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2016年9月13日 (火)

人間は起こることによって傷つけられる以上に、起こることに対する意見によって傷つけられる(モンティーニュ)

2016年9月9日、加藤紘一氏が亡くなられた。
政界を引退され姿を見ることもなかったけれど、訃報をお聞きし、「加藤の乱」と称される政界劇が思い起こされる。

加藤氏の訃報に接し、その「加藤の乱」について、
「あの“加藤の乱”さえなければ、総理大臣を務めていたであろうに」
「あの“加藤の乱”から、加藤さんの総理大臣の道は断たれた」
という記事・故人を知る人の声を多々目にする。

当時の森首相・森内閣に対する不満は、政界内も日本社会も積もり積もっていたように記憶している。
野党が「内閣不信任案」を提出する動きに対し、与党議員でありながら、本会議での賛成票の投票・あるいは欠席を派閥の人間に呼びかけたもの。

誰が正しくて、誰が間違っている。
誰がヒーローで、誰が悪役。
誰が正義で、誰が悪。
何が正しくて何が間違っているのかなんて、そんなことは分からない。どちらの道に進めば、今の日本が、世界が良くなるかなんてことも分からない。
でも、おかしいと思われること・組織・人に対し、何らかの意見を言うことも許されない・叩かれる世の中は、間違っているのではないか。恐ろしい世の中ではないか。

加藤紘一氏に対し、
「加藤の乱さえ起こさなければ、総理になれたのに」

蓮舫氏に対し、
「民進党党首選に立候補さえしなければ、二重国籍問題で叩かれることもなかったのに」

鳥越俊太郎氏に対し、
「都知事選に立候補さえしなければ、昔の女性問題をほじくり返されることもなかったのに」

このような意見(バッシング)は、筋が通らないと思います。何かおかしくないですか? 批判が批判になっていません。
「私は、このように考えています。あなたの主張・意見は、こういう点でおかしいと思います」という批判や意見を言うべきところ、ただの人間否定でしかありません。

(「二重国籍問題」というけれど、日本で国会議員になるためには、衆議院議員であれば「日本国民で満25歳以上であること。参議院議員は満30歳以上であること」だけが要件ですよね。日本国籍を有している蓮舫さんに、何の問題もありません。
厄介な動きをする者に対し、過去のスキャンダルをほじくり出さすのは、よくある話です。しかし、叩いてホコリの出ない人などいるのでしょうか?)

ただ、大きい勢力(マジョリティ)に位置する人間に対しては、「〇〇さえしなければ良かったのに」という声は挙がらないんですよね。
マイノリティに位置付けられる方で、目立った動きをする人に対して、「〇〇さえしなければ、暴露されることも、叩かれることもないのに」という声が挙がる。それって、脅迫であったり、人間否定です。
それがまかり通る世の中は、やがて自らの首を絞めることに繋がります。

森首相の頃は、マスコミも「おかしいのではないか?」ということを記事にしていたと思うのですが、
今はそういう動きも、一部志のある方・組織からしか見えません。

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