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2016年6月 4日 (土)

2016年6月のことば

2016年6月3日、金沢から藤原千佳子先生にご出講いただき、東京教区同朋大会が開催されました。
3名の方から感話をいただきました。それぞれの方が、それぞれの人生を生きる中で、阿弥陀に出遇われて今ある私を語ってくださいました。生きた声がこころに響きました。南無阿弥陀仏
教えを、人との出遇いを悦ばれている先生のお話。大きいホールにもかかわらず、目の前の人ひとり一人に語りかけてくださるようなお話でした。
藤原先生、感話をいただいた皆様、ありがとうございます。
ご参加くださった皆様、影で頑張ってくださった皆様、ありがとうございます。
楽しい大会になりました

   

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こころの強い人なんて、いないんだから!

人は、支え合って生きている
自分で自分のことを強いと思っている人は、自分のやることに間違いはないとも思っている。周りの人間を見下し、聞く耳を持たない。周りに人はいるけれど、孤立している。そのことに、気が付いていない。

自分で自分のことを弱いと思っている人は、どうしても自信が持てない。周りの人の意見や評価を気にしすぎて、振り回されてしまう。周りの人達が羨ましく見えてしまう。他者(ひと)を羨むか、自分より下に見える人間を探して強い人ぶろうとする。

などと、一概に言い切れることではありませんが、 「平等」を良いこととしながらも、自分を優位に位置付けたい気持ちや、「平和」を求めながらも、他者をおとしめようとする姿・雰囲気が、最近気になっています。
強かろうが弱かろうが(当然、強いか弱いかという尺度で人間計れるものではありませんが)、人間、自分一人で生きている訳ではありません。私は、他者と支え合いながら生きています。

自分で自分を認められないのは、 
「ありのままの姿見せるのよ~
  ありのままの自分になるの~♪」
「ナンバーワンにならなくてもいい
  もともと特別なオンリーワン♪」

多くの人が口ずさめるであろうこれらの曲。励まされた人も、大勢いらっしゃるのではないでしょうか。
でも、このような歌詞が人のこころを打つということの背景を考えると、「ありのままの自分でいることに自信を持てない私がいる」「一生懸命努力して、他者より秀でた者とならなければならないと思っている私がいる(でも、なれない)」という、自分に自信を持てない気持ちや負い目があるのではないでしょうか。つまり、自分で自分を認められない私がいるのです。

 「おかしな奴って、思われてないかな?」
 「変な格好をしているって見られてないかな?」
 「目立ったことをすると嫌われるから、やらない」

なぜ、過剰に他者の目を気にしてしまうのでしょう?ということをよく考えてみると、実は私自身が、他者を見るときに、そんな目で見ているからです。

 「あの人の行動、おかしいよね」
 「なにあの格好」
 「なに目立つことをしてるんだよ。鬱陶しい」

私が、他者を批判的に見ているが故に、他者が自分をどう見ているかが、とても気になるのだと思います。

 他人の欠点が気になるのは、私にも同じところがあるから

こころの強い人なんて、いないんだから!
自分の姿を気にするのは、弱い自分を見せたくないという自己防衛なのかもしれません。しかし、自己防衛のつもりが、自分で自分を苦しめてしまっています。どんなに素晴らしいところを持っている私でも、欠点だらけの私になってしまいます。挙げ句の果てに、自分はこんなにも弱い人間だと、自分で自分を追い詰めてしまいます。「弱い自分が嫌だ」「強くありたい」と願うけれど、安心してください。こころの強い人なんて、いないんだから! 人間は、本来弱いものです。だからこそ、他者の力を借りて、支え合って、朋に生きているんです。

「自殺は、こころが弱い奴がすることだ」
「薬に頼るなんて、こころの弱い奴だ」
など、他者の気持ちも推し量らずに、こころが弱いというレッテルを貼る人がいます。自死や薬物依存に、こころの強弱は関係ありません。
誰もが、縁をいただいて、今まで生きてきました。他者を「弱い奴だ」と思う人、自分を強いと思っている人は、何もかも自分の意志で物事を決定して、人生を歩んできたつもりかもしれません。でも、他者との縁、さまざまな事柄との縁をいただいて、私は私となりました。私ひとりで、私にはなれません。

せっかく人間として生まれてきたのです。人と人との関係を大切にしたいものです。かといって、貴重な縁をいただいて結ばれた関係性も、良好な関係ばかりではありません。つらく悲しい出会いもあります。追い詰められ、普段なら決してしない決断をしてしまうこともあります。特定の誰かではない。誰にも起こり得る現実です。

「ありのままの自分でいい」ことを認めることって、実は勇気のいることです。誰よりも私自身が、「今の私で良いわけがない」と思っているのですから。
「ありのままの自分でいい」って、つまり、「悩んでいる私のままでいい」ということです。でも、そのことに納得できないのも、私自身です。もっと良い人間でありたい、もっと強い人間でありたいという自分の想いは、なかなか拭い去れません。
悩みを抱えたままの私でいい。そんな自覚が、仏法に 耳を傾けるご縁です。今の私のままで、阿弥陀の慈悲のこころに包まれているのですから。

   

掲示板の人形
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