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2016年1月13日 (水)

心を弘誓の仏地に樹て 念を難思の法海に流す

2016年1月11日 亀有の蓮光寺さま「成人の日法話会」参拝
ご講師 平原晃宗先生 (京都市 正蓮寺住職)

「樹心(じゅしん)」についてお話
慶ばしいかな
心を弘誓の仏地に樹て
念を難思の法海に流す 親鸞聖人

成人の日・・・成長というと、目に見える姿ばかりを気にする。樹木も、幹の太さや葉の生える様子を眺める。けれど、根っこがシッカリしていないと、成長はできないし、困難にぶつかったときに もろい。
見た目の姿ではなくて、足元をしっかりと見ることが大切。

成長の話ばかりではない。
親からの仕送りも、金額ばかり見ていたら愚痴が出る。
仕送りをしてくれる親の気持ちを想えば、親が子を想う気持ち・子への願いがあることに気付く。想いと願いがあり、そこに苦労があるから、仕送りとして表われました。
金額という表面を見るのではない。結果という目に見える所を見るのではない。「因を見る。」 根っこや奥底にある想いや願いが見えてくる。
~心を弘誓の仏地に樹(た)てる~

私は、私の「念(関心)」の中で生きている。
自分の関心でしかものが見えないし、そのことによって、私が私を苦しめている。
「老い」は当然のこと。しかし、受け入れられない。
鷲田清一先生が仰っていました。「老いは、問題ではなく、課題である」と。
当然のことである「老い」を、「問題」として受け止めると、抗いたくなる。アンチエイジングとか。
「老い」が「課題」であると捉えたならば、「課題」は与えられたもの、「課題」は伴いながら生きるものとなる。
どうして今までできたことができなくなるんだろう・・・と考えれば、「あの頃に戻りたい」と想うけれど、今は今できることを尽くせばいい。「老い」を「問題」ではなく、「課題」といただけば、大切なことが見えてくる。
~念を難思の法海に流す~

以上、私の頭の中のノートより

平原晃宗先生は、大学の一年先輩。
10数年ぶりに会いましたが、覚えていてくださって嬉しかったです。
私は、昨年10月に、蓮光寺さまが所属する東京二組C班「いのちのふれあいゼミナール」で、お話をさせていただきました。早くも文章に起してくださり、蓮光寺さまの寺報「あなかしこ」に掲載してくださいました(話を起してくださり、体裁を整え、何度も校正をしてくださった皆様のお気持ちにお礼申し上げます。ありがとうございます)。
その「あなかしこ」を、蓮光寺住職が平原先生にお渡しくださり、先生が目を通されていました。
平原先輩から、「学生時代の雰囲気そのままで、読んでて嬉しゅうなったわ」といって頂き、感謝です。
その後も、渡したばかりの西蓮寺寺報にすぐ目を通して、感想を話してくださいました。
文章を読んで、書いた人(話した人)の想いを感じ取る。「行間を読み取る」と言いますが、先輩はまさしく読み取られているのだなぁと感じました。
久しぶりにお目にかかれて、大切な時間でした。先輩、お仲間に入れてくださった蓮光寺の皆様、ありがとうございます。

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