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2017年6月18日 (日)

「愛し」「美し」を「かなし」と読む 「かなし」が含む慈しみ

久しぶりに 柳宗悦さんの『南無阿弥陀仏』を拝読、感嘆。

「悲」とは含みの多い言葉である。 二相のこの世は悲しみに満ちる。そこを逃れることが出来ないのが命数である。 だが悲しみを悲しむ心とは何なのであろうか。 悲しさは共に悲しむ者がある時、ぬくもりを覚える。悲しむことは温めることである。 悲しみを慰めるものはまた悲しみの情ではなかったか。 悲しみは慈しみ(いつくしみ)でありまた「愛おしみ(いとおしみ)」である。 悲しみを持たぬ慈愛があろうか。それ故慈悲ともいう。仰いで大悲ともいう。 古語では「愛し」を「かなし」と読み、更に「美し」という文字をさえ「かなし」と読んだ。 信仰は慈みに充ちる観音菩薩を「悲母観音」と呼ぶではないか。 それどころか「悲母阿弥陀仏」なる言葉さえある。 基督(キリスト)教でもその信仰の深まった中世紀においては、マリアを呼ぶのに、‘Lady of Sorrows’の言葉を用いた。 「悲しみの女」の義である。

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