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2017年6月 2日 (金)

2017年6月のことば

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人間の愚かさは
何に対しても答えを持っているということです
ミラン・クンデラ

人間は弱い生き物
人間は、弱い生き物です。
不安定なもの、不確定なこと、原因不明なこと、予測不能の未来などに対して、私のこころを不安や恐怖が覆います。
それゆえ、原因を知りたい、先を知りたい、しっかりしたものが欲しいという衝動に駈られます。
そこで、自分なりの答えを用意します。経験に裏付けられた答えもあることでしょう。希望を込めた答えもあることでしょう。自分なりの答えで身を守り、安心を得、不安を取り除こうとします。
しかし、自分が納得できる、自分に利のある答えでしかありません。普遍性のある答えではありません。

私は正しい 争いの根はここにある
自分なりの答えを持ったものどうしが接すれば衝突が起きます。同じ答えを持った者どうしならば、衝突は起きないんじゃない? と思われるかもしれませんが、同じ答えを持った者の集団と、違う答えを持った者の集団ができ、結局は衝突が起きます。それに、同じ答えを持っていても、衝突は起きるものです。
現代(いま)、世界情勢がかくもきな臭くなっているのは、各国がそれぞれ自分の答えを持ち、自国第一を前面に押し出した姿勢で、対話・交渉・会議に臨んでいるからではないでしょうか。自国優先の妨げとなる答えを持つ国は受け入れられず、自国の答えを否定する国は攻撃の対象になってしまいます。
「答え」とは、その答えを持つ者にとっては「正義」と言い換えられます。「正義」を揺るがす者は、「悪」なのかもしれませんが、それは、私から見れば「悪」なだけで、相手にとっては「正義」です。同様に、他者にとって私は「悪」に見えていることでしょう。私は私の「正義」を掲げているだけなのですが。
争いは、正義と悪の戦いではなく、正義と正義とが引き起こしています。

問いを持つということ
他国の生まれの人を蔑む。性的マイノリティ(社会的少数者)の方に対する無理解・不寛容。自分が、タバコが嫌いだからといって、喫煙者自体を嫌悪する。いかがわしいとされるお店に出入りしていれば、「あの人は信用できない人」と見下す。
自分の答えの範疇からはみ出す他者やマイノリティに対する憎悪感が、激しく噴き出しています。人はなぜ、かくも他者を傷つけるのでしょう。突き詰めれば、誰もが、他者とは代わることのできないいのちを生きています。そういう意味では、人は誰もがマイノリティ。差別される道理のある人なんていません。一人の弱さを隠すために集団を形成し、少数者・弱者を襲う。人は優しいのに、人々になると残酷になってしまいます。

「こういう人は嫌い!苦手!」という自身の感覚のみで他者を見て、識別・差別していては、そこに関係は結ばれません。もしかしたら、自分にとってかけがえのない人であるかもしれないのに。その人のことを知る前に拒否してしまうなんて、もったいないことです。
目の前にいる人に対して、「この人はどういう人だろう?」「どんな考え方をする人だろう?」と関心を持てば、「この人のことをもっと知りたい」と興味が湧いてきます。人と人とが関係を築いていくということは、問いを持つということから始まるのではないでしょうか?
今月のことばに倣うならば、「人間の賢さは、何に対しても問いを持っているということです」と言うことができるのではないでしょうか。

いのちを傷つける答え
 答えなんて そもそも無いのに
 自分なりの
 自分だけの答えで理論武装して
 それで身を守り、他者を傷つけ
 相手を私より下位において
 満足した気になっている。
 でも、それって結局
 取り繕った私で
 私自身をごまかしているだけ。
 「ありのままの自分でいいんだよ」  
 なんて うなづきながら
 うなづけない私がいる。
 差別されている誰かに涙して
 傷つく他者に手を差し伸べる
 そんな優しさを持っているのに、
 誰かを差別して
 他者を傷つけることで
 私を私たらしめようとしている。
 そんなことのための答えなんて
 私はいらない

となりの親鸞
2017年5月2日に開催された「真宗大谷派 東京教区 同朋大会」で、講師の中島岳志先生(東京工業大学教授)が語られた親鸞聖人を感じる眼が優しかったです。

親鸞聖人は、私の横に立って、いつも語りかけてくれる人だと思うんです。 「私は正しい。私に間違いはない」と、正解を、あるいは正しさを所有しようとしたとき、親鸞は「本当にそうなの?」と言ってくる人なんですね。 驕り高ぶって、自力の世界に立ち、 「私は正しい!」と言っている人間に対して、親鸞は厳しい人です。 でも、親鸞は、迷っている人には優しいんです。「私は分からない!」と思っているときに、「私は無力だ!」と思っている人に、親鸞は、「そうだよ、僕もだよ」と言ってくれる人なんです。 「となりの親鸞」は、悩み、もだえ、不安に駆られ、不安感・無力感を持ったときに、優しい手を差し伸べてくれる人。それが親鸞という人の実像ではないのかな、と思います。

※ミラン・クンデラ (1929年4月1日~  88歳)
  チェコ出身でフランスに亡命した作家
  代表作『存在の耐えられない軽さ』

   

掲示板の人形
カエルさんと、シンバルを叩く笑顔のピエロさんです。
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