」が、ネットのアマゾンで出品されたあたりではないでしょうか。(もっと前からか)
全日本仏教会が「宗教行為を商品にしている」と、アマゾンに販売中止を求めましたが、布施の不明瞭さに対する不信感からか、全日本仏教会への抗議が殺到しました。
全日本仏教会としては、当然の対応だとお察し致します。「時代の流れで仕方がない」なんて、表明・表現できるわけがありません。
しかし、社会の中で生活を営み、僧侶として生計を立てている一個人からすると、「もはや抗うことはできない」とも感じています。だって、僧侶である私たちも、読みたい本はネットで注文・聴きたい音楽はネットで配信・欲しい物もネットで注文・SNSでつながって深い人間関係はちょっと苦手なんて生活をしているわけです。
本屋さんやレコード店(CD屋さん)、町の商店街の店々は、どんどん姿を消していきます。経営を続けるために、なんとかしなければ、と思った店主さん・そのご家族もいたことでしょう。しかし、万策尽きてお店を畳む、子どもに継がせず自分の代で店を閉じる。そうして、姿を消したお店は多々有ります。
お寺も、既に寺じまいが進んではいます。しかし、町の、近所の店々がお店を畳んだスピードから比べると、まだゆるやかです。だから、「未来の住職塾」で経営や、寺のあり方を学び、それを生かす余裕(?)がまだ残っています。

「諸行無常」…「この世の全てのものは、移ろい、姿を変え、やがて滅び行く。常なるものは、なにもない」と説いていながら、変化を恐れ、変化に驚き、変化に戸惑っているのが、お寺の現状かもしれません。
しかし、何事も表に見えないところの動きはあるものです。「未来の住職塾」の門を叩く方も年々増えています。それぞれのお寺で、お寺がどうあるべきか、何が出来るのか、模索し、行動に移している僧侶もいます。
お寺は姿を変えても、そこにお釈迦さまの教えは流れ続けます。教えを自ら聞き続け、伝えるものとして努める。それが僧侶の役割です。逆に言えば、聞法を抜きにして、お寺の存続だけを考えていては、お釈迦さまの教えが抜け、中味の無い伽藍だけになってしまいます。
もっとも、社会の人々が寺を、風景としての寺 観光対象としての寺として求めるのであれば、中味の無い伽藍だけのお寺でも(お寺をこそ?)受け入れられることでしょう。
そうではなくて、教えを求める人がいる限り、聞法を続ける(教えを大切にする)僧侶が不要となることはありません。
いずれにしても、現代(いま)は過渡期です。

なんて言うと、亡くなった広瀬先生に笑われるだろうな。
「教えの存続が危ぶまれるのは、今に始まったことではありません。それに、親鸞聖人自身が流罪に処されるなど、聖人はいのちがけで教えを守られたのです。聖人がおかれた状況からすれば、今の状況は危機や過渡期だなんて表現出来ませんよ」
師との出遇いは、自分の往くべき道を指し示す。

教えを聞き続けていれば、困難にぶち当たったときに、その大切さが、意味が身にしみてきます。
南無阿弥陀仏

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