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2017年1月17日 (火)

生きているということ

2017年1月17日(火)
阪神淡路大震災から22年
あの揺れを、京都で経験しました。
震災の年に生まれた方々が成人し、想いを持ちながら活躍されるときになりました。
記憶は薄れてゆくもの。でも、決して忘れてしまう、記憶がゼロになってしまうわけではなく、どんどん上書きされてゆくゆえに、記憶は薄れるのだと想います。悲しい記憶が土台にあって、こころの中の葛藤、人との出会い、すすみゆく時間などに上書きされ、今を生きている。

今朝「阪神淡路大震災追悼法要」をお勤め致しました。
広報しているわけではないので参拝者はいませんが、本堂の扉を開けてこれからお勤めを始めようとしたとき、おじいちゃんが一人本堂に入ってこられました。

「これから阪神淡路大震災の追悼法要をお勤めするので、一緒にお参りしませんか?」と声をかけると、一緒にお参りをしてくださいました。
お勤めを終え、「せっかくだから、お焼香もなさってください」と声をかけると、「ありがとうございます」と言って、お焼香をして、手を合わされました。

おじいさんは、「よかった、よかった、ありがとう、ありがとう」と言って帰られました。
おじいさんも、何か抱えていらっしゃるのですね。
本堂で共に手を合わせることができて、よかったです。
一緒にお参りしてくださって、ありがとうございます。

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