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2017年2月 5日 (日)

「する」よりも「ある」

考える広場 論説委員が聞く
相模原事件からみる「養育」
評論家 芹沢俊介さん
〔「東京新聞」2017年1月28日(土)より〕

(芹沢俊介さん)相模原事件の容疑者の特徴は、自我の根底を支える「ある」という感覚の希薄さです。 (佐藤論説委員)「ある」とはどのような感覚ですか? (芹沢さん)自分が安心して自分でいられる存在感覚です。それは乳幼児期から自分のためにのみ存在する人から「受けとめられた」という体験があって育まれる。 (佐藤論説委員)親たちは子育てに悩んでいます。相模原事件でも直感的にわが身に引きつけて不安になった人は少なくないはずです。経済的な格差が広がり、生活不安から安定しきれない。子育ては過酷さを増しています。 (芹沢さん)今まで以上に親たちが将来の安定のために教育的なことを先行するようになります。子どもに「ある」を提供するよりも「する」「できる」を求めてしまう。 親はただ子どものそばで自分を差し出す存在であってほしいのですが。(中略) 最近は、2、3歳児の親から「子どもとの関係がよくない」と相談される。優先順位が逆なんですね。子どもが呼んでいるのにスマホを見ていませんか。これって親がいるのに受けとめ手がいない不安な状態。(中略) 子どもは不安になると親の足元に寄ってくる。受けとめ手と一緒に作られる「ある」という感覚は信頼や対人関係の基盤になる。養育の課題は不安を退け、「ある」という感覚を育てることに尽きると思う。 (佐藤論説委員)失敗するとダメな人間で、何かができてはじめて自分の存在が認められるような価値観に私も影響を受けています。(中略) 「する」「できる」に偏る価値観が優生思想の土壌に吸収されたということですか? (芹沢さん)私たちの内なる敵は「する」が「ある」に先行した人間観や考え方です。これを転換させることなしに事件の再発は防げない。 ところで、私たちの養育論は無力ですが高齢者介護にも生かせますよ。 年を取るとできなくなることが増えますね。社会や家族の片隅に追いやられ孤独になったとき、その孤独を受けとめてくれる受けとめ手がいれば、それだけでうれしい。安心して「ある」の感覚が生まれるから。自分に対する「存在への敬意」を感じられたら人は生きられる。モノなんていらない。

芹沢俊介さんには、真宗大谷派東京教区もお世話になり、お話をいただいています。
芹沢さんのお話の根底には、「する」ではなく「ある」ことの大切さを感じて欲しい、という想いがあります。
現代の感覚では、物事をうまく出来てあたりまえ、出来ない人は落ちこぼれて、出来る人ほど恵まれていく、という価値観に覆われています。「する」が貴重なことになっています。
しかし、私たちは存在そのものが尊い。「ある」ことが、つまり私そのものが既にに大切なこと。
「する」の価値観に覆われ、「ある」ことの尊さが見えなくなっている現代社会。
「ある」ことに安心できず、「する」こと、できることを求めてしまう(できない私に落ち込んでしまう)。
「ある」感覚よりも「する」感覚が先行したとき、存在の不安定さが、いろいろな形で露出してしまう。そのことは、実際に犯罪を犯した人のみに発露することではなくて、誰にも起こり得ること。
スマホは子どもが寝た後で。「ある」ことの大切さを、伝えてあげたい。その役割があることに気づければ、私(親)もまた自身の「ある」が嬉しいこととなる。

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