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2017年6月14日 (水)

聖人君子

前川喜平・前文部科学省事務次官が、いかがわしいお店に出入りしていたと報道され、「そのような店に出入りしている人間の言うことが信じられるか!?」という論調の記事が書かれている。
そういうことに目くじらを立てるのに、罪を犯した人間が国政に立候補して、また当選するということもたびたびある。そういうところは、あまり突つかない。つまりは、嫌いな人間・自分(自分ら)に不都合な人間に対しては容赦ないということの表われなのだろうか。

高位の肩書きを持つ友人に、「いかがわしいとされるお店への入店は気をつけなよ。誰が見張っているか分からないよ」なんて冗談を言いました。
するとその友人が、「そんなこと言いだしたら、官僚の高位に就く人とか、国会議員も、医者や警察や学校の先生や、お坊さんもだね、聖人君子しか成れないよねぇ」と言いました。
そのときはすぐに「そうだねぇ」と、応えました。

で、しばらくして、ふと思いました。
やましいことや隠し事のない立派な人間を「聖人君子」と称するけれど、そもそも「聖人君子」って、そんな完璧・潔癖の人のことなのだろうか?という疑問が湧いてきました。
「聖人君子」といえど、いかがわしいとされるお店に行く人もいるのではないか。隠し事のひとつやふたつ、あるんじゃないか。なんて思いました。
「だから、そんなのは“聖人君子”とは言わないんだよ」という人もいると思うけれど、
叩けばホコリが出る「聖人君子」がいてもいいじゃないか!と、思いました。でなければ、人の心が分からないでしょう。ホントに完璧・潔癖な人間がいたら、そうでない人間のために尽くそうなんて志すこともないでしょう。

だからこそ、人を救おう、平和を願おうという人が現われて、悩める人々を導いてくださったのではないでしょうか。

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