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2017年1月27日 (金)

濁世(じょくせ)

私たちは無垢なものに触れていないと生きてはいけないが、それらを守っているのだろうか。
私たちの方が逆に、草木や小動物や赤ん坊や死者や詩や音楽の、非力な力に守られていると思う。
  井坂洋子『黒猫のひたい』(幻戯書房 2014年)

非力な力に守られているにもかかわらず、
 草木・森林が不用意に伐採され、
 小動物を実験に使い、虐待し、不必要となったら物のように捨て、
 赤ん坊はうるさいと嫌い、自分が通ってきた道を忘れ、
 死者を穢れのように扱い、生活から遠ざけ、弔い(訪い)もせず、自分が通る道を自ら見えなくしてしまい、
 他者を排斥する詩(言葉)や音楽(メロディー)が巷に溢れている。

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