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2016年6月

2016年6月30日 (木)

GO VOTE 今年も折り返しですね!!

おはようございます
どんよりした天気が続きますが、こんなときこそ、元気だしていきましょう

(今日のひと言)
カラ元気も元気のうち

2016年6月29日 (水)

GO VOTE 「自由と平和のための京大有志の会」様 シェアさせていただきます


(写真は、私がデモに参加したときに撮った写真です。本文と写真とは関係ありません)

わたしたちは、忘れない。
 人びとの声に耳をふさぎ、まともに答弁もせず法案を通した首相の厚顔を。
 戦争に行きたくないと叫ぶ若者を「利己的」と罵った議員の無恥を。
 強行採決も連休を過ぎれば忘れると言い放った官房長官の傲慢を。

わたしたちは、忘れない。
 マスコミを懲らしめる、と恫喝した議員の思い上がりを。
 権力に媚び、おもねるだけの報道人と言論人の醜さを。
 居眠りに耽る議員たちの弛緩を。

わたしたちは、忘れない。
 声を上げた若者たちの美しさを。
 街頭に立ったお年寄りたちの威厳を。
 内部からの告発に踏み切った人びとの勇気を。

わたしたちは、忘れない。
 戦争の体験者が学生のデモに加わっていた姿を。
 路上で、職場で、田んぼで、プラカードを掲げた人びとの決意を。
 聞き届けられない声を、それでも上げつづけてきた人びとの苦しく切ない歴史を。

きょうは、はじまりの日。
 憲法を貶めた法律を葬り去る作業のはじまり。
 賛成票を投じたツケを議員たちが苦々しく噛みしめる日々のはじまり。
 人の生命を軽んじ、人の尊厳を踏みにじる独裁政治の終わりのはじまり。
 自由と平和への願いをさらに深く、さらに広く共有するための、あらゆる試みのはじまり。

わたしたちは、忘れない、あきらめない、屈しない。
自由と平和のための京大有志の会

2016年6月28日 (火)

立場変われば

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雨降りを、鬱陶しく思う人もいれば、
植物にとっては恵みの雨
水不足なら、雨が恋しいけれど、
災害に遭えば、 雨はうらめしい。

雨に変わりはないのだけれど・・・

2016年6月26日 (日)

GO VOTE みんな阿弥陀の浄土(故郷)の住人

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私も含めて、40~50代の仲間で呑んでいて、故郷についての話になったとき・・・

福島出身の友がポツリと言います

「帰る場所なんて、もうないよ

小学校の思い出なんていっても、

そのグランドは、

除染の黒い袋でいっぱいなんだ。

そんなとこ、もう帰れないよ」

重いことばだった・・・

故郷を奪える人間なんて、いない

故郷を奪われていい人間なんて、いない

2016年6月25日 (土)

GO VOTE 今も未来もつながっている

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今朝(2016年6月25日)放送のNHK「とと姉ちゃん」より

歴史ある材木商「青柳」をたたむことを決断した滝子は、孫の常子に語りかけます。
「木材ってのは、今植えたものじゃない。40年、50年前に植えたものが育って、商品になる。だから植えた時は、自分の利益にならないのさ。それでも、40年後に生きる人の事を思って、植えるんだ。次に生きる人の事を考えて、暮らしておくれ」

2016年6月24日 (金)

大谷派の声明(しょうみょう)

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おはようございます

真宗大谷派の声明(しょうみょう)は、調和の声明(和して読む)。
聞かせる声明ではなく、聞き合う声明です。

お坊さんが上手に読んで、それを聞くのではなく、
門徒さんも一緒に「正信偈」をお勤めする。
上手い下手なんてないんです。
みんなで声を出して、他の人の声を聞き合ってお勤めしていれば、自然と調和がとれるのです。

合掌は、手と手をシッカリ ピッタリ合わせるのではなく、
紙が一枚入るくらいの感じで
(実際に紙一枚分離すという厳密な話ではなく)。

親指を立てている人もいますが、
お念珠に触れてください。

「拝む手が とがる世間の 角をとる」

シトシトと やわらかく お念仏を
南無阿弥陀仏

【御礼】
2016年6月22日(水)
真宗大谷派 東京二組寺族研修会にご一緒させていただきました。
ご講師 堀田 護先生(岡崎教区第七組本宗寺住職 全国准堂衆会事務局長)
テーマ 大谷派の法式作法-声明(しょうみょう)作法を中心として-
ありがとうございます

2016年6月23日 (木)

GO VOTE 6月23日 沖縄慰霊の日

6月23日
沖縄戦での、組織的な戦闘が終結した日として、この日が「沖縄慰霊の日」となったそうです。

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【沖縄平和祈念資料館「むすびのことば」】

沖縄戦の実相にふれるたびに
戦争というものは
これほど残忍で これほど汚辱にまみれたものはない
と思うのです

この なまなましい体験の前では
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することは できないはずです

戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか

戦後このかた 私たちは
あらゆる戦争を憎み
平和な島を建設せねば と思いつづけてきました

これが
あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです

2016年6月22日 (水)

死もまた我等なり

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おはようございます
「身内だけの葬儀」「家族葬」「直葬」など、死がますます日常から遠のいています。
とはいえ、「身内だけの葬儀」「家族葬」は、会葬される人数が大体分かっていて、始めから終わりまでいてくださる利点があります。
従来の葬儀では、会葬におみえになる方がたくさんいらっしゃるのはいいけれど、お焼香だけしてさっさと食事の場に行ってしまう。喪主は、遺族は、会葬された方に「ありがとうございます」と頭を下げている。お経(教えのことば)は耳に入らない。葬儀の場って、なんだろう? という忸怩たる想いがずっとあります(もちろん、そのままにせず、いろいろなことを提案・実行してきましたけれど)。

「身内だけの葬儀」「家族葬」では、喪主・遺族・少数の会葬者が始めから終わりまで着座してくださっているので、通夜・葬儀の途中で、「お話をさせていただきます」と、皆さんの方を向いて、じっくりお話させていただいています。慌ただしい中、誰も聞いてない中での読経・法話にはならず、相手の目を見て話すことができます。

が、過日・・・
「死は穢れですか?
亡くなった人は穢れですか?
この場は穢れですか?
そうではありません。だから、塩をまく行為も必要ないんですよ」
ということをお話しした、のだけれど・・・

お帰りになる遺族・会葬者に、
「清め塩は、こちらにございます」と声をかける葬儀屋さん。

あ~ぁ・・・
あなた、葬儀の場にいましたよね! お話、一緒に聞いていましたよね?
話を伝えることの難しさを感じながら、帰路につきました。

若かりし時は、「なにやってんの!」「やめなさい!」なんて、よく葬儀屋さんと大声で言い合いをしましたが、最近は「そんなに亡くなった人を穢れの対象にしたいならどうぞ。でも、会葬後にまくのではなくて、会葬前にまいた方がいいんじゃないですか?」と、つぶやくように言って帰ります。それもいけないのかな。

2016年6月21日 (火)

GO VOTE 自分たちの生活に、いのちに関わることです

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おはようございます
M東京都知事の辞職にともない、「疑惑追及」や「次の都知事選立候補者予想」で報道は賑わっていますが、今、すべきはそこかな? 
「疑惑追及」は、当然為されるのでしょ? 立候補者は、そのうち立候補するのだから、待ってればいいのに、勝手に予想して「出るんですか?」「出ないんですか?」って、本人に聞きに行く。
それ、今、必要?

報道で表に出る、どうでもいいこと。
報道で隠される、大切なこと。
昨日書いた「沖縄県民大会」についてまったく触れない報道機関がある気持ち悪さ。

朝刊に、各党の公約が載っていました。じっくり読み比べましょう。
難しいことだけど、面倒臭いことだけど、載っていない事柄(隠されている事柄)も、感じ取るほどに読まないと、
後になって「国民の信託を受けておりますので」とか言われて、とんでもない事態が起こってしまいます。
起こったときには、取り返しがつかないことになってしまいます。

2016年6月20日 (月)

GO VOTE 2016年6月19日の出来事 7月10日へ向けて!!

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2016年6月19日(日) 午前10時30分~ 有楽町にて
「みんなのための政治を、いま。市民連合+4野党党首有楽町大街宣」

「誰に投票して良いかわからない」「誰も投票したい人がいない」「誰に投票しても、日本は、政治は変わらない」などという声も聞こえますが、投票は大事です。投票率の低い年代に対し、政治家は見向きもしてくれません。だから、比較的投票律の高い年配の方への交付金等が為されるわけです(それがいけないと言っているのではありません)。保育所不足の問題・経済格差の問題をなんとかするべきと思うのであれば、投票率を上げる、政治家に年代を意識させる行動を起こさなければいけません。そのためには、まず投票を!!

2016年6月19日(日) 沖縄県民大会
米軍属女性暴行殺人事件に抗議する「元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、沖縄から海兵隊の撤退を求める県民大会」
被害に遭われた女性・ご家族のことを想うと胸が痛みます。
それとともに、基地の沖縄への負担も申し訳がない気持ちですが、「軍隊を他国に配備すると何が起こるのか!」ということを想います。昨年、安保法案が可決してしまい、日本も、他国に戦地に赴く可能性が出てきました。敵と戦う いのちの緊張状態の中に身を置くと言うことは、そのストレス発散・はけ口を求めることになります。それが、仲間とのいざこざであったり、他国の罪のない人に対して暴行をはたらいたり殺したりという方向に向いてしまいます。つまり、日本人も、戦地に行くと、今回と同じ事件を起こす可能性があるわけです。
今回の事件に対する怒りもありますが、このままでは、日本人も同じことをしでかしてしまう状態に、今、ある!ということを強く感じています。

2016年7月10日(日)参議院議員選挙、投票に行きましょう!!


2016年6月18日 (土)

東京五組同朋会

東京五組同朋会
☀おはようございます☀
本日午後1時30分より
西蓮寺にて
東京五組同朋会始まります。
武田定光先生のお話です。

2016年6月17日 (金)

暑いですね

おはようございます
快晴です
水不足が早くも深刻です。
お水を大切に使いましょう(使わずに済むのなら、使わずに)。

明日午後1時30分より「東京5組同朋会」です
お話:武田定光先生
会場:西蓮寺(世田谷区2-7-1)
会費:500円
ご聴聞お待ちしています。

2016年6月16日 (木)

ありがとうございます

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おはようございます
玄関に生けてあるカーネーションです

一本のお花にも、励まされることがあります

2016年6月 7日 (火)

びっくりポン

電車に乗っていて、隣に座っていた方々(3人)が
「俺、○○のこと嫌いなんだよねぇ。ナルシストだし、利己的だし」
「自己チュウだよね」
「うんうん」
と、あまり耳障りのよくない会話を・・・

背格好からいって、うちの長女と同じくらい。小学校2、3年生くらいの子たちと思われます

少年達よ、人間は誰しもナルちゃんで、利己的で、自己チュウなものだよ! そこから考えてみないか?
と、話しかけてみればよかったなぁ。と、後になって思います。

なんて話しかけたら、
「変なおやじだなぁ」
「うぜぇ」
「消えろ」
なんて言われていたかも・・・

2016年6月 4日 (土)

2016年6月のことば

2016年6月3日、金沢から藤原千佳子先生にご出講いただき、東京教区同朋大会が開催されました。
3名の方から感話をいただきました。それぞれの方が、それぞれの人生を生きる中で、阿弥陀に出遇われて今ある私を語ってくださいました。生きた声がこころに響きました。南無阿弥陀仏
教えを、人との出遇いを悦ばれている先生のお話。大きいホールにもかかわらず、目の前の人ひとり一人に語りかけてくださるようなお話でした。
藤原先生、感話をいただいた皆様、ありがとうございます。
ご参加くださった皆様、影で頑張ってくださった皆様、ありがとうございます。
楽しい大会になりました

   

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こころの強い人なんて、いないんだから!

人は、支え合って生きている
自分で自分のことを強いと思っている人は、自分のやることに間違いはないとも思っている。周りの人間を見下し、聞く耳を持たない。周りに人はいるけれど、孤立している。そのことに、気が付いていない。

自分で自分のことを弱いと思っている人は、どうしても自信が持てない。周りの人の意見や評価を気にしすぎて、振り回されてしまう。周りの人達が羨ましく見えてしまう。他者(ひと)を羨むか、自分より下に見える人間を探して強い人ぶろうとする。

などと、一概に言い切れることではありませんが、 「平等」を良いこととしながらも、自分を優位に位置付けたい気持ちや、「平和」を求めながらも、他者をおとしめようとする姿・雰囲気が、最近気になっています。
強かろうが弱かろうが(当然、強いか弱いかという尺度で人間計れるものではありませんが)、人間、自分一人で生きている訳ではありません。私は、他者と支え合いながら生きています。

自分で自分を認められないのは、 
「ありのままの姿見せるのよ~
  ありのままの自分になるの~♪」
「ナンバーワンにならなくてもいい
  もともと特別なオンリーワン♪」

多くの人が口ずさめるであろうこれらの曲。励まされた人も、大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
でも、このような歌詞が人のこころを打つということの背景を考えると、「ありのままの自分でいることに自信を持てない私がいる」「一生懸命努力して、他者より秀でた者とならなければならないと思っている私がいる(でも、なれない)」という、自分に自信を持てない気持ちや負い目があるのではないでしょうか。つまり、自分で自分を認められない私がいるのです。

 「おかしな奴って、思われてないかな?」
 「変な格好をしているって見られてないかな?」
 「目立ったことをすると嫌われるから、やらない」

なぜ、過剰に他者の目を気にしてしまうのでしょう?ということをよく考えてみると、実は私自身が、他者を見るときに、そんな目で見ているからです。

 「あの人の行動、おかしいよね」
 「なにあの格好」
 「なに目立つことをしてるんだよ。鬱陶しい」

私が、他者を批判的に見ているが故に、他者が自分をどう見ているかが、とても気になるのだと思います。

 他人の欠点が気になるのは、私にも同じところがあるから

こころの強い人なんて、いないんだから!
自分の姿を気にするのは、弱い自分を見せたくないという自己防衛なのかもしれません。しかし、自己防衛のつもりが、自分で自分を苦しめてしまっています。どんなに素晴らしいところを持っている私でも、欠点だらけの私になってしまいます。挙げ句の果てに、自分はこんなにも弱い人間だと、自分で自分を追い詰めてしまいます。「弱い自分が嫌だ」「強くありたい」と願うけれど、安心してください。こころの強い人なんて、いないんだから! 人間は、本来弱いものです。だからこそ、他者の力を借りて、支え合って、朋に生きているんです。

「自殺は、こころが弱い奴がすることだ」
「薬に頼るなんて、こころの弱い奴だ」
など、他者の気持ちも推し量らずに、こころが弱いというレッテルを貼る人がいます。自死や薬物依存に、こころの強弱は関係ありません。
誰もが、縁をいただいて、今まで生きてきました。他者を「弱い奴だ」と思う人、自分を強いと思っている人は、何もかも自分の意志で物事を決定して、人生を歩んできたつもりかもしれません。でも、他者との縁、さまざまな事柄との縁をいただいて、私は私となりました。私ひとりで、私にはなれません。

せっかく人間として生まれてきたのです。人と人との関係を大切にしたいものです。かといって、貴重な縁をいただいて結ばれた関係性も、良好な関係ばかりではありません。つらく悲しい出会いもあります。追い詰められ、普段なら決してしない決断をしてしまうこともあります。特定の誰かではない。誰にも起こり得る現実です。

「ありのままの自分でいい」ことを認めることって、実は勇気のいることです。誰よりも私自身が、「今の私で良いわけがない」と思っているのですから。
「ありのままの自分でいい」って、つまり、「悩んでいる私のままでいい」ということです。でも、そのことに納得できないのも、私自身です。もっと良い人間でありたい、もっと強い人間でありたいという自分の想いは、なかなか拭い去れません。
悩みを抱えたままの私でいい。そんな自覚が、仏法に 耳を傾けるご縁です。今の私のままで、阿弥陀の慈悲のこころに包まれているのですから。

   

掲示板の人形
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