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2017年3月24日 (金)

意見が噛み合わないよね

電車内、隣に座っているご婦人方。職場の、とある人物のお話をされています。聞こえてくるところによると、完全自己都合主義で、自分の都合(考え方)に合わないことは やらないらしい。謝ることもないとのこと。
「うん、うん、それは酷い人だね。そんな人いたら、職場の空気も悪いし、困るねぇ」と、こころの中で頷く。
…けれど、向こうもこちらのことを、なんだかんだ評しているかましれません。そちらの話を横で聞いていたら、「うん、うん、」って、頷くかも😄
この方々だけの話ではなく、みんなそんな感じですよね。自分の言い分の方が正しくて、相手がおかしい。そんな中で関係を築いていかなければいけないのだから、厄介ですよね💦

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コメント

十字軍が、イスラームなひとびとは抹殺だってんで、進軍してたら、ぼろんぼろんのおばあさんが、片手に松明、片手に水桶もって、立ちふさがったので?

天国を火で焼き尽くし、地獄の業火を水で消そうとしてると。

なぜなら、イスラームなひとびと抹殺天国にいけるからってな、自分の計算でやってほしくないし、イスラームなひとびとを抹殺地獄に堕ちるからってな、自分の計算でやってほしくない。

ただ、神への愛のみから、おのれの必然、召命である場合に限り、わたしを乗り越えていけ、みたいな伝説あります。

「ただ神への愛のみ」ってのは、キリスト教の物言いにおける「神を愛するということをおのれの必然として(引き受けて)生きるもの」ってこと。

もっとも、"πίστις Ἰησοῦ Χριστοῦ"(ピスティス イエスークリストゥー)イエス・キリストの信実(ピスティス)、まあ、わたしの信仰、ではない、信すら神から賜るのだ、っていう、受け身の信といういう、ややこしいことを言うのがキリスト教なので、なんでもかんでも受動態にするのがほんとですが、それはややこしいので、脳内変換でcoldsweats01。 信実(ピスティス)とのは、新約聖書なので、古典ギリシア語。これは旧約聖書のエムーナにあたっているので、そっちの定訳は「まこと」。「信実」=「まこと」なので、「信」と書いて、左訓「マコト」と思ってください。

すると、ここで、目から鱗(聖パウロ)なのは、信実、まこと、とは無宗教ってこと。信実とは無宗教なり。

宗教とは律法とか戒律。イコール。善いことをしたら天国にとか、悪いことしたら地獄に、というのを、このおばあさんは、善/悪の分割を分割してしまっていて、善悪の彼岸、それ自体を、産みだす、法外な神的暴力、世界を開闢する力、いまある世界(イスラームのやつらを皆殺しが善)、物差しを、道徳を、爆破し尽くす神的暴力、セカイ破壊系。つまり(既存の)宗教(世界をみる物差し)の徹頭徹尾の破棄なので、創造の火花、クリエイティブ、無から有の創造。(イスラームのやつらを皆殺しってのがだから。善。そういう物差しだから。)


HTMLがうまくはいりませんでした。

なぜなら、イスラームなひとびと抹殺≪すると≫天国にいけるからってな、自分の計算でやってほしくないし、イスラームなひとびとを抹殺≪しないと≫地獄に堕ちるからってな、自分の計算でやってほしくない。

善/悪の分割を分割してしまっていて、善悪の彼岸、≪法≫それ自体を、産みだす、法外な神的暴力、世界を開闢する力、

を<>で投稿したら消えてしまいました。

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