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2017年1月 8日 (日)

私たちの目線でみると、ご本尊までも価値判断の眼で見てしまう。ご本尊の眼からは、すべてのいのちが平等です

昨日NHKのニュースで、京都のあるお寺のご本尊(仏像)について報道していました。
そのご本尊は、江戸期の製作と思われていましたが、調査の結果、仏教が日本に伝わった頃に、朝鮮半島で作られたものである可能性が高い、と。

国宝級の発見だそうです。貴重な発見であったため、盗難の心配が出てきました。
お寺では、そっくりの仏像(半跏思惟像)を造り安置し、当の仏像は博物館に保管してもらうそうです。

ニュースでは、新たに作った仏像を檀家さんにお披露目する場面が映し出されていました。
自分の菩提寺のご本尊が、国宝旧の仏像であったことに驚く声とともに、「ご本尊が保管されてしまい、残念です」という感想を述べている方もいました。

そうですね。今まで親しんだご本尊が博物館で保存されるのは淋しい気持ちだとお察しします。
でも、安心してください。お寺に行って、ご本尊の前で手を合わせ、わが身を省みるご縁をいただける。本当に尊いものはなんだろうか?と考えるご縁をいただけるのですから、新しい仏像もまた、皆様にとって「ご本尊」であることに変わりありません。決して今までのご本尊の変わりとしてではなく、そのお寺さまのご本尊として仰ぎ見ていただけたら、淋しさもなくなることと思います。

ご本尊が保管されてしまうことよりも、貴重なものであると分かればご本尊をも骨董品にしてしまう私たちの心根が悲しいですね。(お寺やご本尊の由緒を気にされる方がいますが、「そんなこと聞いて、何がつがうんだろう?」と思っています。手が合わさるはずのない私が、手の合わさるご縁をいただいている。それが寺という場であり、ご本尊からいただいているはたらきなのですから、由緒など気にする必要はないのですが。)
今日も南無阿弥陀仏

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