(注)あくまで、私個人の覚え書き(ノート)です。
2016年7月17日(日)
のち
真宗大谷派 夏安居 開講(真宗本廟にて)
【開講式(9:15~10:00)】
御影堂で、汗をかきながらの開講式
あぁ、夏安居に臨んでいるなぁという感慨ひとしお
開講の辞
本講 小川一乗先生 『顕浄土真実証文類』解釈―「証」の二重性についての試論―
次講 三明智彰先生 歎異の精神―『歎異抄』聴聞記―
(夏安居で『歎異抄』が取り上げられるのは、ほぼ40年ぶりだそうです)
本年は、真宗大谷派において夏安居が開講されてから300年目。
節目の年に、身を置かせていただくご縁をいただきました。

【本講(11:00~12:00)】
『顕浄土真実証文類』解釈―「証」の二重性についての試論―
仏教は、教主世尊(釈尊)の「覚り」を大前提としている仏道によって成り立っている「覚りの宗教」である。
ともすると、浄土真宗は、信心を強調するため「信の宗教」のように受け取られることがあるが、基本的には、釈尊の「覚り・目覚め」を大前提としている「覚りの宗教・目覚めの宗教」である。
「仏陀」とは「目覚めた者」という意味である。
目覚めのことを「正覚」と称し、「等正覚」とも表現されている。
「等正覚」とは、釈尊の「正覚」が誰にとっても「等しく正しい覚り」であることを意味している。
この「等正覚」のことが、親鸞聖人によって「証」として示されている。
「等正覚」に出遇った者は、自らもその「等正覚」を体現したいと願って生きる者となる。
そこに「証」という成仏(仏と成ること)への仏道が始まる。
それでは、「成仏」とは、どういうことであるのか。
そのためには、先ず釈尊の覚り(等正覚)とは何かが明らかとならなければならない。
そして、この「等正覚」による「成仏」とは、親鸞聖人においてはどういうことであるのか。
そのためには、『教行信証』「証巻」に説示されている「真実証」とは何かが明らかとならねばならない。
釈尊の「等正覚」を覚る「証」と、親鸞聖人の「真実証」との関係を解明し、「真実証」こそが釈尊に始まる等正覚の「証」の必然的な展開であることを解明する
ところで、
親鸞聖人における「成仏」とは、「念仏成仏」である。
『浄土和讃』「大経意」においても、「念仏成仏これ真宗 万行諸善これ仮門」と詠っている。
「念仏成仏」を説かれた法然上人。それを引き継いだ親鸞聖人は、どのような内容として了解したのであろうか。
そのことも「真実証」に対する論究によって明らかにあるであろう。
親鸞聖人は、常に「念仏成仏」という術語として示された。
「念仏」と「成仏」との関係は、それを分けて説明する必要のないほど自明なことであったからであろう。
親鸞聖人における「念仏」と「成仏」との関係は、どのように自明であったのであろうか。
このことについても、「真実証」への論究によって明らかになろう。
親鸞聖人は、「真実証」の次のように述べている。
謹んで真実証を顕わさば、すなわちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり。
「利他円満の境地」「無上涅槃の極果」と、どうしてこのように提示できるのか。
釈尊に始まる等正覚に基づいてもたらされた仏教における「証」についての確認が前提とならなければならない。釈尊以来の仏道体系に基づいて、そこに展開されている「証」の構造を解明して、「真実証」について、新たな問題的を試みようと思う。
(安居本講講本 『顕浄土真実証文類』解釈―「証」の二重性についての試論―より)

【次講(13:00~14:00)】
第一節 書名について
『歎異抄(たんにしょう)』という名は、「異なることを歎く小篇(ノート)」というほどの意味である。
作者自身の命名による。
『歎異抄』「前序」において、「先師口伝の真信に異なることを歎き」とあり、異なることを歎くという意味で「歎異」と言われたことがわかる。
異なるとは、何が何に異なるのか。
「先師」(宗祖親鸞聖人)亡きあとの、教え子達の信心が「先師口伝の真信」に異なるということである。
そこに、作者自身も含まれている。
されには、時代的限定を超えて、今日も「先師口伝の真信に異なること」が歎かれているというべきであろう。
その点で、『歎異抄』という書名に向かう時、本抄の湛える(たたえる)歎きの情が我々にまで向けられていると感ぜざるを得ないのである。
そのようにして向き合った先覚者の一人が蓮如上人だったのではないだろうか。
(『歎異抄』は原本がなく、現存する最も古い書写本は、西本願寺が所蔵する蓮如書写本です。次講における『歎異抄』底本は、蓮如上人書写本を用います。)
開講の辞より
歎異の精神が、真宗再興の精神であると指摘されたのは、曽我量深先生であった。
「異なるは自分である」(『歎異抄聴記』第1講 『曽我量深選集』第6巻24頁)と言われたことに特に留意せざるを得ない。
自是他非(自分は正しい、他は間違っている。自分の了解こそ正しい、他の了解は間違っている歎かわしい)をあげつらうのでなく、「歎異」が自らに向けられていると頂かれたのである。
『歎異抄』第9条の親鸞聖人と唯円の対話に、師と弟子の歎異の感情が響きあう。
そこに
「如来廻向の一味の安心が自証され得る。そこに始めて真宗再興といふことが成就すると私は深く感じてゐる」(『曽我量深選集』第6巻26頁)
歎異の感情の共鳴による如来回向の一味の信心の自証が欠けたところには、和合衆は成立しない。
真実信心の共同体・和合衆成立の原点が、歎異の精神であるということなのである。
『歎異抄』は、決して異端排撃の書ではない。
質実なる信心の書である。
『歎異抄』を貫く、この「歎異の精神」こそ真の人間の共感・協同を実現するのであろう。
第二節 作者について
『歎異抄』「前序」「中序」「後序」はじめ随所において、作者は宗祖の面授口訣の直弟子でなければならないことがわかる。
(ただ宗祖のお話を聞いたという程度のことではなく、一対一で膝を付き合わせて、問いたいことを尋ね、宗祖もそれに応える。それほどまでの関係が、面授口訣ということです)
江戸後期の三河の了祥の『歎異抄聞記』の研究成果があり、作者は水戸市河和田の報仏寺開基の唯円であるとされて以来、唯円説が最も有力である。
(安居講本『歎異の精神―『歎異抄』聴聞記―』を中心に)

【白山勝久 想ったこと】
次講開講の辞
「『歎異抄』は、決して異端排撃の書ではない」
に共鳴・共感。
「歎異」(異なるを歎く)の響きが、「親鸞聖人の教えに反したことを言う人がいて、歎かわしい」と言っているのだと思い込む方がいる。
そのとき人は、自分を是とし、他を非としてしまう。そして、他(異端)を排撃(排除・攻撃)してしまう。
様々な方が『歎異抄』の解説本を出しているけれど、「異端排撃の書」と捉える人も、少なくない。・・・歎かわしい。なんて言っては同類になってしまいますね。
阿弥陀如来は、念仏申すすべての生きとし生けるものを救いたいと誓願を建てられました。
「念仏申す」とは、限定の表現ではありません。すべての生きとし生けるものが、念仏申す衆生なのです。
つまり、阿弥陀如来の救いからもれる人はいないのです。
そんな教えに出遇わせていただいた者が、「異なる教えを流布する者を排除する」なんて教えを説くでしょうか。書を残すでしょうか。
『歎異抄』は、自己を問う、自己を省みることを忘れて生きている私の生き方を、証明してくださる書です。
その気付きにおいて、教えに出遇った者は、和合衆(教えの元に集まる仲間)となれる。
『歎異抄』に関する解説批評に欠如しがちだったのは、和合衆回復の願いからこの本が書かれたということへの省察ではなかったかと思うのである。
(次講講本「あとがきにかえて」より)
今回の夏安居において、『歎異抄』起筆の願いが和合衆回復にあるとされることばが、大切に響いてきます。
そのことが、本講で問題にされている「証」と「真実証」の論究にも繋がるような気がしました。
十数年ぶりの夏安居
真宗大谷派において、大切な学びの場です。
夏安居を楽しみに、毎年参加されているおじいちゃん おばあちゃん(先輩住職 先輩坊守)がいます。
十数年ぶりだから、以前知り合いになった方は来ているかなぁ?と思っていたら、おじちゃん(失礼)の方から声をかけられました。
「白山さんですよね! お久しぶりです!」
「〇〇さん! ご無沙汰してます!」
名前が思い出せないのではなく、スッと出てきたことに自分でも驚きました。
若輩者に「“お”久しぶりです」と声をかけてくださる人生の先輩。
また、お互い知らない人の方が多いのに、自然と挨拶を交わせる場。
教えの中に身を置くと、年齢差も関係ないし、知ってる人知らない人なんてことではなくてみんな繋がっているという感覚を共有している。
まさに和合衆!!
夏安居がますます楽しくなってきました。
明日から大谷大学に場を移して、夏安居スタートです