« 夢うつつ | トップページ | 「生まれ出でよう」という願いは、根本の願い。本願である。 »

2017年4月27日 (木)

郷(居場所)に生きる

今村復興大臣が辞任し(更迭され)ましたが、個人的感情としては、議員辞職してほしいくらいです。
しかし、気に食わぬヒトを責めるだけならば、そこからは何も生まれません。
親鸞聖人は、世の中の様々な出来事を通して「自己を見つめよ」ということを言われた方だと思います。
今村復興相は、東日本大震災の被災者・犠牲者の方々が見えていませんでした。でなければ、更迭に至るまでの酷い発言が出るはずがありません。
人間が、いのちが見えていない・・・というところに私を置いたならば、私も見えていない人間が、いのちがたくさんあります。にもかかわらず、私に見えていなかったいのちのおかげで、今、私は生きています。
私は、ご縁をいただいて、私となりました。ご縁をくださった方々がいなければ私はいません。
そんな関係を、私も、目の前の方も生きています。
ひとり一人が、そのような身の事実を感じながら、いのちを尽くしたいものです。
被災された方々は、生きるうえでの郷(居場所)に出遇われた方々です。根っ子がしっかりあります。「故郷を捨てるのは簡単」と言えてしまう人は、自身に故郷を感じていないヒトです。根っ子がないのです。浮き草のごとく漂っているゆえに、つかまる所(権力)が見つかると、そこに執着します。大地に根付いているいのちを、羨ましく感じているのかもしれません(当人にそんな自覚はありませんが)。

« 夢うつつ | トップページ | 「生まれ出でよう」という願いは、根本の願い。本願である。 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 夢うつつ | トップページ | 「生まれ出でよう」という願いは、根本の願い。本願である。 »

フォト
2020年7月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
無料ブログはココログ