« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »

2017年4月

2017年4月30日 (日)

私を生きる・・・連綿と続いている

昨日 2017年4月29日(土) 西蓮寺永代経法要をお勤め致しました。
お参りくださいました皆様、ありがとうございます。
同じ空間で聴聞し、阿弥陀経をいただけたこと感謝申し上げます。
「白骨の御文」最後数行、まったく声が出なくなってしまい、失礼致しました。あんなの初めてです。アイコンタクトを送って、参勤の住職に続けて読んでいただけばよかったhappy01sweat01 今は快復致しました。


Dsc_0325


Dsc_0324


Dsc_0332


ご法話は 海法龍先生。いつもありがとうございます。
先生が配られたプリント。石垣りんさんの「ランドセル」。幼いうちから、人間は、たくさんの人と出会い、さまざまな経験をし、いろいろな想いを抱き、ひとり歩むのだなぁと感じました。ひとりだけど、独りではない。みんな違う人生を歩みながらも、みんなで歩む。


ランドセル 石垣りん

あなたはちいさい肩に
はじめて
何か、を背負う

机に向かってひらく教科書
それは級友全部と同じ持ちもの
なかには
同じことが書かれているけれど
読み上げる声の千差万別

入学のその翌日から
ほんの少しずつ
あなたたちのランドセルの重みは
違ってくるのだ

手を貸すことの出来ない
その重み

かわいい一年生よ。

2017年4月29日 (土)

ろくでもない

自民党議員の相次ぐ失言・暴言。
自民党・伊吹文明議員が、所属する二階派の総会で、政治家として発言の際に気をつけることを「6つの“た”」で述べたとのこと。

立場をわきまえること。
正しいと思っていることを話す時、
多人数の場で話す時、
旅先で話す時、
他人の批判をする時、
例え話をする時、
この6つの“た”を念頭にものを語れば、おかしなことにはならないはずだ、と。

なるほど上手いことを言うものだと思いました(←感心しないように!!)
しかしその訓示(?)って、「本心はどうであろうとも」ということが前提にありませんか?
「本心はどうであろうとも、この6つを心がけて ちょっと考えれば、していい発言か、NGな発言か判断できるだろ?」と、言っているように聞こえます。
「私たちは誰のために、何のために、どこのために議員をやっているのですか?」と、問いかけるのが年長者としての貫禄ではないでしょうか?

国会議員の失言・暴言・迷言があるたびに、謝罪がありますが、私は謝罪をする必要はないと思っています。
「あぁ、この人はそういう考え方をする人なんだ」ということが分かって、リトマス試験紙になります。失言・暴言・迷言のたびに、鬼の首を取ったかのように迫るのは、その人(議員さん)の内面を見えなくしてしまいます。だから、伊吹議員の「当たり障りのないような発言をするように」というような訓示(?)が出てくるのでしょう。

「謝罪の必要がない」と書きましたが、やらされてする謝罪は聞きたくないという意味です。
本当に反省して、どこが何が間違っていて、その発言で誰を傷つけ、自分が悪かったという想いが語られてこそ謝罪でしょう。
「俺のどこが悪いんだ、俺が何を間違ってるというんだannoy」って想いを表情に出しながら謝罪されても、それは謝罪とは言えません。

あ、それからSNS上だけで謝罪するのもやめてください。

2017年4月28日 (金)

「生まれ出でよう」という願いは、根本の願い。本願である。

ある新聞の人生相談に、妊婦さんの相談(というか愚痴・怒り)が載っていました。
ご法事に参列した折り、親戚からお腹の子に向かって、「おじいちゃんの生まれ変わりかも」と言われたり、手を合わせて拝まれたりした。無事出産できるかどうかで神経を使っている中、無神経な親類の態度に気持ちの持って行きようがないとのこと。親類とは普段から良いお付き合いをされているそうで、冗談でやったことだというのは分かっているんだけど、それにしても嫌な気分にさせられたとのことです。

私が相談されたわけではないので、私が何かしら答えるのもおかしい話ですが、ちょっとひと言。
「お腹の中の子に手を合わされた・お経を読まれた」らしく、それが腹が立ったそうです。世間的な表現をすれば、「縁起でもない」と思ったことでしょう。
でも、手を合わせることも、お経を読むことも、お経そのものの、死者・亡き人の供養のためのものではありません。どちらかといえば、迷いを生きている私自身に向けてのものです。教えに出遇えよと、お腹の中の子が、母に、父に、親戚に訴えているのでしょう。その子がいることによって、親戚は手を合わせたのですから。

お釈迦さまが、お母様のお腹の中にいるとき、両親は仙人に頼みました。「この子は将来どのような子になるであろう?どうかそれを教えておくれ」と。
すると仙人は、涙をこぼし始めました。驚いた父王が涙の理由を尋ねると、「この子は将来、修行者となり、さとりを得て、人びとを救いに導くお方となります。しかし、その頃には私の寿命は尽きていて、教えを聞くことができません。それゆえに泣いているのです」と答えました。
息子に王位を譲りたい父王・お妃としては、息子に出家されては困ってしまいます。それゆえ、修行者になろうなどという気を起こさせないように、すべてに満ち足りた生活を用意するわけです・・・。

お腹の中の子を通して、母も、父も、周りの人びとも将来を思い描きます。夢を託すというのは親の都合だけど、
どうかこの子が生きる世の中は平穏な世の中であってほしいと願います。そのためには、努力をしなければいけません。子を通して感じる他力に包まれ、先を生きる私は自力を思い切り尽くせます。「生きる」ことと向き合います。お釈迦さまという特定・特別の子のお話しではなく、子を通して、真面目に「いのち」と向き合います。
手を合わせるのは、お子さんからの願いだったのでしょう。お子さんもまた、「生まれ出でたい!!」という願いがあって、両親の出会いと重なったからこそ、「いのち」をいただきました。
お子さんを通して、私たちは呼び声を聞くご縁をいただきました。
「縁起でもない」ことではなくて、「縁起あればこそ」です。
南無阿弥陀仏

2017年4月27日 (木)

郷(居場所)に生きる

今村復興大臣が辞任し(更迭され)ましたが、個人的感情としては、議員辞職してほしいくらいです。
しかし、気に食わぬヒトを責めるだけならば、そこからは何も生まれません。
親鸞聖人は、世の中の様々な出来事を通して「自己を見つめよ」ということを言われた方だと思います。
今村復興相は、東日本大震災の被災者・犠牲者の方々が見えていませんでした。でなければ、更迭に至るまでの酷い発言が出るはずがありません。
人間が、いのちが見えていない・・・というところに私を置いたならば、私も見えていない人間が、いのちがたくさんあります。にもかかわらず、私に見えていなかったいのちのおかげで、今、私は生きています。
私は、ご縁をいただいて、私となりました。ご縁をくださった方々がいなければ私はいません。
そんな関係を、私も、目の前の方も生きています。
ひとり一人が、そのような身の事実を感じながら、いのちを尽くしたいものです。
被災された方々は、生きるうえでの郷(居場所)に出遇われた方々です。根っ子がしっかりあります。「故郷を捨てるのは簡単」と言えてしまう人は、自身に故郷を感じていないヒトです。根っ子がないのです。浮き草のごとく漂っているゆえに、つかまる所(権力)が見つかると、そこに執着します。大地に根付いているいのちを、羨ましく感じているのかもしれません(当人にそんな自覚はありませんが)。

2017年4月26日 (水)

夢うつつ

Dsc_0315

仏教は
都合よく生きられたら幸せだという
夢から覚める教えです

2017年4月25日 (火)

2017 親鸞聖人につどう 東京教区同朋大会

先日お知らせした東京五組の同朋大会もおかげさまで賑やかに開催されました。皆様ありがとうございます。
続きまして、東京教区同朋大会が2017年5月2日(火)に開催されます。

日時:5月2日(火) 12:00より受付 13:00開会 16:00閉会
会場:文京シビックホール(文京区春日1-16-21)
講師:中島岳志先生(東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授)
講題:となりの親鸞
参加費:1,000円

 memo

同朋大会チーフを務めさせていただいています。以下、呼びかけの文章です。

本年の同朋大会の講演は、中島岳志先生(東京工業大学教授)にお願い致しました。
阪神淡路大震災と、同じ年に起きたオウムサリン事件。1995年に発生した出来事を契機として、中島先生は研究者としての歩みを踏み出されました。
下記抄出した文章で、倒壊した家屋から位牌を探す女性のことが書かれています。「位牌」とは、私のこころを満たす物質的な何かではなく、混迷した世の中において、私の存在を丸ごと受け止めてくれる何かを求めている。そのことの象徴のように感じました。私の存在を受け止めてくれる何かを求めている、つまり、拠り処を見失っている私です。中島先生も、自分の存在意義を求めて生きる私の姿を「トポス(居場所)の喪失」と表現して、問題に向き合われています。
先生の書物を読んでいると、ご自身の生活体験を通して、そのときに出遇った「バラバラでいっしょ」「今、いのちがあなたを生きている」などの御遠忌テーマのいただきが、自分の言葉で語られています。親鸞聖人の教えの中に大事な何かを見出しておられる中島先生の話を伺いたいと思い、今年度教区同朋大会のお話をお願い致しました。
「親鸞聖人という方は、教えを分かったつもりになっている者には厳しく、分からないと落ち込んでいる人には優しく寄り添われる方ですね」と先生は言われます。その想いがこもった「となりの親鸞」という講題をいただきました。
今年度の東京教区同朋大会は、5月2日(火)文京シビックホールにて開催致します。ぜひお出かけください。
東京教区教化委員会 同朋大会企画会一同(チーフ 白山勝久)

 book

1995年に発生した阪神淡路大震災。20歳のときでした。大阪の自宅が被災しました。茫然自失状態にある中、地震から数日経ったテレビの中継に釘付けになりました。長田地区で、倒壊した家屋から必死で何かを探している女性が映し出されました。「何をお探しですか?」と問うレポーターに対し、「位牌です」と彼女は答えました。そのとき、私の中で地震以上の精神的な揺れが起りました。私が、地震がおさまった直後に探しだして手に握りしめたのは財布でした。私は、自分の精神的な〈弱さ〉に直面することになりました。バブルが崩壊し、戦後日本の「成長」物語が崩壊する中、何に依拠して生きていけばいいのか。震災を通して、茫漠たる不安を突きつけられました。私は「位牌です」と答えた女性を直視し、私の中の「空白」と向き合おうと考えました。これが宗教との出会いでした。
(『愛国と信仰の構造 全体主義はよみがえるのか』(集英社新書)「はじめに」より抄出)

 memo

Img375

Img376

2017年4月24日 (月)

私は、あなたの成長を想い続けています

「2017年4月23日(日)兵庫県伊丹市のマンションの一室で、40歳の父親と4歳の長女が死亡いているのが見つかった」と、夕方のニュースで報道していました。
長女の両親は離婚し、母親と暮らしていたそうです。4月23日は、父親との初めての面会日。そして、事件が起きました。

つらく悲しいニュースです。
離婚の背景は分かりません。
どうして父親が娘に手をかけて自死したのか、その理由も分かりません。
離婚の理由は、離婚した夫婦の数だけあります。
父親がしたことの理由も、想像はできても、当人の気持ちを知る術はありません。

何事にも、理由はさまざまあり、当人・当事者にしか分からないこと。仮にすべて理由を聞くことができたとしても、「子どもがいるのに、どうして離婚するの!?」なんて言う人も多い。
離婚は、悩んだ末のことでしょう。父親との面会も、母親にしてみれば苦渋の決断だったかもしれない。本当は嫌だったかもしれないし、会わせたい気持ちもあったかもしれない。
本当に、理由は当人にしか分からないのです。だからこそ、当人どうしで話し合う必要があるのだけれど、DVともなれば、話し合いなんてしてもいられない状況もある。そこに、一見正論な法で人びとの生活を縛ろうとする動きがあることに、はらわたが煮えくりかえる。

ニュースを聞いて、2017年4月12日(水)「東京新聞」朝刊「本音のコラム」を思い出しました。

親子断絶防止法の罠 斎藤美奈子

子どものいる夫婦の関係がこじれたとする。話し合いによる円満離婚が難しい場合、考えられるパターンは4つある。
 ①妻がひとりで出ていく。
 ②夫がひとりで出ていく。
 ③妻が子どもを連れて出ていく。
 ④夫が子どもを連れて出ていく。
①②はいわば「家族を捨てる」わけだから「ほかに好きな人ができたんです」というケースが多いかもしれない。
③はありがち。とりわけ妻が夫の暴力から逃れたい場合、これ以外の選択肢はないともいえる。
④はあまり多くない気がする。子どもは母親に任せておけばいいと考える父親は多いし、男性にとって子どもは仕事の足手まといだしね。
 「親子断絶防止法」をご存知だろうか。他の重要法案といっしょに今国会に提出が予定されている法案で、離婚して別々に暮らす親子の面会交流を促すのが主な目的という。離婚後の親権者は8割が母親。子どもと会えない父親からの訴えが増えているためらしい。つまり想定されているのは③のケースだ。「勝手に出ていったくせに子どもに会わせないとは何事だ」って話ですよね。
 一見正当な主張だが、法案を推進する馳浩衆院議員は「黙って子どもを連れて出て行くケースがあるが、それは基本的にはいけない」と語っている。結局は夫のための法案か。本当の目的は同居の強制かも。(文芸評論家)

斎藤美奈子さんのことばは、男性には耳が痛いこともありますが、でも的確です。目をそらしてはいけないことを、ズバリと言ってくださいます。
戦争法や共謀罪ばかりに意識が行ってしまいますが、家庭のこと・学校教育のこと・仕事環境のことに、政府は口を突っ込みすぎだと感じています。一見筋が通っているようなことを言っているけれど、実は全然人びとの生活が見えていないことを言っているのだから、私たちの生活は、政府が良いように作った法律に縛られてしまいます。
子どものためを想っているのか、自分第一で物事を主張しているのか。子どものことを想うなら、面会を求めるばかりではなく、影ながら子どもの成長を想うことも、たとえ離婚しても、父親としての努めです(もちろん、いろいろな状況がありますから、一概に言えることではありませんが)。

2017年4月23日 (日)

「私は悪人でした」と、言えるうちは、まだ悪の自覚がないのかもしれません

自分で気づける悪は、大したことはない。
自分で気づかないでしている悪こそ、大きい。
和田稠(わだ・しげし)先生

2017年4月22日 (土)

人間の愚かさは

人間の愚かさは、答えを知ったところにある。
高橋法信先生(東京五組同朋大会にて)

2017年4月21日 (金)

「汚れてるなぁ」という反省があって、「きれいになった」と感じられる

美しさって、始めから美しかったら、それを「美しいsign01」とは思わない(思えない)はずで、
汚れていた、散らかっていた、どうしようもなかった状態を知っているからこそ、
「あぁ、美しくなったなぁsign03」って想いが、感動が湧くんじゃないかなぁ・・・

過去の過ちをなかったことにして、
過去の出来事を、後世の人間が知ることを出来ない状態にして、
美しい国なんて、どうして言えるのだろう?

「美しい国(うつくしいくに)」
逆から読むと、
「にくいしくつう(憎いし苦痛)」
(同じネタを何度も使ってすみませんhappy01

2017年4月20日 (木)

東京5組 同朋大会 2017

sunおはようございますsun
ようやく暖かくなりましたね。
でも、昨日は日が沈んでからは寒かったですねtyphoon
お風邪召されていませんか? 天候不順の折、おからだご自愛ください。

さて、法話会のご案内です
2017年4月22日(土) 「東京5組同朋大会」が東京都練馬区にあります「真宗会館」にて開催されます。

日時:4月22日(土) 13:00より受付 13:30開会 17:00閉会
会場:真宗会館(練馬区谷原1-3-7)
講師:高橋法信先生(大阪市生野区 光徳寺住職)
会費:1,000円

お話しの他に、「東京5組坊守会によるコーラス」「東京5組 旧役員御礼・新役員紹介」がございます。
当日参加もできます。
真宗会館でお待ちしています。

Img372_2

2017年4月19日 (水)

見返りなんか求めてなかったはず。だって、もうもらってるんだから🎵

小学校の保護者会の会長が、児童の死体遺棄の疑いで逮捕されました。
その事件を受けて、今まで自主的に児童の見守りを続けてきた方、保護者会の役職に就かれた方が苦悩しています。
「自分も疑われるのではないか」「児童が挨拶をしてくれなくなった」「保護者会への風当たりが強くなる」…
自分がしてきたことを根底から覆されたのですから、苦悩・不安は当然です。
でも、子どもたちの安全を願って、子どもたちの未来を想って始められたこととお察します。
やはり、あなたがいてくださらないと、子どもたちは不安です。あなたがいてくれるから、安心です。
なによりも、子どもたちの笑顔から生きる元気をもらっていたのが私ではありませんか?
そんなに頑張らなくてもいいから、自らの行動に根を張りましょう✨

2017年4月18日 (火)

抑止力という暴力

北朝鮮が弾道ミサイルを飛ばすんじゃないか?とか核爆弾持ってるんじゃないか?とか、騒がしくなってきました。
今朝の番組で、日本で、シェルターが売れ始めているなんてことも言ってました。
核を持つことを「抑止力」と言います。使うつもりはないけれど、持っていれば敵国も下手なことはしてこないだろう、と。
北朝鮮にしてみても、「抑止力」として威勢を張っているのだと思う。しかし、現在(いま)近隣諸国やアメリカは、北朝鮮が何をしてくるか分からないと、危険な臭いを感じている。そんな状況になって初めて「抑止力」という「力」も、かなり力を持っているのだな、と感じている人もいるのではないだろうか。
でも、考えてみれば、日本もアメリカの核の傘に守られていて、原発を有するということは、(政府は否定するけれど)核を何らかに利用できる技術を有するということ。つまり、日本も核の「抑止力」という「力」を振りかざしてきたということ。いま、日本に住む人びとが感じている脅威・恐怖を、周りの人びとに感じさせてきたのかもしれない。
いま 私が感じている想いを、あなたに強いてきたのですね。
✏️
実際、核爆弾爆発させたら、その被害は甚大。自分の国にも降りかかってきますよ。
シェルターに入ったら、その後どんなタイミングで出るのだろう?と、いつも考えます。そんなときには、周りに誰もいないわけですよね(シェルターで避難できた人以外は)。
みんな、つながっているのに…

2017年4月17日 (月)

対話とは、相手との距離を無くすことではなく、相手との距離を知ること。痛みを無くすことではなく、痛みを感じること。

 book

「東京新聞」2017年4月17日(月) 本音のコラム

精神福祉法改正 宮子あずさ(看護師)

 昨年相模原市の施設で起きた障がい者殺傷事件を受けて、政府は措置入院後の患者の継続支援に警察が関わる、精神保健福祉改正案を国会に提出。医療よりも治安を優先する姿勢に、多くの当事者、医療者から反対意見が表明されている。
 そもそも実行犯の男性の精神状態については不明な点が多い。一方で、障がい者の生存を否定する言動を繰り返し、強い差別意識が確実に存在する。あの事件は障がい者に対するヘイトクライム(憎悪犯罪)と見るのが妥当であろう。
 にもかかわらず、政府は徹頭徹尾この事実から目を背けてきた。トップに立つ安倍首相は決して実行犯の差別意識を糾弾しない。それどころか精神疾患に原因を矮小化し、新たな差別すら生み出そうとしている。
 しかし、今の政権が好まれるのは、この矮小化のうまさにもあるのだろう。事件の原因を差別意識に求めれば、自らの意識を問わねばならない。誰にも障がいを否定的に捉える価値観はある。それを問い直す作業には痛みを伴う。原因を精神疾患、それも措置入院の問題とすれば、私たちは自らを問わなくて良い。
 常に問題の原因を外部に求め、人のせいにしたい人間の弱さに迎合する。シンゾーとドナルドはそんな政治家の筆頭に挙がる。問題の本質を見誤らないように、私たちは勇気を持たなければならない。

 book

「朝日新聞」2017年4月17日(月) 折々のことば(鷲田 清一)

理解し合えるはずだという前提に立つと、少しでも理解し合えないことがあった時に、事態はうまくいかなくなる。
『ラブ&ポップ』 村上龍

 対話は、他人と同じ考え、同じ気持ちになるためになされると考えると、いずれかが理解を断念したとき、対話は閉じられる。理解できなくてあたりまえ、むしろ語りあえば語りあうほど相手と自分との違いがより微細に見えてくる。それを対話だと考えれば、理解し合えずとも共にいられる場所は少し広がる。
鷲田清一

 pencil

私は、自分と価値観を異にする者・自分の想いを超える者に対して、警戒感や拒否感を抱いてしまう。
しかし、精神疾患を患っている方は、自身が苦しい思いをされている。他者を傷つけるつもりはない。
にもかかわらず、奇異の目で見てしまう(見られてしまう)。
価値観を異にする者・自分の想いを超える者に対処するには、遠ざけておいたり、強い権力で縛り付けてしまえばいい。そんな解決法を選んでしまう。相手から見れば、私こそ価値観を異にする者であり、自分の想いとは違うところで生きている者なのに。
自分を見つめることには苦痛を伴う。相手を非難してやりすごせば、痛みは伴わない。そんな私の姿を背景に、精神保健福祉改正案が提出され、数の力で通ってしまうだろう。
「他者(ひと)のせいにするのではなく、私を問い直す」。そんな当たり前のことを、よく表現してくださいました。と、「東京新聞」で宮子さんのコラムを読んだ後、「朝日新聞」を読んでいたら、鷲田先生のコラム(折々のことば)に村上龍さんの文章が。
人と人は、理解し合って関係を築くのではなく、理解し合えないところに立って関係を築いていくものではないだろうか。

2017年4月16日 (日)

男疾 男石(しっと)

「女の嫉妬はかわいいものです。それよりも、男性の嫉妬の方が怖いです。男どうしの嫉妬は、国をも亡ぼしますから。“嫉妬”という漢字、女偏にしないでほしいですね」(小池百合子東京都知事)

なぜか今になって、民進党が共産党との野党共闘路線に進んでいることに反対し、党を離党した方。

なぜか今、党の代表代行という役職にありながら、党執行部の憲法改正に関する姿勢に不満があるからと、役職を辞した方。要職にあるからといってすべて意見が聞き入れられるわけではないけれど、代表代行というポジションは、言うべき事を言って話し合う務め(努め)があるのではないだろうか。

どうも、自分が所属する党の代表が女性ということが受け入れがたいがゆえに、今、党を離れたり、役職を辞したりしているようにしか見えないのですが・・・

男の嫉妬は「男疾 男石」・・・不格好ですね。

2017年4月15日 (土)

その場にいてくれるだけで、私は力を尽くすことが出来ます

先日、鷲田清一先生の式辞を投稿しました。
それから、鷲田先生のことばを拾っていたら、2011年3月25日、つまり東日本大震災直後の、大阪大学卒業式での式辞に出遇いました。読んでいただきたい文章でした。

2017年4月14日 (金)

4月14日

2017年4月14日(金)
熊本地震から1年が経ちました。


Dsc_0278

花を見て、「きれいだなぁ」と思える。
それって、実はとても有り難いことなのかもしれない。
どうしたらいいのか分からない、何も手に付かない、大切な人が亡くなった(行方不明になった)状況になった時、花を愛でる気持ちは湧くのかなぁ
願わくは、誰もが「きれいだなぁ」「美味しいな」「嬉しいなぁ」って口に出来る日常に戻りますように

 pencil

千葉県我孫子市で、9歳の女の子が殺害された事件で、容疑者が捕まりました。
犯人(まだ容疑者の段階ですが)が捕まっても、彼女は戻っては来ません
つらいです
ことばになりません

2017年4月13日 (木)

花びらは散っても・・・

Dsc_0264
(真宗会館の掲示板)
 花びらは散っても
  花は散らない

いつでも どこでも 私は私
 いつでも どこでも 南無阿弥陀仏

2017年4月12日 (水)

器をからっぽにすること・余白をもつことが人に勇気を与えます

鷲田清一先生のことばは、毎日「朝日新聞」の「折々のことば」でいただいています。

2017年4月11日(火)は、出口治明さん(ライフネット生命保険株式会社 代表取締役会長兼CEO)のことば
基本的に、自分の器を大きくすることはできません。」を取り上げられていました。
見た瞬間、笑ってしまいました。なるほどなぁってsweat01

鷲田先生の箴言を受けとめると、
器の大きさが決まっているのであれば、いらないものを捨てて空っぽにして、容量を空ければいいsign01 こだわりを捨てれば、そこから見えてくるものがあるし、聞こえてくるものがある。今まで受け入れられなかったことも、スッと入ってくる、と。

器を大きくしようと努めたり、自分の器の小ささを歎いたり(気づいているだけでも立派です)・・・いやいや、その人の器の大きさって、基本的に決まっているのだから、大きくしようとしたり小ささを憂う必要もない。今持っている器の大きさを、活かせば良い。つまり、ありのままの姿でhappy01

毎朝刺激的ですが、今朝のは特に突き刺さりました。

その鷲田先生が学長をお勤めの、京都市立芸術大学の 平成29年度入学式(2017年4月10日)の様子・学長式辞が、HPに載っていました。
平成29年度 京都市立芸術大学入学式

鷲田学長のことばがしみこんできます。

以下、抜粋
 

太平洋戦争の終焉からおよそ半世紀後にみなさんは生まれましたが,この半世紀は戦後復興から高度成長を経て,さらには高度消費社会という「豊かな社会」をめざす道程でもありました。「豊かな社会」の行く末には「成熟した社会」が待っているはずでしたが,じっさいには〈貧困〉や〈格差〉など,20世紀には想像もしえなかった語が飛び交う社会に,21世紀に入りわたしたちは直面することになりました。

 これは政治や経済の複雑な事情が絡むことがらで,そのあまりの複雑さにわたしたちは茫然とせざるをえないところがありますが,他方で一つ,明確になったことがあります。それは確認するのも悲しいことですが,わたしたちが市民としての力をひどく損なってきたという事実です。

 ひとは生きものとして生きるため,生き延びるために,どうしてもしなければならないことがあります。食材を確保すること,食べたあとの排泄物を処理すること,新しく生まれる子どもを取り上げること,育てること,病に苦しむ人を癒すこと,老いゆく人を世話すること,死にゆく人を看取ること,もめ事を仲裁すること,災害に備えること,などなどです。これにはそれぞれ技というものがあって,それを身につけないと生きてゆけない。そういう技が人類の長い歴史のなかで,世代から世代へと伝えられてきました。

 20世紀の人類社会は,そのプロフェッショナルを養成し,そういう「いのちの世話」を彼らに委託することで,それらの技をより確実なものにしようとしました。出産や医療や看取りは医師に任せ,介護も専門スタッフに任せ,もめ事の仲裁は役所や弁護士に任せ,災害の備えは自治体や消防署に任せ,というふうにです。人びとはこのように社会のさまざまなシステムに依存するかたちで,「便利」と「快適」を手に入れてきたのです。

 そのことで「安心」は得られましたが,そこには一つ,落とし穴がありました。生き延びるためにだれもが身につけなければならないことをシステムに委託することで,わたしたち自身は自分の手でそれをなす力をどんどん失っていったのです。そのことをいやというほど思い知らしめたのが,あの東北での大震災と原発事故でした。災害や事故で社会の基盤が崩れたとき,自分で水や食材を調達することができない,火もおこせない,応急処置や看護もできない……そういう無力を知らされたのでした。「いのちの世話」という,だれもが日々なさねばならないことを,税金やサーヴィス料を払って社会のシステムに委託することを幾世代かにわたりくり返しているうち,みずからそれを担う能力をすっかり失ってしまっていたのです。

 もうおわかりかと思いますが,いまわたしたちが回復しなければならないのは,社会が提供してくれるサーヴィスをうまく「消費する」テクニックではなくて,「いのちの世話」を人びとが協力してなす技です。「消費」ではなく,自分たちの手で「つくる」ということです。「つくる」ことの技です。


2017年4月11日 (火)

お風邪を召しませんように

一日中雨が降っています。
風も吹いてきました。
寒いですね。
一旦暖かくなり、お花見に胸躍る気候になっただけに、
寒さが余計に身にしみます。

そんな雨の中、
外で仕事をしてくださっている方がいます。
外を移動して来てくださる方がいます。

屋内だからといって、楽に仕事をしているわけでもなくて、
誰かを想い仕事をしてくださっている方がいます。
私に代って仕事をしてくださっている方がいます。

一人ひとりの支えがあって、私の生活は成り立っています
南無阿弥陀仏

2017年4月10日 (月)

「みんなちがって、みんないい」  それはみんなが同じ場所にいて、一緒に過ごしている中で、違いを認め合うこと。

〔「東京新聞」 2017年4月9日(日)〕

伊是名 夏子さんエッセイ「障害者は四つ葉のクローバー」より

新しい出会いの4月。あなたの学校や職場に特徴のある人たち、いわゆる障害者はいますか? 私の子どもが通う保育園には、ぱっと見たところいないし、街なかでもあまり見かけません。障害者はみんなどこに行っているのでしょう。
私は小・中学校の9年間、養護学校(現・特別支援学校)に通いました。高校は普通高校に進学しましたが、校舎は階段しかない5階建て。古い車椅子をかき集め、私がよく使う階に3台常備しました。初めての移動教室。緊張しながら、まだよく知らないクラスメートに手伝いをお願いし、別の階の車椅子まで抱っこしてもらいました。
日に日に、私に声をかける人は増え、移動の時は近くの人が手を貸すのが普通になりました。おかげで私の友だちは、車椅子のサポートが自然にできるようになり、その後出会った障害者へも、気軽に声をかけられるそうです。
私にとって、常に人の手を借りる移動は大変なこともありましたが、みんなが一緒に過ごしたからこそ、お互いに助け合うことを学べたのです。障害のある人だけが通える学校や学級があり、障害がない人と分けられがちです。「みんなちがって、みんないい」とよくいわれますが、それはみんなが同じ場所にいて、一緒に過ごしている中で、違いを認め合うこと。過ごす場所が違うことではないのです。
障害の違いではなく、一人一人の違いを大切にすることで、みんなが自分らしく生きることを学べるのです。新学期だからこそ、学校では分けることが当たり前にならないよう、疑問を持ち、分ける時間と場所を減らしてほしい。貴重な学びの場を、たくさんの子どもたちに、つくっていきたいですね。「一緒にいないのが、おかしいよね」。それを合言葉にしませんか。

伊是名 夏子(いぜな・なつこ)さん
骨の折れやすい障害で電動車椅子を使いながら、神奈川県内で子育てに奮闘中


引用 以上

「お手伝いしましょうか」「困っていることはありませんか」・・・そんな声がけをしましょうというポスターを駅で見かけるようになりました。大切なことだと思います。でも、ポスター等でそのような呼びかけをしなければならないのは、なかなか声がかけられない現実があるから。つまり、障害を持った方に接する機会がなかったから。普段から接する機会がある方と、そうでない方との違いは大きい。障害を持った方との接点に限らず、歩くのもおぼつかないお年寄りであったり、小さなお子さん連れの親であったり、妊婦さんであったり、そういう方々との接点がないと、どう声をかけていいのか躊躇してしまう。みんな、棲み分けられたところで生きているのだなぁと感じる。反面、同じ境遇にある者、意見の合う仲間内での会話ははずむ。けれど、その外にいる者に対する関心は薄い。

金子みすゞさんの「みんなちがってみんないい」。
真宗大谷派では蓮如上人の500回忌法要の際に「バラバラでいっしょ」というテーマを発信。
個々の個性を認めつつも、みんなつながっているというメッセージだと思います。けれど、伊是名さんが仰るように、「みんなが同じ場所にいて、一緒に過ごしている中で、違いを認め合うこと」ができて「みんなちがってみんないい」のだと思う。みんな個性を生きているのだから、誰にも干渉されずに、我が道を行けば良い・・・ということではない。それでは「バラバラでバラバラ」になってしまいます。

みんな 一人一人が、それぞれの花を咲かせながら、実をつけながら生きているのですからcherry

2017年4月 9日 (日)

Kさん、ありがとうございます

私が寺に戻った当時、西蓮寺総代を務めていただいた方のご葬儀をお勤めしました
年齢的に、お別れのときを迎えるのが近いことは分かっていても、驚いたし、淋しい。。。
人生、人との出会いもあれば、人との別れもある
最近、出会いよりも別れが増えてきたかなぁ
寺に戻って20年を過ぎ、これまでお育ていただいた方々を送ることが増えてきた

「死は、誰の身にも起こり得ること」
「死も含めての生である」
「いのち あるもの、いつか いのち を終えて往く」
そういうことは分かっているし、そんな話を説いてきた
でも、20代の頃の受け止めと、50が近づいてきた今の受け止めでは、当事者意識が違う
日本人の平均寿命が、男性は80歳を超え、女性は87歳ほどだと言うけれど、当然、それまで生きない方も大勢いる
統計をとっているわけではないけれど、50代前半でお浄土に還られる方が多い気がする
「平均寿命で考えれば、あと30~40年くらいあるなぁ」とは思わない
「あと10年もないんだなぁ」という想いが強い
妻との、子どもたちとの時間を大切にしたいと、強く思うようになってきた

でもね、みんな阿弥陀さまのお浄土に還るんですけどねhappy01

2017年4月 8日 (土)

議論することに違いはないのだけど・・・

「けんけんごうごう」と
「かんかんがくがく」とを、混同しがちです。

「けんけんがくがく」とか
「かんかんごうごう」と誤用されているのを聞くことがたまにあります。

でも、難しいですよねcoldsweats01

「けんけんごうごう」は「喧々囂々」と書きます。
意味は、「大勢の人がやかましく騒ぎたてるさま」を言います。
そこには、議論の発展性が望めません。

「かんかんがくがく」は「侃々諤々」と書きます。
意味は、「正しいと思うことを堂々と主張するさま。また、盛んに議論するさま」を言います。
正しいことを堂々と主張し合うことも、議論の発展性が望めるとは言い切れませんが、まだ「なんとかしよう!」という意識が働いています。

国会でのやりとりが、「喧々囂々(けんけんごうごう)」なのか、「侃々諤々(かんかんがくがく)」なのか、見極める責任があります。

ちなみに、パソコンで「けんけんがくがく」「かんかんごうごう」を変換しようとしても、漢字に変換してくれません。
「けんけんごうごう」「かんかんがくがく」と入力すると、ちゃんと「喧々囂々」「侃々諤々」と変換してくれます。

2017年4月 7日 (金)

乖離(かいり)

原稿を書いていて、「乖離(かいり)」という ことばを使った。
AさんとBさんの想いが乖離している・・・遠く離れてしまっている。
そんな意味内容で「乖離」を使ったのだけど、原稿を読み直していて、「難しいかな? 意味が伝わるかな?」と感じました。

で、辞書を引いてみる。

かいり「乖離」お互いに反対の方向に動いてはなれること。「倫理と政治の乖離」 (『三省堂 国語辞典 第4版』より)

ちょっとビックリ!!
「乖離」とは、想いや こころ の距離が離れてしまっても、同じ方向を向いてのことだと思っていました。つまり、目的や目指すところは同じ。けれど、悲しいかな人間は、目的や目指すところが同じであっても、まるで違う行動に出たり、敵ではなく見方を傷つけてしまったりもする。と、そんなイメージを持っていました。
「お互いに反対の方向に動いて離れること」とは、向いてる方向が正反対なわけだから、目的や目指すところがそもそも相容れない状態・関係なのでしょうね。
思っていた以上に、「乖離」のパワーは激しかったです。

用例で「倫理と政治の乖離」とあるのには笑いました。笑えない話ですけど。
『三省堂 国語辞典 第4版』は1992年(平成4年)3月1日の発行です。25年後の日本の現状を見透かしたかのような用例です!(いつの世も 倫理と政治は乖離してるとも言えますが・・・)

2017年4月 6日 (木)

何を選択するか 正解はありません ただ、それぞれの人が、それぞれの場で、一生懸命に考えたうえで生きています

今村雅弘復興大臣の姿勢・発言が酷くて・・・
「(福島に)帰れない人はどうするんですか?」という問いに「どうするって、それは本人の責任でしょうが、本人の判断でしょうが。」
「自己責任ですか? 自己責任だとお考えですか?」という問いに「それはそうだと思いますよ。」。
国はできるだけのことはやっているのだから、と。

チェルノブイリの原発事故に際し、ウクライナ・ロシア・ベラルーシは、「チェルノブイリ法」を作り、原発事故の責任主体が国家であることを明記し、健康被害を受けた人・避難や移住をした人の補償に努めている。
そこまでやって、「国はできるだけのことをしています」と言えるのであって、日本の現状で そうは言い切れない。
「自己責任」というけれど、原発を稼働し、何か事があったら国や各自治体が責任を負うのではなかったか?
ここで「自己責任」を持ち出すということは、今後起きるかもしれない原発事故も、カジノで負けて家庭や生活が崩壊しても、今後結ばれるかもしれない貿易協定で日本の農業や医療や保険が崩壊して国民の生活をボロボロにしても、政府批判の話で盛り上がって捕まっても、すべて「自己責任」で済ますつもりなのだろう。恐ろしい未来が待っている。
復興大臣なら、いえ、議員なら、もっと聞くべき声が、見るべき姿が、感じるべきいのちがあるはずです。

〔『月刊 同朋』(真宗大谷派宗務所発行)2017年3月号より〕

福島を離れたひと
福島に残ったひと
それぞれの心のいま
 ふくしま子ども支援センター 県外避難者支援コーディネーター 三浦恵美里さんに聞く

東京電力福島第一原発事故の影響などで福島県外に避難している人の数は、2016年1月の時点で約4万人(福島県避難者支援課調べ)。ピーク時の6万人超(2012年)と比べれば減少しているとはいえ、全国にはまだまだ故郷の福島から避難されている方々が大勢います。
(中略)
震災から6年が経った今も、「当時の気持ちを思い出させる場所に行くと、つらかったときのことがフラッシュバックのようによみがえり涙が出ます。他のお母さん方も同じで、あのときの風、あのときの匂いを思い出してしまうと涙が出るという方がたくさんいる。どの方の中にも癒えない傷が残っています」と三浦さんは話します。
加えて、避難者ならではの心配や悩みもあります。その内容も、時間が経過する中で多様化してきているとのこと。親の高齢化で介護が必要になってきている、福島に残っている夫がうつ病になった、子どももママも学校や地域になじめない、子どもがいじめられている、住宅支援の打ち切りが差し迫っている―。福島に帰ってきてほしい父親と、子どものことを考えて戻る決心がつかない母親との間で心の溝が生まれた結果、離婚を選択するご家族もいるといいます。
(中略)
何を選択するのか、自分たちはどうするのかに正解はありません。正解はない以上、どの選択もその人にとって必要だったこと。いろいろな選択の結果、いろいろな5年間を過ごしてきて今があります。震災を乗り越えた人もいれば、そうでない人もいます。避難している人たちにしても、今年度で福島に戻る人、避難先に移住して根を下ろそうという人、先はまだわからない人などさまざまです。
「でも、どの人もそれぞれがんばって、自分なりに一歩一歩進んでいます。震災直後にいろいろな選択をせざるを得なかったのと同様、福島のママたちはこの先もまだいろいろなむずかしい選択をしていかなければなりません。そこに正解はないのですから、そのそれぞれの選択を大切にしてほしいと思います」(三浦さん)

2017年4月 5日 (水)

読めよ読めよ 聞けよ聞けよと 弥陀の声

坊守(母)が、門徒さん用の陶器の湯呑みを購入し、宅配便で届きました。割れ物ですから、丁寧に梱包してあります。緩衝材も入っています。
緩衝材って いろいろあります。空気の入ったビニール、シュレッダーで裁断された紙が入ったもの、新聞紙をクシャクシャに丸めたもの等々。
今回の主な緩衝材は、クシャクシャにした新聞紙でした。そのまま可燃ゴミの日に出せば、何の手間もありませんが、それができなくて・・・いつも、きれいにシワを伸ばして、畳んで、資源回収の日に出しています。
なんて作業をしていると、自然と新聞の内容に目が行きます。うちで購読していない新聞だったり、地方の新聞だったりすると、つい読みふけったりして。
今回は、広げながら「2017年3月11日」という日付が目に入りました。「あ、東日本大震災の日付だ!」と思いながら作業を続けました。震災に関する記事が脳裏を揺さぶります。すると、ふと「あれ! 今の佐々木隆道さんの写真じゃない?」と思い、手を止めました。記事は、佐々木さん(真宗大谷派僧侶)を取材したものでした。

 book

〔「朝日新聞」 夕刊 関西発(2017年3月11日)より〕

我慢せずに悲しめばいい
家族3人失った住職の祈り

岩手県陸前高田市の本稱寺(ほんしょうじ)。仮設のプレハブ本堂で、住職の佐々木隆道さん(53)は父の広道さん(当時76)、母の隆子さん(同75)、妻の宣子さん(同43)の遺影に手を合わせた。
「6年経ちました。子どもたちは元気にやってるよ」
檀家の約130人が震災の犠牲になった。津波にのまれた隆道さんは畳につかまって助かったが、寺も自宅も流された。避難した貸家で、高校生だった長女(23)と長男(21)と川の字になって寝た。3人で手をつないで寝ると、長女は毎晩のように声を殺して泣いた。
このまま気持ちを抑え込むと長女の心が壊れてしまう。深夜、ドライブに誘い、寺の跡地が見える所に車を止めて、一緒に声を上げて泣いた。1週間ほど続けると、長女は少し元気を取り戻した。「お父さんだけでも生きていてくれてよかった」と口にした。
震災前、隆道さんは「悲しみは時とともに薄らいでいく」と思い、葬儀の場で遺族らに語りかけたこともあった。自らも大切な人を失い、間違いだったとの思いが身にしみた。
ある日、車を運転していた時、スピードの出し過ぎを妻の宣子さんに注意された場所にさしかかった。思い出があふれ出し、そのまま車を止め、ハンドルを握りしめた。悲しみは何年たっても突然ぶり返してくるものだと知った。
だから、震災から1年ほど経った葬儀では、「うれしい時も悲しい時も、亡くなった人はそばにいてくれるから、我慢しないで楽しみ、悲しめばいい」と自らに言い聞かせるように伝えるようになった。
檀家とは昨年ごろから、ようやく当時のことを語り合えるようになった。カラオケが好きだった父の広道さんは、よくお酒を飲みながら、檀家たちと歌った。
「あっちでも大騒ぎしてるのかな」と笑い合う。
七回忌を迎えたが、「海を見るのが嫌だ」「悲しくて眠れない日がある」と打ち明ける檀家もいる。遺族の一人として整理のつかない気持ちはよく分かるから、こう伝えるつもりだ。
「生身の体はなくても、思い出すことでよみがえる。悲しみを抱きしめて生きていきましょう」

 book

あぁ、人間って こんなに泣けるんだ! 涙って 尽きないんだ! 不思議だなぁ
悲しい時は 思い切り悲しめばいい
嬉しいときは 思い切り笑えばいい
一緒に悲しみ 一緒に笑ってくれる人がいるから、悲しめるし、笑うことができる

このような形で佐々木さんの記事に、被災されたうえ大切な方を亡くした人びとの声に出会えるなんて!
出遇わせていただいたのですね
南無阿弥陀仏

2017年4月 4日 (火)

月夜に いい風に吹かれて

作家 夏目漱石氏は、英語の教師をしていました。
ある日の授業中、「I love you」を「我 君を 愛す」と訳した生徒に対して、「日本人はそんなことは言わない。“月が綺麗ですね”とでも訳しなさい」と言ったとか言わなかったとか。
典拠のある話ではないのですが、夏目漱石氏が 「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したという逸話が今に伝わります(なんて書いてますが、最近知った話ですcoldsweats01)。

 「私はあなたを愛しています」
 「あ、そうなんですかshock

 「月が綺麗ですね」
 「えぇ、そうですねlovely

  night

2014年に亡くなられた 俳優 高倉健さん。
「クローズアップ現代」の元キャスターだった国谷裕子さんが、高倉健さんにインタビューしたときのことを書かれています(『キャスターという仕事』 岩波新書より)

(国谷)「「ホタル」の撮影を終えられたばかりなんですけれども、これからはどういう作品に出たいと思いますか。」
(高倉)「まだ頭のなか、何も考えていないですね。もう嫌でも封切りの日が来ますから、その日が一番辛くなる日なんですけど。でもどっかでいい風に吹かれたいというふうに思いますね。」
(国谷)「いい風に吹かれたい。」
(高倉)「はい、いい風に吹かれていたいですね。あんまりきつい風に吹かれてると、人に優しくなれないですね。だからいい風に吹かれるためには、自分が意識して、いい風が吹きそうな所へ自分の身体とか心を持っていかないと。じっと待ってても吹いてきませんから。吹いてこないっていうのが、この頃わかってきましたね」

  typhoon

「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳すセンス
「これからはどういう作品に出たいですか?」という質問に「どっかでいい風に吹かれたい」と応える感性
テストや面接などの場面なら、×をもらうところでしょうが、でも、×ですか? 「あぁ、生きてるなぁ」って感じがしませんか? 
たまたま上記2つのエピソードを同じ日に知って、「お腹が空いているときに 美味しそうな料理の匂いが漂ってきたような気がしました」(←センス無し!!)

2017年4月 3日 (月)

守るとは、何を守るのか

2017年4月3日(月) 朝起きて、東京MXの「モーニングCROSS」を視聴。
田中康夫さん(元長野県知事)が「寛容な保守・偏狭な保守」「諌米・屈米」というタイトルで、LGBT・離婚・避妊を認めるローマ教皇フランシスコに“慈悲の心なし”と糾弾のマルタ騎士団&背後に控えるトランプ政権、日本について解説をされていました。
「保守とは本来、もっと奥深いもので、寛容なものである。今、保守と言われるものは、偏狭なものの見方で、自分の意見に合わないものをせめるだけになっている。また、アメリカとの関係における日本は、おかしいことはおかしいと、諫めることができる関係を持つべきなのに、アメリカに屈している(へつらっている)関係になっている」と、話されていました(私の聞き書きなので、田中康夫さんの言わんとしたことと違っているかもしれません)。
ローマ教皇の置かれている立場についても、現状の一端を見ることができました。
世界ではいろいろな動きがあり、知らないことの方が多いんだなぁという、至極当然のことを、朝から感じさせていただきました。

 book

〔「毎日新聞」 2017年1月22日〕

ローマ法王
欧米のポピュリズム台頭に警鐘

【ローマ福島良典】フランシスコ・ローマ法王はトランプ米新大統領就任に関連し、欧米社会におけるポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭について「危機の際には私たちの思慮が機能しない」と警鐘を鳴らした。22日付スペイン紙エルパイスのインタビューで語った。

 法王は、第二次世界大戦前のドイツにおけるヒトラーの権力掌握をポピュリズムの例とし、「ヒトラーが権力を盗んだのではなく、『壁や鉄条網で自分たちを守ろう』と国民が彼に投票したのだ」と分析。危機に直面して「国柄を回復できる指導者」を求める大衆心理の危険性を指摘した。

 トランプ氏について、法王は「先走って人を判断したくはない」「彼がどのように行動し、何を成すか、成り行きを見守ろう」と予断を避けた。
 
 一方、20日にトランプ氏にあてたメッセージで、法王は「人間の尊厳と自由を世界に広げようとしてきた米国」の大統領として「米国史を形作ってきた豊かな精神的、倫理的な価値観」に基づく政策を実行するよう求めた。
 
 また、社会的弱者に寄り添う「貧者の教会」路線の観点から、トランプ政権下の米国が「貧困者、疎外されている人々、支援を必要としている者」への思いやりと配慮を欠かさないよう呼びかけた。
 
 法王は昨年2月、メキシコ国境への壁建設を主張したトランプ氏について、「壁を造ることだけを考えている人はキリスト教徒ではない」と苦言を呈したことがある。

 book

〔「毎日新聞」 2017年2月6日〕

ローマ
法王批判の街頭ポスター、一斉に出現

【ローマ福島良典】フランシスコ・ローマ法王を批判する異例の街頭ポスターが、バチカンに近いローマ中心部で一斉に出現した。制作者は不明だが、法王のバチカン改革路線に不満を抱く保守派の影響を受けた人物とみられる。

 ポスターは3日夜から4日未明にかけて張られたとみられ、4日昼に伊メディアが報道。いかつい表情をした法王の肖像写真の下に、イタリア語のローマ方言で「お前のいつくしみはどこにあるのか」と糾弾文が印刷されている。キリスト教カトリック教会では昨年11月20日に「いつくしみの特別聖年」が閉幕したばかり。
 
 ポスターは、中世から続く騎士修道会「マルタ騎士団」の総長人事への法王の介入や、保守派の枢機卿が昨年11月に法王にあてた公開批判書簡に言及している。法王は離婚した信徒らの苦悩に寄り添う姿勢を示しており、教義の厳格適用を主張する保守派との対立が深まっている。
 
 法王と同じ修道会イエズス会のアントニオ・スパダロ神父はツイッターで「(ポスターは)法王がよくやっていることの証し」と指摘。「人心を法王から引き離そうとの魂胆だろうが、逆効果だ」と述べた。
 
 ANSA通信によると、ポスターのことを知った法王は「落ち着き、我関せず」の様子だという。ローマ市当局が「違法張り紙」としてポスターの撤去作業を始めている。


2017年4月 2日 (日)

核の傘に入らず、みんながひとつの傘に入れたらいいのに。果たして、そんな大きな傘はないのだろうか・・・

核軍縮・核廃絶の動きへ、どうして進めないのだろうか。
開発の進んだ核は、広島・長崎に投下された原爆の何倍もの威力を持つという。
そんな原爆が爆発したら、もはや標的に投下したその一国だけで被害は済まないだろう。つまり、ひとつボタンを押すだけで、地球全体に影響が出るものだと分かっているはずだ。
そう、分かっているうえで開発を進めている。核軍縮・核廃絶への道は選ばない。核だけでなく、兵器はお金になるのだろう。お互いが技術を競えば、開発は進む。「(仮想敵)国の技術が進んでいる」と危機感を煽れば、「じゃぁ、うち(の国)もより開発を進めなければ」という世論を生み出しやすいのだろう。核保有国であるアメリカのヘイリー国連大使が、核兵器廃絶への動きに賛同する人びと・国々に対して、「現実的になるべきだ。北朝鮮がこの条約に同意すると信じる人がいるだろうか」「国連総会議場に入った人たちはわれわれが直面している脅威を本当に理解しているのか」と述べたのも、核兵器開発への口実を作るためであろう。
経済のために作っているだけだから、本当は核保有国のどの国のトップも、核爆弾のボタンを押す気はないのかもしれない。けれど、持っていれば使いたくなるのがヒトの性。北朝鮮を名指しするけれど、どの国も同じ。だからこそ、核保有国は、お互いに疑心暗鬼にもなっている。だから、核廃絶への道を選ばない。
核を用いるにいたる戦争が起きてからではもう遅い。核保有国が、核兵器禁止のための条約交渉の場に参加しないという時点で、ボタンに指を乗せている現実がある。

ヒトは、立場が変われば、想いもことばも変わる。核賛同の集りの中にいたら、私も染まってしまうのだろうか・・・。
でも、今なら言える。「核は、やがて身を、国を、世界をほろぼす。核兵器は持つべきではない」。2017年4月2日述。

 pc

NHK NEWS WEBより(2017年3月28日発信)

核兵器禁止条約交渉 日本は不参加を表明
核兵器を法的に禁止する初めての条約の制定を目指す交渉がニューヨークの国連本部で始まりましたが、アメリカをはじめとする核兵器の保有国は参加せず、唯一の戦争被爆国として核廃絶を訴えてきた日本も参加しないことを表明し、核軍縮をめぐる各国の立場の違いが際立つ形となっています。

核兵器を法的に禁止する条約の交渉は、100か国以上が参加して27日から5日間の日程で始まり、初日はまず各国の代表や被爆者などによる演説が行れました。

しかし、会場の外では、アメリカのヘイリー国連大使がイギリスやフランス、韓国など20か国余りの国連大使とともに声明を発表し、改めて条約に反対する姿勢を示したうえで、「議場にいる人たちはわれわれが直面している安全保障上の脅威を理解しているのか」と述べ、交渉に参加する各国を批判しました。

また、日本の高見澤軍縮大使は会場で演説を行ったものの、核軍縮は核兵器の保有国と非保有国が協力して行うことが不可欠だとしたうえで、「建設的で誠実な形で交渉に参加することは困難だと言わざるをえない」と述べ、このあとの交渉には参加しないことを明らかにしました。

これに対して、交渉の参加国や被爆者からは、唯一の戦争被爆国である日本が禁止条約に反対し交渉にも参加しないことに、批判も上がっています。

今回の交渉にあたっては、核兵器の保有国と非保有国だけでなく非保有国の間でも立場の違いが際立つ形となり、核軍縮に向けた一歩となるのかは予断を許さない状況です。

広島市出身の被爆者「怒りを感じる」

日本が交渉に参加しないという方針を表明したことについて、国連などの場で核兵器廃絶を訴えてきた広島市出身の被爆者、サーロー節子さんは「日本は核軍縮に貢献していると話していたが、肝心なところを行っていない。北朝鮮の問題もあり、政治的な環境が整わないため、核兵器禁止条約は非現実的だと言っていたが、これまで完全に政治的な環境が整ったときはないし、おそらくこれからもない。それを待っていたら、いつまでたっても平和の話を進めることはできない。怒りを感じる」と述べ、日本の対応を批判しました。

日本被団協「被爆者の期待と全く逆」

日本が交渉に参加しないという方針を表明したことについて、被爆者の代表として国連で演説を行った日本被団協=日本原水爆被害者団体協議会の藤森俊希事務局次長は「日本政府はこれまで唯一の戦争被爆国という枕言葉をよく使ってきたが、その唯一の戦争被爆国は私たち被爆者が期待することと全く逆のことをしており、賛同できるものではない。日本政府は世界各国から理解が得られるよう、核兵器廃絶の先頭に立つべきだ」と述べ、日本政府の対応を批判しました。

国連本部前で集会

国連本部前では27日、核兵器廃絶を訴える国際NGOのメンバーなどおよそ30人が参加し、「核兵器はいらない」と書かれた横断幕を掲げたり、ビラを配布したりして、条約の早期制定を訴えました。

参加した市民団体のメンバーは「アメリカに対して条約交渉に参加するよう求めるため、この集会に参加しました。条約ができれば大きな前進であり、多くのアメリカ国民に賛同を求めたい」と話していました。

また、ニューヨーク在住の女性は「核兵器はたった一発でも甚大な被害をもたらします。核廃絶のとり組みはこれからの世界を担う若い世代にとても重要なことだと訴えていきたいです」と話していました。

国際的なNGO「核保有国に失望」

アメリカを始めとする核保有国やNATO諸国などの国連大使がそろって記者会見を行い、核兵器禁止条約に反対する姿勢を表明したことについて、国際的なNGOのICAN=核兵器廃絶国際キャンペーンのベアトリス・フィン事務局長は「核保有国などによる極めて異例な抵抗だ。国際社会の努力をほごにしようとするもので失望している。アメリカやイギリスなどは条約に反対するのではなく、核兵器をなくすためのリーダーになるべきだ」と強く非難しました。

そして、化学兵器やクラスター爆弾が国際法で禁止されたことを例に挙げながら、「まず核兵器を法的に禁止し、国際社会が拒絶する意思を示すことで廃絶が可能になる。核攻撃による影響は、国境を越えてすべての人に影響を及ぼす。禁止することで安全保障が達成される」と述べ交渉の意義を強調しました。

米国連大使 条約の交渉に参加の各国を批判

核兵器禁止条約の交渉に参加しないアメリカのヘイリー国連大使は、国連総会議場の外で、イギリスやフランス、韓国など20余りの国の国連大使とともに記者会見を行いました。

この中で、ヘイリー大使は「現実的になるべきだ。北朝鮮がこの条約に同意すると信じる人がいるだろうか」と述べ、北朝鮮が核・ミサイル開発を推し進める中で核兵器を放棄することはできないという姿勢を強調しました。

そのうえで、「国連総会議場に入った人たちはわれわれが直面している脅威を本当に理解しているのか」と述べ、核兵器禁止条約の交渉に参加する各国を批判しました。

2017年4月 1日 (土)

2017年4月のことば

Dsc_1076
勇気と 愛情と 信頼と 希望と、
ちょっとの悲しみがあれば、☆(ほし)ができるよ

「べっぴんさん」
NHK朝の連続テレビ小説「べっぴんさん」の放送が4月1日で終了しました。
主人公すみれは、幼い時に母を亡くします。優しかった母は、四つ葉のクローバーを手に取り、「四つの葉にはそれぞれ意味があるのよ。勇気、愛情、信頼、希望。それがそろったとき、幸せになれるのよ。忘れないでね」と、娘に語ります。
戦後の混乱期、刺繍が好きだったすみれは、子どもたちのために子供服の店(キアリス)を立ち上げます。3人の仲間と共に。お店のシンボルマークは、「四つ葉のクローバー」。4人で仕事を頑張っていこうね、という願いが込められています(子ども用品店「キアリス」のモデル「ファミリア」も、実際に4人の女性によって立ち上げられました)。

ほんこ(報恩講)さん
昨年11月、ご本山 東本願寺の報恩講(宗祖 親鸞聖人のご法要)に参拝したときの話。
子どもたちが楽しめるように、報恩講期間中、東本願寺には子どもテントが設営されています。缶バッチを作ったり、お絵かきや折り紙をしたり、風船やシールや子ども念珠をくれたり、紙芝居を見せてもらったり・・・。娘たちも、子どもテントで過ごす時間を楽しみにしています。「報恩講」とは、この子どもテントのことだと思っているようです(笑)。
子どもテントのスタッフは、真宗大谷派寺院の若人が全国から集まり、子どもたちを大切に受けとめてくれています。
うちの娘たちが子どもテントを訪ねた際、Hさんが相手をしてくれました。
折り紙でキティちゃんやサンタさんを折ってくれたり、缶バッチを作る手伝いをしてくれたりしました。そして、「星を作ってあげるね」と言って黄色い紙テープを取り出しました。紙テープで五角形を形作ります。

五角形の全部の辺を凹ませたら、星の形になるのは想像できますか?
Hさんは、ひとつの辺を凹ませる度に、「勇気と」「愛情と」「信頼と」「希望と」とつぶやきながら四辺を凹ませました。そして、最後の一辺を凹ませるときに、娘の目を見て言いました。「それと、 ちょっとの悲しみがあれば、☆(ほし)ができるよ」と
星を見て、娘は喜んでいました。横でその様子を見ていた私は、Hさんに胸がキュンとしてしまいました。

Dsc_0185_2

悲しみというスパイス
「☆(ほし)」は、「四つ葉のクローバー」の話と重ね合わせると、「幸せ」を象徴しているのかもしれません。
勇気と愛情と信頼と希望と、それだけで「幸せ」の条件が揃っているように感じますが、そこに「ちょっとの悲しみ」というスパイスを・・・。
ドラマでは、「キアリス」を経営していく上で4人が直面する困難な問題が、それほど大きくは描かれなかったように感じました。しかし、4人の前には大きな壁が立ちはだかったことでしょう。その困難や悲しみを共有し、乗り越えたからこそ、4人の関係はいつまでも続いたのだと想像することが出来ます。

悲しみなんていらない?
悲しみをもたらす事柄はつらくて、起きてほしくなんてありません。けれど、人間は喜怒哀楽という感情を持って生きています。人生におけるあらゆる事柄にこころ動かされ、あるときは喜び、あるときは怒り、あるときは哀しみ(悲しみ)、あるときは楽しむ(満足する)。
こころが動くおかげで、私が嬉しいときに、一緒に喜んでくれる人がいることの喜びをも感じられます。私が喜べる背景には、悲しんでいる誰かがいるかもしれないということを気遣うことができます。悲しみの気持ちを持っているからこそ、他者(ひと)の悲しみも感じることが出来ます。
喜怒哀楽という感情は、生きていることの証。悲しみが感じられない私に、他者(ひと)の悲しみを感じることができるでしょうか?
悲しみを感じることなく生きるということは、孤独を生きるということ。悲しみをもたらす事柄はつらいことだけれど、悲しみを感じられる私は、となりに誰かがいてくれることを感じることもできる。だからこそ、勇気も、愛情も、信頼も、希望も感じられる。悲しみが、すべてを結びつけてくれました! 

大悲(だいひ)
こころにポッカリと穴が空いたとき、こころがフラフラして、ひとりでは立てないとき。穴を埋めてくれる何かが、支えとなってくれる何かが、本当に無いのであれば、私のこころは悲しみに押しつぶされてしまうことでしょう。けれど、目に見えない何かが、こころの穴を埋めてくれています。感触はないけれど、 フラフラな私を支えてくれているはたらきがあります。そのはたらきを、阿弥陀といいます。
阿弥陀は、生きている者の悲しみを、我がこととして受けとめ、共に呻(うめ)き、共に悲しんでいます。だからこそ、私のことを救いたいと願いを起こされました。悲しみのこころで私を包んでいます。

 clover clover clover

掲示板の人形
親鸞さんとみんなでお花見
Dsc_1077

« 2017年3月 | トップページ | 2017年5月 »

フォト
2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ