« 「愛し」「美し」を「かなし」と読む 「かなし」が含む慈しみ | トップページ | うけつぐ »

2017年6月19日 (月)

見えない部分、見えていない部分、見たくない部分の方が大きい

宮部みゆき 『模倣犯』より

人間が事実と真正面からから向き合うことなんて、そもそもあり得ないんだ。絶対に無いんだよ。もちろん事実はひとつだけだ。存在としてはな。だが、事実に対する解釈は、関わる人間の数だけある。だから、事実には正面も無いし裏側も無い。みんな自分が見ている側が正面だと思っているだけだ。所詮、人間は見たいものしか見ないし、信じたいものしか信じないんだよ。

 

何が正しくて 何が間違っているのかなんて、結局 答はないのだろう。
時代によって、集団性によって、環境や境遇によって、そのときの気分によって、人間の物の見方や考え方は、いとも簡単に変わってしまう。
考え方が変わるというのは、まだましかもしれない。考えているのだから。「今、何の問題も感じないから、面倒くさいこと考えなくてもいいじゃん!」という思考停止もあることを思えば。

同じ物を見ていても、同じ物を食べていても、感想はバラバラ。
所詮、人間は自分がかわいい。

事実の一側面しか見ていないけれど、その“正面”が、ほんのピンポイントなのか、見える範囲全体を見わたしているのかでも、見え方は違う。そして、考え方も。で、見えていない部分があるんだなぁということを知っていれば、さらに考え方が膨らんでくる。

« 「愛し」「美し」を「かなし」と読む 「かなし」が含む慈しみ | トップページ | うけつぐ »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 「愛し」「美し」を「かなし」と読む 「かなし」が含む慈しみ | トップページ | うけつぐ »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ