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2017年2月 8日 (水)

平和を願っているつもりが、争いを、他者を貶める行動をしているかもしれない

「沖縄ヘイト」言説を問う〈4〉
親川 志奈子さん(沖縄大非常勤講師)
〔「東京新聞」2017年2月7日(火)朝刊より〕


抑圧者と被抑圧者というポジションを確認したうえで対話していく必要がある。例えば平和運動に取り組む県外の人は、翁長さんが知事選に勝って喜んだが、基地の県外移設論は黙殺する。基地反対運動に対峙する沖縄県警の機動隊員たちを「恥ずかしくないのか」とののしる。
その意味では左翼であろうと、右翼であろうと、沖縄へのまなざしは抑圧的と感じる。あからさまにぶつけられる沖縄ヘイトもあるし、平和運動の中でも沖縄の声がきちんと聞かれないという沖縄差別がある。

(引用以上)

親川さんの文章を読んでいて、武田泰淳さんのことばを思い出していました。

平和運動は大事だ。平和運動は非常に大事だ。大事だけれども、平和運動をやる人間が忘れてはならないことばのひとつに、「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人を殺すこともあるべし」(『歎異抄』第13章 親鸞聖人のことば)ということばを肝に銘じて平和運動をやらなければ、ほんとうの平和運動にならない。

私だって、出会うご縁によっては、何を考え、何をしでかすか分かりません。
「そんな私です」ということを忘れて「平和」を訴えても、あるいは「基地が必要です」ということを訴えるにしても、意に添わない結果を生んでしまうということが多々あるものです。
平和を願い、共に行動する者どうしでも、いさかいは起る。否、共に行動しているがために、いさかいも起こり得るのかもしれない。そしてダメージは、想いを異にする者から受けるものよりも大きい。
左翼とか右翼とか、現代(いま)はそんな思想性を込めて活動をする人もいないのではないか。自分とは意見を異にする者に対して、あるいは、目立った活動をする者に対して、あるいは、自分の憂さ晴らしのために、他者を貶めようとするものがいる。

「平和」は、すべての人々、すべてのいのちのことを願っている。基地を推進する者・沖縄に基地を押し付ける者は平和の対象外・・・な、わけはない。それでは、排外主義・自国第一主義(自分さえよければいい)と同じになってしまう。
基地を推進する人の中にも、「平和のために必要」と思っている人もいることでしょう(中には経済のためなんて人もいることでしょうが)。
同じ願いを持っている者どうしが手を取り合うこともあれば、同じ願いを持ちながらもまったく正反対の方向を向いていることもある。
抑圧されている人の、声なき声に耳を澄ませないと、平和を願う者が争いを起こしてしまうかもしれない。他者を排除しながら大きな声で叫んでいる人とまったく同じ結果を導いてしまうかもしれない。
それでいいわけはない。
もしかしたら、すでに そうしているかもしれない。

「わがこころのよくて、ころさぬにはあらず。また害せじとおもうとも、百人千人を殺すこともあるべし」
(「私のこころが正しくて殺さないのではない。反対に、殺す気はなくても、100人1000人殺してしまうこともあるかもしれない」)
忘れてはいけない。

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