前に生まれた者は後を導き、後に生まれた者は前を訪え
5月15日 あるお寺さまの永代経法要に出講
14日の東京新聞「今週のことば」に、道綽禅師の「前に生まれた者は後を導き、後に生まれた者は前を訪え、連続無窮にして、願わくは休止せざらしめんと欲す」が、中村薫先生(同朋大学特任教授)の文章で紹介されていました。
その文章を、法話中に紹介させていただきました。
最前列で頷かれているおばあちゃん。
何度も出講しているお寺さんなので、ご聴聞されているほとんどの方と顔見知り。なので、予定していた法話を止めて、おばあちゃんに話しかけてみました(対話形式のご法話を試みました)。
「おばあちゃん、いくつになりました?」
「102歳になりました。もう、耳も聞こえなくて、匂いも分からないの」と仰います。
「お話の場に来てくれてありがとうございます 聞こえなくても、毛穴から教えは染みこんでくるって、聞いたことがあります。だから、この場にいてくれるだけで、ありがとうございます」
「ここに書かれていること、ほんとその通りだと思います。ここまで生きてきて思うこと、人間、1に感謝、2に努力、3に我慢だと思います」とお話してくださいました。
本堂内の皆さんも、先輩の話に耳を澄ましてくださっています。
まさに、前に生まれた方のお話を、後に生まれた者が訪ねさせていただきました。
昨年の報恩講にも出講させていただいたのですが、その折りに寺報を配らせていただきました。
そのとき寺報で紹介していたことばは
「できることは減りました ありがとうが増えました」。
そのおばあちゃんは、「前にいただいた ことば が大好きなの。家に貼ってあって、いつでも見られるようにしてるのよ」と話してくださいました。
教え(ことば)は、人を通して、人へと伝わっていくんだなぁと、あらためて感じました。
お話をしに言って、大切なお話をいっぱい聞かせていただきました。
ありがとうございます。南無阿弥陀仏
法話の後は、永代経のご法要
お寺の若さん(11歳でしたっけ?)が出仕されました。40分近い法要を終え、しびれた足で立ち上がり、フラフラと退堂される姿に、かつての自分を見るようでした。キチンと歩けて偉い偉い。私は、1度思い切りすっころんだことがありましたから(自坊永代経法要にて 10歳だったかな?)
お寺から失礼する際、彼がお見送りをしてくれたので、軽く抱きしめて「しびれてるときは、無理して立たなくて大丈夫だからね。しびれがとれてから下がっていいんだからね」と言って別れました。
後を歩むいのちを感じ、頼もしく思いました。
爽やかな気候と相まって、嬉しくなる永代経法要のご縁をいただきました。
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