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2016年12月

2016年12月21日 (水)

どこを向いているか

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2016年12月21日(水)朝刊
東京新聞「辺野古 県敗訴が確定」
読売新聞「辺野古 国の勝訴確定」

同じ事柄を伝えているのに、
考え方や立ち位置や目線で、表現はかくも変わる。
しかし、そこから相手の考え方や立ち位置やものの見方が分かる。

2016年12月 4日 (日)

優しさの中にいると、その優しさを忘れてしまう

「ひどい世の中だ」
「人の心が荒廃している」
「生きていてもいいことがない」
なんてぼやいてばかりいないで、
「ありがとう」
と口にしていれば、
それだけでも
気持ちがスカッとしてきます

2016年12月 3日 (土)

サポートをすれば済むという話ではない

カジノ法案が衆議院委員会で可決された、と!?

「経済効果があるから」という人もいるけれど、世界のカジノを見わたすと、その周囲の経済が困窮しているのは目に見えていること。カジノの周囲に質屋がある国もある。ということは、依存体質に陥ってしまった人が、更に蟻地獄にはまる環境ができていくということ。

日本は、カジノは認めらていないけれど、公営競技(競馬・競輪・競艇・オートレース)が盛ん。カジノができる環境を、経済効果を見込んで開く意味もない。もしカジノで経済効果があるというのならば、公営競技がこれだけ盛んに行なわれている日本で、既にその経済効果があってもいいことになる。ないというのなら、カジノも同じことになるのでは。
経済的に潤うというのは、日本の「経済」ではなく、ある特定の数人の「経済」では?

何よりも危惧されるのが、依存症。
ASKAさんが覚醒剤使用の疑いで、2度目の逮捕をされました。
「またか、アホか」「弱い奴だねぇ」「こりない奴だ」と言った声を耳にしますが、依存に陥ってしまうということは、何度も繰り返してしまうということです。こころの強さとか弱さとか関係ありません。それに、周囲から烙印を押されてしまうと、それこそ逃げ場がなくなってしまいます。で、また手を染めてしまいます。
覚醒剤だけでなく、ギャンブル(賭け事)も同じでしょう。
覚醒剤の依存で苦しんでいる人を取り囲み、その人の車を破損し、タクシーに乗っているときの映像を垂れ流し、弱い奴だとののしる。これでは公のいじめです。
公のいじめがまかり通っている今の日本でカジノが解禁されたら、更に依存症に陥る人を増やし、更にいじめがエスカレートしてしまいます。
まったく因果関係もないし、たまたまと言われれば反論もできませんが、政治家が過ちを犯したとき、あるいは民衆に知られたくない事を為そうとするとき、そのタイミングで有名人の覚醒剤使用による逮捕劇が報道の中心となります。たまたま時が重なっているだけなのでしょうか? それとも、誰かが情報をリークするのでしょうか? 

カジノを実現させたい依存症にかかっている人もまた、その依存から抜け出せずにいます。

2016年12月 2日 (金)

やわらか

きのうも きょうも ほめられた
             鈴木主逞くん(6歳)

平和の俳句(東京新聞 2016年12月2日 朝刊)より

ほめてくれる人、見ていてくれる人がいる幸せ

2016年12月 1日 (木)

2016年12月のことば

12月になりました。
月めくり、最後の一枚。気持ちがせいてしまいます。同じ一ヵ月、同じ一日、同じ24時間を過ごすのに、どうして暮れはバタバタしてしまうのでしょうね。
バタバタ過ごしても、ゆったりした気持ちで過ごしても、同じ暮れ。

12月の西蓮寺のつどいです。
12月14日(水) 13:30より 聞法会(法話:西蓮寺副住職)
12月20日(火) 13:30より コールリンデン(仏教讃歌を歌う会)
12月28日(水)  9:00より 28日講(親鸞聖人 月命日のお朝事)

   

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青春時代と呼ぶには
あまりに
重すぎるけれど
漆黒とは
光を映す色のことだと     岩崎 航

五行詩に込められた想い
岩崎航(わたる)さん。1976年生まれ。3歳の頃に筋ジストロフィーの症状が現れました。現在は、胃ろうからの経管栄養と人工呼吸器を使用して、仙台市内の自宅で過ごされています。二十代半ばから短詩に関心を持ち、五行歌の形式での詩作を始められました。今月のことばは、岩崎航さんの詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』(ナナロク社)に収められている詩から、掲示させていただきました。
筋ジストロフィーが進行する段階、17歳の頃に、自分で自分のいのちを絶とうとされました。家に誰もいない、ある日の午後のことでした。目の前にはナイフ。「これですべてが楽になるのかな」とふと考え、涙が溢れ出たそうです。けれど、「生きる」ことを決断した航さん。その決断を、「嵐にこぎ出す、航海の始まりのようでもあった」と語られています。岩崎航さんの本名は稔さん。ペンネームを航とされたのは、嵐の中を航海し続けるイメージの投影なのかもしれません。「生き続ける」というメッセージのように聞こえてきます。
徐々に身体の自由が失われてゆく中、絶望の淵で見出す希望。その希望が、五行詩として紡ぎ出されています。

悩み苦しみは漆黒の闇
人生における悩み苦しみは、漆黒の闇のようです。早く闇から抜け出したいし、できることならば二度と闇の中をさまよいたくはありません。

一切皆苦(いっさいかいく)
「人生における悩み苦しみは、漆黒の闇のようです」と、決まり文句のように書きました。けれど、お釈迦さまが  「一切皆苦」・・・「この世の一切は苦である」と説かれたことを思い出しました。「一切皆苦」なのですから、「人生における悩み苦しみ」が「漆黒の闇」なのではなく、「人生そのもの」が「漆黒の闇」なのではないでしょうか。
私は、ひとりでは生きていません。あらゆるいのち、様々な事柄とのご縁をいただいて生きています。しかも、一人ひとりは個々に想いや願いを抱いて生きています。すべての人々の想いや願いが合致することなどありえません。たとえそれが平和や平穏を願うこころであっても。
違う想いを持った者どうしがぶつかるのなら分かるけれど、同じ想いを抱く者どうしでもぶつかり合います。
私を苦しめるのは、想いの合わない人ばかりではありません。想いの合う人であっても、「喧嘩したくない」「他の人と仲良くしていると嫉妬する」「同じ想いだけど、私の想いの方が深い」など、私のこころを揺さぶります。
想いや願いを抱えた者どうしが関係を築きながら生きているのですから、世の中思うようにならないはずです。人生とは、思うようにならない苦しみの舞台です。苦から離れることはできません。欲しいものが手に入らない苦しみを生き、仮にそれが手に入れば万々歳かといえば、それを守るためにまた苦しむ。より高嶺のものを欲してまた苦しむ。思うようにならないのは、周囲の他者ではなく、私自身でした。
お釈迦さまが「一切皆苦」と説かれたのは、つらい現実を押し付けるためではありません。私は、苦から逃れよう、苦をなんとかしようともがきます。自分の想いはそのままにして。苦をなんとかしようとして、自分を見つめる、自分を問う眼を見失っています。自分の想いはそのままにして、苦をどうにかしようとするのではなく、苦は苦として、自分のこころを転換させる(ハッとした気付きを与える)。そのために教えを聞き続けてほしいと、お釈迦さまは伝えたかったのです。苦を何とかするための教えではなく、苦を生きていることを知るための教えです。

夜が明けても、日はまた沈む
漆黒の闇の中、ひとりぼっちであるならば、私は生きていけません。導いてくれるはたらきがあるからこそ、私は生きてきました。
漆黒の闇の中、誰ひとり漏れることなく、阿弥陀の慈悲の光に照らされています。光は、常に私を照らし続けています。その光に気付いた人の歴史が、仏教の歴史・仏法聴聞してきた人々の歴史です。私を照らす光、私を導くはたらき(阿弥陀)に出遇い、苦を苦として、私の人生を私の人生として生き抜かれた方々がいます。その方々の眼には、 漆黒の闇に映える光が見えていました。仏法聴聞して苦が、闇が晴れるならば、その後、光を感じることができなくなってしまいます。一切皆苦・・・人生という舞台は漆黒の闇である。だからこそ、光を感じ続けられます。教えをいただきながら、念仏称えながら生きることができます。南無阿弥陀仏

   

掲示板の人形
12月用の人形として、スキーをする子どもたちの人形を買ってありました。
11月24日、東京では11月中に降るのは54年ぶりという雪が
寺報に載せる用に、境内に積もった雪の上に、人形を置いて撮影しました。
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