« 被写体は、一人 | トップページ | 宝物 »

2017年3月27日 (月)

種から芽が出るように

ドキュメンタリー映画「六ヶ所村ラプソディー」「ミツバチの羽音と地球の回転」「内部被ばくを生き抜く」「小さき声のカノン」を撮られた鎌仲ひとみさんの寄稿が、『真宗』に載っていました。

寄稿「子どもたちの今」 種から芽が出るように 鎌仲ひとみ(映像作家) (前略) 最近「魂の植民地化」という言葉を知りました。この意味は、子どもたちが自分らしい自我を育てようという時期にその方向を遮り、親や世間がまっったく子どもたちの魂の方向とは違う価値観や考え方を移植してしまう、という現象を表現しています。子どもたちが持つ個性、生きていく上で欠かせない自らの意志の力が、大人たちによって弱められているのではないか、と最近の若者から感じる機会が多々あります。大人が子どもに対して「あなたはどうしたいの」と問いかける事なしに、「こうしなさい」とあらかじめ決めてしまう。子どもが十分に考える前に「答」を提示してしまう。そういう行為がいかに子どもたちの成長を阻んでいることか。親がどう思うか、周りがどう思うかを先読みして自分の中に内面化してしまう習慣がついてしまうと、本来一人の人間が当たり前に持っている自分だけの中心軸が弱まってしまうのではないか、と危惧しています。 子どもたちは一人ひとり、唯一無二の種を身内に持って生まれてくるのだから、その種が芽を出した時、他の子どもと違うのは当たり前。本来の種が持っている個性というものが活かされながら成長できるような教育が、どうしたらできるのか、私たちの大きな課題だと思います。 〔『真宗』(真宗大谷派宗務所発行)2017年4月号より〕

子どもたちは一人ひとり唯一無二の種を持っている。それぞれの種が、それぞれの芽を出し、それぞれの花を咲かせるのだから、一人ひとり違って当たり前。
「子どもたちは一人ひとり~」の“子ども”とは、今の子どもたちだけでなく、大人も含んでいるのではないでしょうか。かつて、誰もが子どもでした。誰もが一人ひとりの種を持ち、芽が出て花が咲いている。そのことに満足できず、他を支配する(魂の植民地化)ことによる優位性でもって、自分を輝かせようと努めてはいないでしょうか。
「こうありたい」「こうあらねばならない」「こうあらねば恥ずかしい」という想いで、自分自身を縛り付けてはいないでしょうか。

鎌仲さんの寄稿の最後、「私たちの大きな課題だと思います」。「私たち」一人ひとりの話です。

« 被写体は、一人 | トップページ | 宝物 »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 被写体は、一人 | トップページ | 宝物 »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ