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2016年9月

2016年9月30日 (金)

ペンをとる(想いを残す・・・次の世代へ)

その戦争は、昭和十六年に始まり、昭和二十年に終わりました。それは、言葉に絶する暮らしでした。その言語に絶する明け暮れの中に、人たちはやっとぎりぎり生きてきました。 親兄弟、夫や子、大事な人を失い、そして、青春を失い、それでも生きてきました。 そして昭和二十年八月十五日、戦争はすみました。まるで うそみたいで、ばかみたいでした。 それから、二十八年がたって、あの苦しかった思い出は、一片の灰のように、人たちの心の底ふかくに沈んでしまって、どこにも残っていません。 いつでも、戦争の記録というものはそういうものなのです。あの忌まわしくて、虚しかった戦争の頃の「暮し」の記録を私たちは残したいのです。あの頃、まだ生きていなかった人たちに、戦争を知ってもらいたくて、貧しい一冊を残したいのです。もう二度と戦争をしない世の中にしていくために。もう二度とだまされないように。 どんな短い文章でも構いません。ペンをとり、私たちの元へお届けください。 NHK朝の連ドラ「とと姉ちゃん」2016年9月27日放送分より

戦争体験を次世代に伝えたいという、編集長花山さんの願い。
戦後70年が過ぎ、先の大戦を知る方々は数多くお亡くなりになり、国会議員の中に戦争を知る者がほとんどなく戦争を賛美すらする現状。それに抗ういのちが芽生え初めてもいるが、そうでない勢力も日々力を増している。
しかし、戦争が終わって30年に満たない時代でも、既に風化が始まっていた。実際に戦地に赴いた花山さんが、愚かで虚しい戦争であった、あの記憶を忘れてはいけないと、残されたいのちがあと僅かであることを承知で、戦争経験者の声を聞き、雑誌に編集することに努める。
本当に、戦争はいけないと、愚かだということを伝えんとされた。風化している危機感を、戦後30年にして感じられたのですね。それならなおさら、70年を過ぎてしまえば、風化どころか、過去の出来事、あるいは、「日本が世界大戦で戦争したなんて、そんなことあるわけないじゃん」と思われる時代を迎えていることは、ある意味当然のことかもしれない。

でも、でも、人が人を殺していい理由なんてない。国と国が争っていい理由なんて、あるはずがない。
東日本大震災により、福島第一原発の事故が起き、「原発は危険だ」「原発は廃止すべきだ」という気運が高まってきた。しかし、「電力のためには、原発も必要だ」という声も根強くある。
その頃にブログで書いたが、「電気のためには、原発も必要だ」ということは、多少の犠牲は仕方がないと言っているようなもの(そういうことを言う人は、自分が「犠牲になる人」には入っていない)。「電気のためには、原発も必要」という発想でいうと、「平和のためには、戦争もやむなし」ということがまかり通ってしまう。「日本国民を守るために、闘うのは当然でしょ」という発言を、誰もが違和感もなく発している現代(そういうことを言う人は、自分が戦地に赴くなど、思ってもいない)。

原発同様、便利な生活を享受するために、危険なもの・ことを肯定する思想が、そのまま「平和のため、自国を守るためには、戦争やむなし」という発想に繋がっている気がする。恐ろしい世の中。

二度と戦争は起こしてはいけない。そのための努力を、忘れてはいけない。

2016年9月24日 (土)

むのたけじさんを偲ぶ会

2016年9月24日(土)
今晩は、「むのたけじさんを偲ぶ会」に出席させていただくつもりです。

(行ってきました)
「ジャーナリスト・むのたけじの魂を継承する~むのたけじさんを偲ぶ~」
雨が降っていましたが、お彼岸終盤で体もボロボロでしたが、参加させていただいて、良かったです。嬉しかったです。

むのさんとご縁のあった方々からのメッセージを拝聴
どなたも口を揃えていらっしゃったのが、「熱くて」「骨太で」「メッセージに響きがある」ということ。
むのたけじさんは、ことばが生きていました。

「主語を持って話している人だった(今は、主語を持たずに、客観的にメッセージを発する人が多くなってしまった)」

「責任を持って語られていた(主語を持たずに話しているのですから、ことばに責任を持ち合わせていません)」

「対立ではなく、対話を」

「対立を越えて、一対となるんだ」

「私のことを“反骨のジャーナリスト”と表する人がいるが、そんなの矛盾だ!! ジャーナリストは、そもそも“反骨”の精神を持っているのだから!!」

「ジャーナルは日記。あったことを書き記すだけ。あったことと、現状どうなっているか、これからどうなっていくのかを記してこそ、ジャーナリスト」

「自分が死んでも、偲ぶ会など開いてくれるな」と仰っていたそうですが、
(「葬儀する時間があるなら、みんなで私の書いたものでも読んでほしい」と仰っていたそうです)
息子さんの大策さんが、実際に「偲ぶ会」に身を置いて、
「父は、“俺を眠らすなよ”と言いたかったのかな、と想いました」と語られていました。
身は滅んでも、まだまだ闘う!という意志を感じられたのかもしれません。私も感じました。

閉会のことばより
「むのたけじの魂を継承する」ということですが、
「むのたけじ」のことば・書物を引っ張り出してきて、「あぁ言ってた」「こう言ってた」ということを語り継ぐのではなく、
むのさんのことばを読み、自分で考え、自分のことばで語ってください。そのことが、「魂を継承する」ということです。

2016年9月23日 (金)

別れは出会い

2016年9月23日(金)
夜、テレビをつけたら、NHKドキュメント72時間「長崎 お盆はド派手に花火屋で」を放映していました。
長崎のお盆といえば、精霊流し
8月15日までの一年間、大切な人・親しい人との別れを経験した遺族・仲間が、初盆を迎え、大きな船を作り、長崎市内を船を曳いて巡ります。
私も、お祖父ちゃんとお祖母ちゃん、2回精霊流しで送りました。
船を曳きながら、銅鑼(ドラ)を鳴らし、爆竹や打ち上げ花火をバンバン鳴らしながら市内を巡る。
「おじいちゃん、ありがとう」「おばあちゃん、ありがとう」って、泣きながら、集まったみんなで花火メチャメチャ付けながら、船を曳く。賑やかにおくらんば!って気にさせてくれます。

番組で、さだまさしさんの弟さんが出ていました。
さださんのお母さんは、今年4月7日に亡くなられました。今年の夏はお母さんの初盆を迎え、精霊船を出されました。
4月末(だったと記憶しています)、東京新聞の連載で、「母は地震が怖かったので、熊本地震を経験せずに逝けてよかったと思います」と記されていました(私の記憶です)。病床のお母さんを想い、忙しくとも、合間を縫って長崎に帰っておられたとのことです。
テレビでインタビューに応えていた弟さんのことばが印象的でした。「亡くなったときと、精霊流しのとき。長崎の人間は、2回お別れができるから幸せです」(私の記憶です)と。
さださんの弟さん以外にも、初盆を迎える何組かの方々が出ていました。みなさん、大切な方を亡くされたばかりです。
淋しさは消えません。でも、仲間が集まり、目一杯爆竹ならしたり、花火を手に持って歩いたりして、シッカリとお別れを意識しています。人前でも涙をめいっぱい流します。それでいいんです。
葬送の儀式は、亡き人のためではなく、遺された者のためにあるのだなと想いました。
お別れは、出遇い直しです

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(2013年8月15日 お祖母ちゃんの精霊流し)

2016年9月22日 (木)

豪雨

2016年9月22日(木)
秋のお彼岸のお中日ですが、大雨です
西蓮寺は、山門入ってから、墓地の奥に行くにしたがって、かなり下っております。そのため、雨水が墓地の奥に流れ込み、水がたまってしまいます。排水溝を整備してあるのですが、大量に雨が降ると、排水も間に合いません。年に何度か、墓地の後2列ほどの敷石が埋まってしまいます。そのお墓にお参りの方には真に申し訳ありません。西蓮寺では、長靴を用意していますので、敷石が水没している際は、お声がけください。

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2016年9月21日 (水)

ひとつの身体に

2016年9月20日(火)
☁おはようございます☁
台風一過🌀
木々に潤いを与える台風
人々に生きるための水を与える台風
山々を削り、堤防を決壊し、いのちを飲み込む台風
すべて、同じ台風がもたらす

ひとつの身体に、創造と破壊が宿る

台風は私か
私は台風か

2016年9月19日 (月)

西蓮寺コールリンデンご案内

2016年9月19 日(月)
雨の秋彼岸を迎えています

明日(20日)は、12時より「コールリンデン(合唱の会)」です
台風の影響か、雨足が強まってきましたが、予定通り開催致します。
いつお彼岸のお墓参りに行こうか考え中の方、コールリンデンに合わせてお出かけください。一緒に歌いましょう
お昼ご飯も用意してお待ちしています。

(追記)
9月20日(火)コールリンデン開催
雨の中、ご参加いただいた皆様ありがとうございます
楽しく歌い、聞き、食事し、お茶しました
台風にお気を付けください。

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2016年9月17日 (土)

2016年秋のお彼岸

2016年9月17日(土)
秋のお彼岸は19日からですが、
3連休スタートの今日から、お墓参りの方で賑わうことでしょう。
お参りの準備は万端。ご参詣お待ちしています。

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2016年9月16日 (金)

巡り合い

「縁をいただいている」というと、「縁をいただいている」私のことしか思いが至らない。

さまざまな縁が積み重なって、私を私として生かしてくださっている。

縁が積み重なるということは、そこに数えられないほどの(無量の)人が、いのちが、物事が関わっているということ。

「良いご縁をいただいて」というように、“縁”というと“良縁”ばかり想像しがちだけれど、自分にとって都合良いことも、悪いことも、すべてひっくるめて“縁”。

数えられないほどの(無量の)人が、いのちが、物事が関わっているのだから、

物事は巡り巡っていく

良いことも、ときには辛いことも巡ってくる

人は人と出遇っていく

この人に出逢えてよかったという出遇いも、なんで出会ってしまったのだろうという出遇いもある

“縁”とは、個人の身に起こることではなくて、
無量の人・いのち・事柄を巡り巡っていること。
ときに、私を通過する。
巡り巡って私に届き、
私を通してまた巡っていく。

人は、いのちはつながっている。


電話ごしに
父の声にふれた瞬間
僕は自分の
浅はかさを
思い知った

父の声は
ほんとに心配してくれてた
声だった

ぼくは
バカだ

ぐるぐる
ぐるぐる
考えて

―でも
結局
自分のことばっかだ

自分のひとりぼっちに
気をとられ

誰かのひとりぼっちに
気づけないでいた
『3月のライオン』 羽海野チカ


2016年9月13日 (火)

人間は起こることによって傷つけられる以上に、起こることに対する意見によって傷つけられる(モンティーニュ)

2016年9月9日、加藤紘一氏が亡くなられた。
政界を引退され姿を見ることもなかったけれど、訃報をお聞きし、「加藤の乱」と称される政界劇が思い起こされる。

加藤氏の訃報に接し、その「加藤の乱」について、
「あの“加藤の乱”さえなければ、総理大臣を務めていたであろうに」
「あの“加藤の乱”から、加藤さんの総理大臣の道は断たれた」
という記事・故人を知る人の声を多々目にする。

当時の森首相・森内閣に対する不満は、政界内も日本社会も積もり積もっていたように記憶している。
野党が「内閣不信任案」を提出する動きに対し、与党議員でありながら、本会議での賛成票の投票・あるいは欠席を派閥の人間に呼びかけたもの。

誰が正しくて、誰が間違っている。
誰がヒーローで、誰が悪役。
誰が正義で、誰が悪。
何が正しくて何が間違っているのかなんて、そんなことは分からない。どちらの道に進めば、今の日本が、世界が良くなるかなんてことも分からない。
でも、おかしいと思われること・組織・人に対し、何らかの意見を言うことも許されない・叩かれる世の中は、間違っているのではないか。恐ろしい世の中ではないか。

加藤紘一氏に対し、
「加藤の乱さえ起こさなければ、総理になれたのに」

蓮舫氏に対し、
「民進党党首選に立候補さえしなければ、二重国籍問題で叩かれることもなかったのに」

鳥越俊太郎氏に対し、
「都知事選に立候補さえしなければ、昔の女性問題をほじくり返されることもなかったのに」

このような意見(バッシング)は、筋が通らないと思います。何かおかしくないですか? 批判が批判になっていません。
「私は、このように考えています。あなたの主張・意見は、こういう点でおかしいと思います」という批判や意見を言うべきところ、ただの人間否定でしかありません。

(「二重国籍問題」というけれど、日本で国会議員になるためには、衆議院議員であれば「日本国民で満25歳以上であること。参議院議員は満30歳以上であること」だけが要件ですよね。日本国籍を有している蓮舫さんに、何の問題もありません。
厄介な動きをする者に対し、過去のスキャンダルをほじくり出さすのは、よくある話です。しかし、叩いてホコリの出ない人などいるのでしょうか?)

ただ、大きい勢力(マジョリティ)に位置する人間に対しては、「〇〇さえしなければ良かったのに」という声は挙がらないんですよね。
マイノリティに位置付けられる方で、目立った動きをする人に対して、「〇〇さえしなければ、暴露されることも、叩かれることもないのに」という声が挙がる。それって、脅迫であったり、人間否定です。
それがまかり通る世の中は、やがて自らの首を絞めることに繋がります。

森首相の頃は、マスコミも「おかしいのではないか?」ということを記事にしていたと思うのですが、
今はそういう動きも、一部志のある方・組織からしか見えません。

2016年9月 7日 (水)

西蓮寺聞法会

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2016年9月7日(水)
☔おはようございます☔
本日は午後1時30分より、西蓮寺聞法会です。
「歎異抄」第12章を中心に、副住職がお話してます。
毎年9月の会は「暑気払い」と称して軽いお食事会も開いてます。
足元悪いので、お気をつけてお越しください✋

(追記)
西蓮寺聞法会が開催されました。
東京五組の門徒会、現会長 前会長 元会長もご参加くださり、
聞法会ではご質問・ご感想をいただきました。
生涯を通して聞法をされている姿に、感動しました。
暑気払いでは、参加者みんなでお話ししながらお食事(お酒付き)をいただき、
楽しい会になりました。ありがとうございます。

次回は10月12日(水)午後1時30分からです。

2016年9月 5日 (月)

勝ち負けを超えた楽しさが、現場にはある!!

2016年9月5日(月)
おはようございます
暑いですね。湿気も多いので、体力を奪われます。
台風も来ています。皆さまお気をつけください。

昨晩は神宮球場で野球観戦。広島4ー3ヤクルト
これで、昨年からの観戦記録は1勝5敗。
家族は「野球観に行くの? ヤクルト負けちゃうよ(^∀^)」と行って送り出してくれます。
まぁ、ヤクルトと大洋ホエールズが毎年5位争いをしている頃からのファンなので、勝ち負けは気にしていませんが。
それよりも、神宮球場に行くと周りの人と盛り上がれることが楽しいです。昨日も、1塁側(ヤクルト応援側)に座ったにも関わらず、周りの7~8割はカープファン。私の隣もカープファンの団体さん。
でも、広島が点とれば一緒に盛り上がって、ヤクルトが点取れば一緒に東京音頭歌って♪ もしかしたら今シーズンで引退かな?の梵(そよぎ)が代打で出てくれば一緒に応援して、変な一体感がありました。神宮球場の醍醐味!! 
帰り際、「カープ優勝おめでとう(まだマジック4だけど)」「ありがとうございます」と言って握手で別れました。
こんなやりとりが、嬉しいです

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2016年9月 3日 (土)

日本の姿を、見続けてくださっていたのですね ありがとう

2016年9月3日(土)
おはようございます
今日は、ゾウのはな子ちゃんのお別れ会(井の頭動物園)。
子どもたちと一緒にお参りに行きたかったのですが、イレギュラーな仕事が入ってしまいました(T-T)
はな子ちゃん、ありがとう!!

2016年9月 2日 (金)

け む し

2016年9月2日(金)
おはようございます
境内の掃除をしていて、梅の木の下に毛虫の糞がポロポロ。
(毛虫がお嫌いな方、今日はこれ以上読まないでください)
脚立を梅の木に横付けして、毛虫退治用のスプレーをシューーーーーーッ
(殺生しました。申し訳ありません)

しばらくして、毛虫がボトボト落ちてきました!!
少なく見積もって80匹 ( ・_・;)
クネクネクネクネッ
うわうわっ!! こんなにいたとは!!
毎年毛虫がついてはいたのですが、これほどは初めてです・・・

梅の木には、まだ毛虫がいる様子
お寺にお参りにみえた方が梅の木を下を通らないように「通行禁止」の看板を立てて、
植木屋さんにSOSの電話をしました。
う~ん、夢に見そうです。

2016年9月 1日 (木)

2016年9月のことば

北海道・岩手県で浸水被害を受けた皆様にお悔やみ申し上げます。
台風10号接近前の予報では、未知数な点が多く、不気味な台風でした。
実際、関東ではそれほどの被害はありませんでしたが、北海道や岩手県では浸水被害があり、お亡くなりになった方もいらっしゃいます。同じ台風でも、「たいしたことなかったね」という地域もあれば、辛い想いをさせられている地域もあります。ホッとする気持ちと、悲しい気持ちは、同時に起こっているものです。
私のホッとの背景には、辛い想いをしている他者(ひと)がいることを、
悲しい気持ちのそのときに無事な人がいることは、困っている人に手を差し伸べる力を持つ人がいるのだということを、忘れないでいたい。

   

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 子どもを守る者はすべてを守る。
 子どもを守らない者は何ものをも守らない。
                    むのたけじ

お子さま
娘から質問を受けました。
「どうして“子ども”のことを、“お子さま”って言うの?」
少し考えて応えました。
「“おかげさま”ってことばに似ているね。
“おかげさま”って、私たちを生かしてくださっている見えないはたらき、“かげ”なるはたらきに対して、「ありがとうございます」という感謝の気持ちを表わす“お(御)”と“さま(様)”を付けたことばなんだよ。
だから、“お・かげ・さま”って言うんだ。“お子さま”も、“子ども”のことを大切に想うから、“お・子・さま”って呼ぶんじゃない?」
とっさの返事にしてはなかなか良いことを言っているなと自画自賛しているのは私だけで、娘は既に他のことに興味が行って、聞いていませんでした。

考えてみれば、「お父さま」「お母さま」「お祖父さま」「お祖母さま」「お嬢さま」「お代官さま」など、いろいろな「お〇〇さま」があることに気が付きました。でも、それらは敬称としてのことばで、「おかげさま」「お子さま」に関しては、もっと深い意味・広い意味が含まれているように感じます。「あぁ、自分のはからいを超えた力を、今いただいているなぁ」と、こころの底から手が合わさるような感謝の気持ちが湧き起こったからこそ、「おかげさま」「お子さま」ということばとなって表われたように感じます。

むのたけじさん
2016年8月21日 むのたけじさんが還浄されました。101歳でした。
1915年秋田県六郷町生まれ。朝日新聞従軍記者としてインドネシアへ。しかし、戦地からの記事が日本の新聞に載ることはほとんどありませんでした。戦時中、日本の報道機関は、日本の戦況が不利な状況にあることを伝えず、真実を覆い隠した報道をしました。ジャーナリストとしての役割を果たせなかった戦争責任をとる形で、1945年8月15日、敗戦の日に退社。1948年、郷里の横手市で週刊新聞「たいまつ」を創刊。ジャーナリスト活動を続け、著述や講演活動を通して反戦平和を訴え続けられました。

2年前の夏、むのさんの講演を拝聴する機会がありました。息子さんに車イスを押されながら登壇されたのですが、お話が始まると立ち上がり、大きな声で反戦平和を訴えられました。1時間半にわたって、現在の日本・世界に対する危惧や怒り、若者に対して「このような日本にしてしまって申し訳ない」という反省の弁と、新しいエネルギーが湧き起こっていることに対する喜び・感動・期待の声を伝えてくださいました。伝えたい想いがあってこそ、他者(ひと)に伝わるのだということを、その姿を通して 学びました。遺された者が頑張らなければいけません。むのたけじさん、ありがとうございます。

むのさんが、未来を託す子どもを見る眼について語ったことばがあります。
「相手と本気で付き合いたいなら、おなじ目線が必要です。子どもは一人の人格を持った独立した人間とみて付き合い、導くべきです。幼い子もまた人類を構成する大事なひとつのかたまりで、それが人類の根幹である」
(『週刊金曜日』 2016年7月15日号より)

子どもを、大人が育ててあげなければいけない対象として見るのではなく、対等の一人格者としてお付き合いをしなさい、と。今年の7月に発売された週刊誌で語っておられます。101歳になり、経験を重ねた者として上から目線で語るのではなく、幼いいのちもまた、この人類を、地球を構成する根幹であると言い遺されました。
「子どもを守る者はすべてを守る。子どもを守らない者は何ものをも守らない。」(『詞集たいまつⅠ』 評論社)
子どもは、守ってあげる存在ではなく、一人格者として付き合う存在。同じ目線で付き合うことを通して、すべてのいのちが繋がっていること、その根幹に子どもがいることを教えてもらえる。いのちの根っこに「お子さま」がいて、「おかげさま」で生かされています。南無阿弥陀仏

   

掲示板の人形

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白磁の、ライオン・キリン・サルです。
あれ? サルを「おサルさん」と言うことはあるけれど、「おライオンさん」「おキリンさん」ということはありませんね! 何ででしょう? 

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