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2016年1月 4日 (月)

息づかいを感じる

前回の投稿で、「俯瞰(ふかん)」ということばを使いました。
「高いところから見下ろす」という意味。つまり、視野を広く、全体を見わたす。そして、考える、想像する、ということでしょうか。
「俯瞰」すること、一歩退いて見ることを大切にしていますが、あまり俯瞰ばかりしていると、肝心なところを見落としがちですです。だから、一歩進んで、より近づいて見ることも大切です。
「俯瞰」の視野と、より近づいて見る眼、正反対の見方ですが、両方とも大切にしています。
昨日の投稿を終えた後、2016年の大河ドラマ「真田丸」の脚本家 三谷幸喜さんのコメントに出会いました。

「歴史年表には笑いはないですよね。年表を見て笑える人はよほど感受性の優れた人でしょう。年表のように俯瞰で歴史を見ていては、表情も何も見えないけれど、目線を下げていくとその時代に生きていた人たちの顔が見えてきて、言葉が聞こえきて、息遣いを感じることができる。人間だから泣いたり怒ったりもするし、笑いもしたはず。一生懸命ゆえの滑稽さもある。信繁はもちろんですが、信繁と家族、信繁と関わる武将たち、登場人物一人ひとりを人間らしく描いていきたい」

今年の大河ドラマで、真田幸村の生涯を描かれるわけですが、コメント中にもあるように、「真田幸村」ではなく「真田信繁」と言われています。「真田幸村」の方が耳馴染みがありますが、実は「幸村」とは名乗っていなかったと言われています。史料的には「信繁」だったとか。
三谷さんは、史料には忠実に、そうでない部分は、想像を膨らませて書く、と仰っています。
三谷さんは、コメディのイメージがつきまといますから、「新撰組!」の際も「ふざけすぎだ!」「史実を無視しすぎる!」といったお叱りを受けたそうです。
緊張の走る時代といえど、日常には、個々の人生には、泣きも笑いもあるのが当然で、そこをクローズアップした結果が、お叱りを受ける結果となったのでしょうね。そう想うと、今回も人間味溢れる大河ドラマになるのではないでしょうか。

「歴史年表」を見て(「俯瞰」して)笑えないけれど、
「目線を下げる」と人の顔が見えてくる。
「歴史年表」が不必要という話ではないですよね。広い目線では「年表」を見れば、それ以前に何があってそうなったのか、必然が見えます。その後の結果・流れ・繋がりも見えます。
「目線を下げる」と、ひとり一人の顔が見える。目の前の人、出会ったことのない人、既に亡くなった人とも、より親密に出遇うことができる。

マクロの視点 ミクロの視点 両方を持ち合わせるのは至難の業ですが、今を生きるための眼がより生きてくる気がします。

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