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2016年7月 1日 (金)

2016年7月のことば

おはようございます
今日から7月ですね。一年の折り返し。早いものです。時間の経ち方に違いはないので、早かったり遅かったりということはないのに、不思議です

西蓮寺の掲示板、7月のことばをお送りします。
草稿段階では、説明っぽい文章になってしまいました。とてもつまらない文章になってしまいました。ボツにしました。
完成原稿は、イメージを膨らませて書いたので、もしかしたら文章の世界に入るのに戸惑われるかもしれません。思い切って文章に飛び込んでみてください

東京は暑い日が続くそうです。おからだお大事に 水もお大事に

   

Dsc_1154

 高原(こうげん)の陸地(ろくじ)には、蓮華(れんげ)を生ぜず。
 卑湿(ひしつ)の淤泥(おでい)に、いまし蓮華を生ず。
                       『維摩経(ゆいまきょう)』

異臭が漂い、ぬかるんだ沼地が行く手を阻む。しかし、ぬかるみに足をとられながらも、一歩一歩、歩みを進めるしかない。
真っ暗闇で視界は悪い。先が見えない歩みだけれど、ぬかるみにもがきつつ、次の一歩を踏み出す。
ほんの少し先すら見通せない暗闇を歩いているけれど、そんな暗闇に、私を照らすほのかな輝きがある。
私ひとりの力には限界がある。人生には、伴走者、共に歩んでくれる朋がいる。
真っ暗闇で視界が悪い中、なにも頼りとせずに歩むことなんてできない。ほのかな灯火(ともしび)が、私を照らしている。
自分の力で生きていると強がっていたけれど、朋の支え、灯火の導きがなければ、歩めぬ私。
朋の存在も、灯火の導きも、つらく苦しい「卑湿の淤泥」に身を置いているからこそ感じられた。
なにひとつ不自由のない、理想の境遇「高原の陸地」に身を置けたならば、私は朋や灯火に気付けるだろうか? 私はどれだけ思い上がっていたことだろう。
明るくて、快適で、温かい境遇に身を置けば、多くの事柄がハッキリと見えて、その境遇に感謝できそうなものだけど、なにも見えない。なにも感じない。
悩み苦しみに覆われ、暗く重々しい境遇に身を置いている私。しかし、その境遇の責任を、他に押しつけたままでは、やはりなにも見えないまま。
私には、共に歩んでくれる朋がいる。私を照らす灯火がある。その気付き、その出遇いが、今まで見えなかったものを、ハッキリと見させてくれる。
身を置く環境に変わりはない。けれど、暗闇の中にありながら、今まで見えなかった光が見えてきた。周りが見えてきた。
その光は、賢くなったから、謙虚になったから、忍耐強くなったから当てられた光ではない。
「卑湿の淤泥」に身を置く私。そんな私を助けたいと願う阿弥陀の慈悲の心が、光として既に、常に、これからも、私に当てられている。
「卑湿の淤泥」の正体は何か? 私の足元をぬかるませ、歩みを阻むものの正体は?
私は、伴走者である朋と、手をつなぎ合いもすれば、傷つけ罵り合いもする。最高の友だからといって、永遠の朋であるとは限らない。
朋との友情は、他者との決別を生み出すこともある。そんないのちを、私は生きている。「卑湿の淤泥」の正体は、外ではなく、内にありました。
そんな私に、親鸞聖人の声が聞こえてきます。
「私は、からだいっぱいに煩悩が満ち溢れています。欲も多く、いかりや腹立ち、そねみやねたむこころがいっぱいです。そんなこころが、一瞬たりとも止むことがありません。そんなこころを、いのち終えるそのときまで、とどまることもなく、消えることもなく、絶えることもなく抱き続ける私です」

これは親鸞聖人の物語。そして、今を生きる私の物語。私たちは泥の中を歩み続ける。そこに蓮の華が咲いている。

   

掲示板の人形
Dsc_0354
子ガエルを背負ったお母さんカエル
吉祥寺コピス内のお店で、一目惚れして買いました。
あっ、子ガエルって、オタマジャクシじゃん!!

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