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2017年4月29日 (土)

ろくでもない

自民党議員の相次ぐ失言・暴言。
自民党・伊吹文明議員が、所属する二階派の総会で、政治家として発言の際に気をつけることを「6つの“た”」で述べたとのこと。

立場をわきまえること。
正しいと思っていることを話す時、
多人数の場で話す時、
旅先で話す時、
他人の批判をする時、
例え話をする時、
この6つの“た”を念頭にものを語れば、おかしなことにはならないはずだ、と。

なるほど上手いことを言うものだと思いました(←感心しないように!!)
しかしその訓示(?)って、「本心はどうであろうとも」ということが前提にありませんか?
「本心はどうであろうとも、この6つを心がけて ちょっと考えれば、していい発言か、NGな発言か判断できるだろ?」と、言っているように聞こえます。
「私たちは誰のために、何のために、どこのために議員をやっているのですか?」と、問いかけるのが年長者としての貫禄ではないでしょうか?

国会議員の失言・暴言・迷言があるたびに、謝罪がありますが、私は謝罪をする必要はないと思っています。
「あぁ、この人はそういう考え方をする人なんだ」ということが分かって、リトマス試験紙になります。失言・暴言・迷言のたびに、鬼の首を取ったかのように迫るのは、その人(議員さん)の内面を見えなくしてしまいます。だから、伊吹議員の「当たり障りのないような発言をするように」というような訓示(?)が出てくるのでしょう。

「謝罪の必要がない」と書きましたが、やらされてする謝罪は聞きたくないという意味です。
本当に反省して、どこが何が間違っていて、その発言で誰を傷つけ、自分が悪かったという想いが語られてこそ謝罪でしょう。
「俺のどこが悪いんだ、俺が何を間違ってるというんだ」って想いを表情に出しながら謝罪されても、それは謝罪とは言えません。

あ、それからSNS上だけで謝罪するのもやめてください。

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