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2017年5月20日 (土)

謙遜なのか、私以外のなにかを貶めているのか…

「はした金」という言い方があるけれど、お金に はした(端…中途半端)なお金など無いのでは。大切なお金。
お金や経済にに振り回されてしまう私の方にはした(中途半端・どっちつかず)な姿が!!

「愚妻」なんて言い方があるけれど、私も「愚夫」なわけで。
他者(妻)のことを「愚妻」などと言うのなら、「愚かな私と一緒になってくれた妻」という気持ちを伝えなければ。
あるいは、「私と一緒になるという愚かな選択をさせてしまって申し訳なかった。最愛の妻よ!」と

「拙寺では」なんて表現する住職がいるけれど、
門徒さん(檀家さん)が一生懸命守ってきたお寺を、預からせていただいている身分の者が、「拙寺」だなんて、侮辱も甚だしいのでは。
自分が切り開いて、運営して、上手くいっている職場を「拙社では」と言うのなら、ただの謙遜でしょうが、
お寺は、代々大切に守られてきた場。そのことを想えば、とても「拙寺」なんて表現は出ないでしょう。
「私がこのお寺で、これだけのことをやってきた! やっている!! すごいでしょ!!!」という思いが、「拙寺」と言わしめているのかもしれない。
「住職、あなた このお寺を守ってくれているようにはとても見えないから、出て行ってください」なんて(門徒さん・檀家さんの何%かは忘れましたが)言われたら、出て行くしかない私(住職)なのに。

親鸞聖人がご自身のことを「愚禿(ぐとく)」と名告られたことを想います。

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