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2016年1月14日 (木)

陽を海を星を見る者和を愛す

陽を海を星を見る者和を愛す
     ヘルマン・ファンロンパイ(EU前大統領 元ベルギー首相)
          〔2015年12月27日「東京新聞」朝刊より〕

新聞の整理をしていて、あらためて昨年暮れの記事を読み返しています。
「東京新聞」では「平和の俳句」を募集されています。その趣旨に賛同して作品を寄せられたヘルマン・ファンロンパイ氏の俳句が目に留まりました。

ヘルマン・ファンロンパイ氏のメッセージ
「ロシアの文豪ドストエフスキーは『美のみが世界を救う』と言った。俳句も美。人々が美の感受性を高めれば、争いを抑えられると考えたい」

「美の感受性を高めれば、争いを抑えられる」などと言うと、笑う人、罵る人も多いかもしれない。
しかし、太陽の情熱、海に見られる母性、星や月の輝きを見て、心奪われない人はいないのではないだろうか。
「平和」といえば聞こえはいいが、「平和」のために「争う」人が多々いて、「平和」という名の元に「戦争」が起きている。「平和」と「戦争」が同義語になっている哀しみ。
陽を海を星を見る者が感じる「愛」や「美」は、「戦争」と同義語にはならないと信じる。
争う者どうしが見つめる太陽は、海は、星は、まったく同じもの。同じものを見て、美を感じ、愛を感じる。その「美」や「愛」も同じものではないだろうか。同じ気持ちを、感受性を持ったいのちどうしが、どうして傷つけあうのだろう。

ヘルマン・ファンロンパイ氏は、夏の満天の星を見て、「星空から私たちが自然と一体化して調和する感覚を覚えた」と仰います。
「星を見る」というと、 「“わたしが” 星を “見る”」 と、自分を主語にしてしまうけれど、それでは自然と一体化しない。自分以外の他が敵になってしまう。 
「星空から見られている」。わたしも、あなたも、みんな平等に。
私には、「星空」が「阿弥陀さま」に聞こえてきました。

12月27日に読んだはずの新聞。暮れの慌ただしさでごまかしてはいけない。大切なことばに、見逃してはいけないことばに、あらためて出遇うご縁をいただきました。

南無阿弥陀仏

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