ピアノの音色が鳴り響く瞬間(とき) 地球上のすべての いのち が平和でありますように
2017年6月12日(月) 元沖縄県知事・元参院議員の大田昌秀氏がお亡くなりになりました。
92歳 亡くなられた日は、誕生日でもあったそうです。
知事在任中、敵味方を問わず沖縄戦の全戦没者20万人以上の名前を刻んだ「平和の礎(いしじ)」を、激戦地の糸満市摩文仁(まぶに)に建立。反戦平和に力を尽くされました。
以下「東京新聞」 2017年6月13日(火)より
「評伝」
学徒兵として動員された熾烈な沖縄戦を原点に「基地の島」と化した沖縄から恒久平和を希求し続けた。知事在任中には、市街地の真ん中に位置する普天間飛行場の返還を国に訴え、日米両政府の返還合意では陰の立役者となった。ただ存命中に普天間返還を見届けることはかなわなかった。
コラム「筆洗」
万歳三唱ほど時代から消えた風習はないかもしれない。かつては会社の送別会や、結婚式などでもバンザイ、バンザイとやっていたのだが、最近はとんとお目にかからない
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ぎりぎり万歳が生き残っている場所はおそらく政界だろう。衆院解散となれば、本会議場でこぞって万歳を唱える。何も国会議員に限らぬ。どんな選挙でも当選すれば候補者への花束贈呈、続きまして万歳三唱というのがお祝いの運びである
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選挙で勝っても万歳を絶対に口にしなかった数少ない人が亡くなった。元沖縄県知事、元参院議員の大田昌秀さん。92歳
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学徒兵として動員された熾烈な沖縄戦。味方の兵が住民の食料を奪う。壕から住民を追い出し、自分たちが使う―。目の当たりにした非人間的な出来事を出発点に反戦平和を生涯をかけ訴え続けた
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かつての選挙で、万歳ではなく、カチャーシーで当選を祝ったのは万歳という行為がいやでも「戦争」に結びついてしまうためだと聞いた。一方的で強制的なかつての万歳の裏側で、どれだけの命が失われたか。それを唱えぬかわりに唱え続けることを選んだのは沖縄を基地の島としないための異議だった
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防空壕の外にピアノがあった。誰かが学校から運んできた。空襲の合間、友人が弾いてくれた。人間を取り戻せる時間だったと書いている。今、その曲を静かに聴いていらっしゃるか。
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