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2017年2月24日 (金)

誰もが対象

「共謀罪」と同じ趣旨で創設を目指す「テロ等準備罪」について、政府は「一般人は対象外」と答弁するけれど、
テロを起こす人も、「共謀罪」を作って政府に抗う者を捕まえようと考える政治家も、結果的にテロリストになったり政治家になったりするだけであって、元々は誰もが一般人。
「一般人は対象外」な線引きができる事柄ではない。
誰もが皆一般人であることを忘れてはならない。

「テロ等準備罪」(「共謀罪」)に対する危惧もあるけれど、日本に死刑制度があることの恐ろしさがある。
死刑制度の廃止を訴えると、「家族を、身内を殺された者の気持ちが分からないのか!」という論調で批判される。しかし、死刑廃止論者が、「たとえ身内を殺されても、罪を犯した者を許せる」と言っているのではない。死刑廃止論者だって、やりきれない想いを背負って、それでも尚死刑は廃止すべきだと訴えているのです。
しかし、死刑廃止・存続の、こんにちに至るまでの議論は、自分が誰かを殺す(自分が誰かに殺される)という当事者としての感覚は欠如していると思います。もちろん、当事者感覚を持って考え、主張している方もいますが。

何が言いたいのか・・・「テロ等準備罪」(「共謀罪」)が成立すれば、あらぬ疑いをかけられて、誰もが捕まる可能性を生み出します。権力者にとって気にくわない者、やっかいな者を。そして、どのような刑に処されるのか。その選択肢として、死刑があります。
幸徳秋水らが処された大逆事件のようなことが、また起こってしまうのではないかと危惧しています。
決して他人事ではないことが、今進んでいるのです。

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