« どっちがゲットされているのだろうか | トップページ | 2016年8月のことば »

2016年7月30日 (土)

他を責めるのは簡単 自を見つめなければ

2016年7月28日 神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で殺傷事件が起きました。
胸が締め付けられる事件です。事件の被害者・ご家族の皆さまにお悔やみ申し上げます。

私自身、犯人を許せません。許せませんが、どうか以下の文章をお読みください。
殺人事件が起こると、報道は騒ぎ立て、容疑者の身辺をさぐり、関係者のインタビューを試みます。
また、警察や関係施設に不備がなかったか問いただします。
正直言って、怪しい人物に対して、どれだけ警戒しても、事件が起こるときは起こります。警戒外の人物が事件を起こすこともあります。

この手の事件が起きたとき、関係者・施設の不備を叩き、容疑者を糾弾することは簡単です。
でも、そこで留まってしまっては、私たちも客観的に物事を見ているだけ、他人事として事件を見ているだけで終わってしまいます。

容疑者は、「障害者は、その関係者を不幸にする」「施設に入っている障害者のせいで税金が使われる」「障害者がいなくなれば世界は平和になる」など、身勝手なことを語っていたと報道されています。
健常者と障害者などと表現しますが、ハッキリ言って線引きなどできません。にもかかわらず、自分を健常者に位置付け、生涯を持った者を、この世に必要ない者と言い切る。優性思想と言いますが、悲しい思想です。自分が、そんなにすぐれているというのですか?

北海道に「べてるの家」という障害者施設があります。そこに住む方々は、精神障害をかかえています。北海道日高地方特産の日高昆布の通販を始め、いろいろな事業を起こし、生活を成り立たせています。
施設の周辺に住む方々は、施設ができる当初、そのような方々が住んで大丈夫か?と、不安を抱えていたと言います。しかし、障害を抱えながらも、一生懸命に働く彼らの姿を見ているうちに、元気をもらうようになったと語る人もいらっしゃいます。

「犯人を許せない」と言うのは簡単ですが、
そういう私自身は、障害を持つ方々に対して偏見を持っていないでしょうか?
街を歩く中で、ヨロヨロと歩くお年寄り、杖をついて歩く方、白杖を持っている方、車いすの方など、ハンデを抱えている方を、どのような目で見ていますか?
正直に感じるところ、邪魔者扱いしていませんか?(不愉快な想いをされた方、申し訳ありません)
相模原の事件の容疑者が、どのような思想を持っていたのか、現時点では分かりません(報道によるしかありません)。しかし、自分を是におき、ハンデを抱えている方を冷たい目で見ている私はいませんか? 
私は、できる限り優しく接したいと心がけていますが、時間がないときは見て見ぬふりをし、気分が悪いときは、イラッとすることもあります。
そんなことは、ありませんか?(なかったら、すみません)

つまり、意識的であろうがなかろうが、危うい見方をしていることって、誰にでもあると思うのです。
自分の、そんな思想を棚の上に上げて、実際に犯行に及んだ者を攻めることで終わるとすれば、優性思想の連鎖は留まることがありません。

2016年7月27日子宮頸がんワクチンの接種により、全身の痛み等という副作用が現われた方々が、国と製薬会社2社を相手に1人1500万円の損害賠償を求めて東京など4地裁に一斉提訴しました。
副作用による体の痙攣を起こしている幼い女の子の姿を、テレビで放送されているのを見ていると、涙が溢れ、胸が締め付けられます。
製薬会社は「因果関係が認められない(から、私たちは悪くない)」と言い放ちますが、「因果関係が認められない」ということは、「因果関係があるかもしれない」ということでもあります。
福島第一原発の放射能放出による健康被害も、国や東電は「因果関係は認められない」と言いますが、ということは、「因果関係があるかもしれない」ということでもあるのです。そこの可能性をなしにして、自分たちは悪くないと言い放つ。そうしている間にも、どれだけ被害が膨らんでいると想うのですか?

ワクチン接種による副作用(副反応)は、実際に使ってみなければ分からないところではあります。しかし、子宮頸がんワクチン接種者の方が、かなりの確率で体になんらかの反応をしめしているのです。国は、「積極的な接種の呼びかけをやめる」のではなく、接種の中止を判断するべきです。
また、「子宮頸がんワクチンの接種」を訴えて議員になられた方も、被害に遭われた方々に、直に接していただきたいと思います。

チャンネルを変えてしまいたいニュースが続きますが、目を背けてはいけないことと思います。でも、辛いですね。相模原の事件を受け、報道ステーションの小川彩佳アナウンサーが、涙で言葉が出なくなった気持ちが痛いほどに伝わってきます。

誰もが、平和を願っていると思うのです。
でも、それにしては、いのちを見る眼が軽いと思うのです。
相模原の事件を受け、犯人を許せないと思っている方。では、私たちは日頃どのように行動すればいいですか?
ワクチン接種(子宮頸がんワクチンに限りません)によって、副反応が出た方々。つらいですね。事件や事故によって、体にハンデを負った方々がたくさんいらっしゃいます。そのような方々に、私は何ができますか?

まったく関係のないことを言い出してないか?と思われると思いますが、聞いてください。
「許せない気持ち」「気の毒にと思う気持ち」があるのに、どうして日常の生活で、他者(ひと)を想う気持ちが、こんなにも希薄なのでしょう?
トイレを使うときや、境内のトイレ掃除をするときに思います。どうして、後に使う人のことを考えないんだろう?って。自分が用を足せれば、それでいいのですか? 自分がトイレに入った時に、汚かったら、前の人の用足しが流れてなかったら、嫌でしょう? でも、後に使う人のことを考える人って、少ないですよね。
外食するお店のテーブルもそう。食べ散らかしたまんまで帰る人。片付けてくれる人のことを思って、食器をまとめて帰りませんか?
犬の散歩。かわいいワンちゃんが用足ししたとき、そのまんま行ってしまう人。あるいは、バス停や郵便ポストなど、公共のものに、おしっこを引っかけさせる人。本当に自分のワンちゃんが大切なら、用足しするところも、もう少し気を遣うものだと思います。

等々、日常の中で、周りの人々をまったく気にしない生活をしていませんか?
それって、人を人として見ていないという意味において、実際に人を殺める人と、同じ罪だと思います。
同じにするなよ!とお叱りを受けることと思いますが、でも、もっともっとすれ違う人々・周りの人々・大切な人々のことを想うべきです。
その想いの希薄さが、「自分は優れている(あいつは劣っている)」「自分さえ良ければいい」「役に立たない者は、この世に必要ない」という思考・思想に繋がっていくのではないでしょうか。

憎しみの気持ちは捨てきれません。
しかし、自分はどのような生き方をしているか。
そこをシッカリと見なければいけません。
目を背けたいことが多いけれど、目を背けている場合ではありません

« どっちがゲットされているのだろうか | トップページ | 2016年8月のことば »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« どっちがゲットされているのだろうか | トップページ | 2016年8月のことば »

フォト
2019年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ