夏安居2016

2016年7月24日 (日)

唯円上人 お寺参り

2016年東本願寺夏安居では、『教行信証』「証巻」と『歎異抄』を学んでいます。
『歎異抄』の講義において、その著者とされる唯円上人についてのお話を、講者の三明智彰先生からいただきました。
現代では当然のように『歎異抄』の著者として名前が挙がる唯円上人。しかし、著者名が書いてないため、本当に唯円上人が著者なのか、いまだにハッキリと言い切ることができません。『歎異抄』にお名前が出てきて、その内容と重ね合わせて、「おそらく唯円上人であろう」と言われているのが現状です。
また、唯円上人自身、詳しい記録が残っておらず、謎の多い人物です。師 親鸞聖人に似てますね。

その唯円上人が開基とされるお寺は、茨城県河和田の報仏寺さまです。
私も、それくらいのことは知っていましたが、唯円上人が晩年に奈良で過ごされ、命終を迎えた説もあることは、今夏の安居にて初めて教えていただきました。

2週間の安居生活の中、唯一の休日。奈良県吉野郡下市町下市にある立興寺さまに、お寺参りに行ってきました。
京都駅から約2時間30分。お寺に辿り着きました。
浄土真宗本願寺派 恵日山 東坊 立興寺
立興寺の寺号は、蓮如上人から賜ったと伝わっています。

お寺に着いて、本堂の前で合掌 南無阿弥陀仏
唯円上人のお墓への案内があり、お墓へ。手を合わせ、南無阿弥陀仏。
お参りをさせていただき、帰ろうとしたところ、丁度ご住職に会い、本堂に通され、唯円上人のこと、お寺の縁起等々、丁寧なご説明をいただきました。突然お邪魔したのに迎え入れていただきまして、ありがとうございます。

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著者が誰であれ、『歎異抄』は親鸞聖人の書物ではないのだから、「親鸞聖人の教えを伝える書としていかがなものか」と言う方もいます。
しかし、教えは説く人がいるだけでは成り立ちません。聞く人がいてこそ、教えは教えとして伝わります。
お釈迦さまの教えも、親鸞聖人の教えも、説く方と聞く人がいて、そこに感動が生まれ、後に伝わります。
『歎異抄』を眉間にしわを寄せて読むのではなく、親鸞聖人に出遇って、喜び・感動を得た人が書いたものだと想いながら読んでいただけたらと思います。そういう意味では、どのお聖教もそうです。一言一句、辞書的な意味を考えながら読むのではなく、教えに出遇ってその感動を著されたものとして、私が今読むご縁をいただいた。そんな感動を持って、教えに向き合いたいと思います。

2016年7月22日 (金)

京都散策

夏安居2016 7月22日
講義・攻究も終わり、京都散策に出かけました。
大谷大学構内の様子も雰囲気も、周辺の環境も、学生時代とは変わりました。

下宿中におそらく一番通ったと思われる定食屋に向かいました・・・ありました!
が、お店の構えがあるだけで、店内は散らかっていました。お店を閉じ、そのままになっているのでしょうね。

大谷大学から東に歩き、
東大路通を南下し、
京都大学・平安神宮を経て、
大学の後輩が営んでいる「子どもの本専門店 きんだあらんど」へ。

後輩とはいっても、数える程度しか会ったことがないので、私のことを覚えているかなぁ?と、ドキドキでお店に入りました。
すると、私の顔を見るなり声をかけてくれました。
閉店までの時間、たくさん話ができました。
20数年ぶりに会ったと思うのだけれど、大切な話ができて、とても嬉しかったです。
ありがとう

で、四条を通過して五条通りにある宿へ。
(京都をご存知の方、どれだけ歩いてるんだ!と思われることでしょう)

京都も変わったなぁと思いながら歩いていました。
学校の様子も、雰囲気も、町並みも・・・
大学を卒業して20年以上経てば当然か・・・

始めはそんなこと思いながら歩いていたけれど、
私が京都にいようがいまいが、変わるものは変わるのです。
ということは、京都にずっと住んでいる人にとっても、変わっているのです。
大学には、先生や職員として勤めている学生時代の友人もいます。
彼らは、変わる渦中に身を置いていたわけですね。
移ろいゆく大学に、京都に、何も感じなかった?
いや、いろいろなことを想いながら過ごした20年だったんだろうなぁと思いました。

私なんかは、「あぁ懐かしい」「かわっちゃったな、残念だな」なんて言っておしまいですが、
友人たちは、変わりゆくことが当たり前であったり、変わってほしくないなと思ったり、変わらないために努力したこともあったかもしれない。
3時間近く歩いていて、いろんなことを思いました。

ということを、あまり東京で感じないのはなぜでしょう? 変化が激しすぎるからかな? でも、そんなのんびりしたこと言ってられない時代(とき)を迎えています。


時代の流れの中で

今朝の京都新聞の記事より

大谷大、社会学部と教育学部を新設
大谷大は21日、文学部に加えて2018年4月から、社会学部と教育学部を新設すると発表した。1901年の開学以来、単科大だったが初めて複数学部に移行する。より柔軟にカリキュラムを組める利点があるという。

社会学部は入学定員220人で、コミュニティデザイン学科と現代社会学科を設ける。地域社会と積極的に関わりながら課題解決を目指す。教育学部は入学定員130人で教育学科のみ。保育士養成コースなどを設ける。

現行の1学部9学科から3学部9学科となり、1学年の入学定員は745人で、現行と変わらない。木越康学長は「仏教精神に基づき弱者に寄り添い、貧困やいじめなど社会的な問題に積極的に取り組むため、新学部を設けることを決めた」と話した。

2016年7月21日 (木)

夏安居2016 覚え書き(7月21日)

(注)あくまで、私個人の覚え書き(ノート)です。

2016年7月21日(日) (京都独特の暑さです) 
【暁天講座(6:30~7:30)】
松川節先生
「モンゴル草原の仏教世界」拝聴

【本講(8:10~10:00)】
『顕浄土真実証文類』解釈―「証」の二重性についての試論―


初期の仏典によると、
釈尊の説法を聞いて、それに同意した仏弟子たちは、
「証」を知見したにもかかわらず、生涯をかけて修行に専心している。
それは何のためであったのか。
要するに、
「証」を知見しながら、
「証」の通りには生きていない自身の現実があったからであろう。
「生かされている私」に目覚めながら、
「私が生きている」という自我の束縛から解放されずに、
煩悩に苦悩している自己が、
いよいよ明らかになってくる。
その煩悩との戦いこそが、
仏弟子たちの修行であったと言ってよい。
(中略)
釈尊の説法によって「証」はすでに知見され得られているからこそ、
それを自身に体現するための修行であったというべきである。
 安居講本より(改行は私)

覚り(「証」)を得るために、修行をするものだと考えがちだけれど、
「証」を得たからこそ、修行に励むことができる(励まずにはおれなくなる)。
「証」を得ても、そこから修行が始まるのであり、
入滅のときにあらためて涅槃(覚りの境地)に入ることを考えると、
そこには「証」の二重性がある。

念仏するという功徳を積むことによって 成仏(仏となる)という利益が得られるのではなく、 智慧を得たことによって、 すでに仏となれる身であることが確認されているから、 「念仏を信じる」のであると(『弥陀如来名号徳』に)示されている。 これが親鸞聖人における「念仏成仏」ということである。  安居講本より(改行は私)

念仏の利益として、何かを求める
何かを求めて念仏を申す
のではなく、
念仏申すご縁をいただいたことが、
すでに利益

【次講(10:10~12:00)】
歎異の精神―『歎異抄』聴聞記―

『歎異抄』の“歎異”とは、「異なることを歎く」ということであるが、
親鸞聖人の教えと異なることを説く他者を歎くのではなく、
自身に対する歎きが、
『歎異抄』執筆の縁となる。

他人に対してばかりでなく 自己自身が歎かれるべき異そのものであったという痛傷と共なる自覚のところにのみ、 和合衆が建立されるのである。 (中略) 知的関心や個人的信仰の範囲に於て 『歎異抄』を味わおうとするものは、 サンガ(和合衆)を見失ってしまうであろう。 「歎異」の精神は、 それらにとどまらず和合衆の社会が形成されて行くべき原点である。  安居講本より(改行は私)

教えに触れ、
自分の意見に合うか合わないかで聴聞していては、
サンガの形成たりえない。
教えに聞いていく中で、自身が翻る、気付きや出遇いがある。
誰かを変えさせるため、自分を正当化させるための聞法ではない。
あらためて、「歎異」とは、異端排撃ではないことを想う。

【攻究(13:00~14:30)】
講義を受けて、参加者どうしが自分の受け止めを語り合い、お話の内容を確かめ合う時間。
議論を戦わせ(攻)、より深いいただきを得る(究める)から「攻究」というのかな。

本講講義を受けて、『「証」の二重性』について語り合う。

 

安居5日目が終了
久しぶりに頭を使ってる感じがする。
体も、腰痛持ちにはしんどくなってきた。
けれど、疲れが出たところで、もう一歩頑張ると、更に次の一歩が踏み出せるもの。
攻究が終わる頃には、ギアが一段上がった感じ。

日程が終わった後、しんらん交流館・京都教務所・東本願寺出版に顔を出して、旧知の朋と交流&仕事の話。
充実した1日でした。

2016年7月17日 (日)

夏安居2016 覚え書き(7月17日)

(注)あくまで、私個人の覚え書き(ノート)です。

2016年7月17日(日) のち
真宗大谷派 夏安居 開講(真宗本廟にて)

【開講式(9:15~10:00)】
御影堂で、汗をかきながらの開講式
あぁ、夏安居に臨んでいるなぁという感慨ひとしお

開講の辞
本講 小川一乗先生 『顕浄土真実証文類』解釈―「証」の二重性についての試論―
次講 三明智彰先生 歎異の精神―『歎異抄』聴聞記―
(夏安居で『歎異抄』が取り上げられるのは、ほぼ40年ぶりだそうです)

本年は、真宗大谷派において夏安居が開講されてから300年目。
節目の年に、身を置かせていただくご縁をいただきました。

 

【本講(11:00~12:00)】
『顕浄土真実証文類』解釈―「証」の二重性についての試論―

仏教は、教主世尊(釈尊)の「覚り」を大前提としている仏道によって成り立っている「覚りの宗教」である。
ともすると、浄土真宗は、信心を強調するため「信の宗教」のように受け取られることがあるが、基本的には、釈尊の「覚り・目覚め」を大前提としている「覚りの宗教・目覚めの宗教」である。

「仏陀」とは「目覚めた者」という意味である。
目覚めのことを「正覚」と称し、「等正覚」とも表現されている。
「等正覚」とは、釈尊の「正覚」が誰にとっても「等しく正しい覚り」であることを意味している。
この「等正覚」のことが、親鸞聖人によって「証」として示されている。

「等正覚」に出遇った者は、自らもその「等正覚」を体現したいと願って生きる者となる。
そこに「証」という成仏(仏と成ること)への仏道が始まる。

それでは、「成仏」とは、どういうことであるのか。
そのためには、先ず釈尊の覚り(等正覚)とは何かが明らかとならなければならない。
そして、この「等正覚」による「成仏」とは、親鸞聖人においてはどういうことであるのか。
そのためには、『教行信証』「証巻」に説示されている「真実証」とは何かが明らかとならねばならない。
釈尊の「等正覚」を覚る「証」と、親鸞聖人の「真実証」との関係を解明し、「真実証」こそが釈尊に始まる等正覚の「証」の必然的な展開であることを解明する

ところで、
親鸞聖人における「成仏」とは、「念仏成仏」である。
『浄土和讃』「大経意」においても、「念仏成仏これ真宗 万行諸善これ仮門」と詠っている。
「念仏成仏」を説かれた法然上人。それを引き継いだ親鸞聖人は、どのような内容として了解したのであろうか。
そのことも「真実証」に対する論究によって明らかにあるであろう。

親鸞聖人は、常に「念仏成仏」という術語として示された。
「念仏」と「成仏」との関係は、それを分けて説明する必要のないほど自明なことであったからであろう。
親鸞聖人における「念仏」と「成仏」との関係は、どのように自明であったのであろうか。
このことについても、「真実証」への論究によって明らかになろう。

親鸞聖人は、「真実証」の次のように述べている。
謹んで真実証を顕わさば、すなわちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。
「利他円満の境地」「無上涅槃の極果」と、どうしてこのように提示できるのか。
釈尊に始まる等正覚に基づいてもたらされた仏教における「証」についての確認が前提とならなければならない。釈尊以来の仏道体系に基づいて、そこに展開されている「証」の構造を解明して、「真実証」について、新たな問題的を試みようと思う。
(安居本講講本 『顕浄土真実証文類』解釈―「証」の二重性についての試論―より)

 

【次講(13:00~14:00)】
第一節 書名について
『歎異抄(たんにしょう)』という名は、「異なることを歎く小篇(ノート)」というほどの意味である。
作者自身の命名による。
『歎異抄』「前序」において、「先師口伝の真信に異なることを歎き」とあり、異なることを歎くという意味で「歎異」と言われたことがわかる。

異なるとは、何が何に異なるのか。
「先師」(宗祖親鸞聖人)亡きあとの、教え子達の信心が「先師口伝の真信」に異なるということである。
そこに、作者自身も含まれている。
されには、時代的限定を超えて、今日も「先師口伝の真信に異なること」が歎かれているというべきであろう。
その点で、『歎異抄』という書名に向かう時、本抄の湛える(たたえる)歎きの情が我々にまで向けられていると感ぜざるを得ないのである。
そのようにして向き合った先覚者の一人が蓮如上人だったのではないだろうか。
(『歎異抄』は原本がなく、現存する最も古い書写本は、西本願寺が所蔵する蓮如書写本です。次講における『歎異抄』底本は、蓮如上人書写本を用います。)

開講の辞より
歎異の精神が、真宗再興の精神であると指摘されたのは、曽我量深先生であった。
「異なるは自分である」(『歎異抄聴記』第1講 『曽我量深選集』第6巻24頁)と言われたことに特に留意せざるを得ない。
自是他非(自分は正しい、他は間違っている。自分の了解こそ正しい、他の了解は間違っている歎かわしい)をあげつらうのでなく、「歎異」が自らに向けられていると頂かれたのである。
『歎異抄』第9条の親鸞聖人と唯円の対話に、師と弟子の歎異の感情が響きあう。
そこに
「如来廻向の一味の安心が自証され得る。そこに始めて真宗再興といふことが成就すると私は深く感じてゐる」(『曽我量深選集』第6巻26頁)
歎異の感情の共鳴による如来回向の一味の信心の自証が欠けたところには、和合衆は成立しない。
真実信心の共同体・和合衆成立の原点が、歎異の精神であるということなのである。

『歎異抄』は、決して異端排撃の書ではない。
質実なる信心の書である。
『歎異抄』を貫く、この「歎異の精神」こそ真の人間の共感・協同を実現するのであろう。

第二節 作者について
『歎異抄』「前序」「中序」「後序」はじめ随所において、作者は宗祖の面授口訣の直弟子でなければならないことがわかる。
(ただ宗祖のお話を聞いたという程度のことではなく、一対一で膝を付き合わせて、問いたいことを尋ね、宗祖もそれに応える。それほどまでの関係が、面授口訣ということです)

江戸後期の三河の了祥の『歎異抄聞記』の研究成果があり、作者は水戸市河和田の報仏寺開基の唯円であるとされて以来、唯円説が最も有力である。
(安居講本『歎異の精神―『歎異抄』聴聞記―』を中心に)

【白山勝久 想ったこと】
次講開講の辞 
「『歎異抄』は、決して異端排撃の書ではない」
に共鳴・共感。
「歎異」(異なるを歎く)の響きが、「親鸞聖人の教えに反したことを言う人がいて、歎かわしい」と言っているのだと思い込む方がいる。
そのとき人は、自分を是とし、他を非としてしまう。そして、他(異端)を排撃(排除・攻撃)してしまう。
様々な方が『歎異抄』の解説本を出しているけれど、「異端排撃の書」と捉える人も、少なくない。・・・歎かわしい。なんて言っては同類になってしまいますね。

阿弥陀如来は、念仏申すすべての生きとし生けるものを救いたいと誓願を建てられました。
「念仏申す」とは、限定の表現ではありません。すべての生きとし生けるものが、念仏申す衆生なのです。
つまり、阿弥陀如来の救いからもれる人はいないのです。
そんな教えに出遇わせていただいた者が、「異なる教えを流布する者を排除する」なんて教えを説くでしょうか。書を残すでしょうか。
『歎異抄』は、自己を問う、自己を省みることを忘れて生きている私の生き方を、証明してくださる書です。
その気付きにおいて、教えに出遇った者は、和合衆(教えの元に集まる仲間)となれる。

『歎異抄』に関する解説批評に欠如しがちだったのは、和合衆回復の願いからこの本が書かれたということへの省察ではなかったかと思うのである。
(次講講本「あとがきにかえて」より)

今回の夏安居において、『歎異抄』起筆の願いが和合衆回復にあるとされることばが、大切に響いてきます。
そのことが、本講で問題にされている「証」と「真実証」の論究にも繋がるような気がしました。

十数年ぶりの夏安居
真宗大谷派において、大切な学びの場です。
夏安居を楽しみに、毎年参加されているおじいちゃん おばあちゃん(先輩住職 先輩坊守)がいます。
十数年ぶりだから、以前知り合いになった方は来ているかなぁ?と思っていたら、おじちゃん(失礼)の方から声をかけられました。
「白山さんですよね! お久しぶりです!」
「〇〇さん! ご無沙汰してます!」
名前が思い出せないのではなく、スッと出てきたことに自分でも驚きました。
若輩者に「“お”久しぶりです」と声をかけてくださる人生の先輩。
また、お互い知らない人の方が多いのに、自然と挨拶を交わせる場。
教えの中に身を置くと、年齢差も関係ないし、知ってる人知らない人なんてことではなくてみんな繋がっているという感覚を共有している。
まさに和合衆!!
夏安居がますます楽しくなってきました。
明日から大谷大学に場を移して、夏安居スタートです

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