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2015年12月18日 (金)

わたしが為すのではなく、為すところにわたしがいる

道に迷ったときは、基本(根本)に返るべし。
ニーズを感じ取る、ニーズに応えることも大切ですが、何をするために私はこの道を歩んでいるのか、根っこの部分を忘れてはいけない。逆の言い方をすれば、根っこがシッカリしていれば、どのような形でニーズに応えようとも、ぶれることはない。
言うは易し、ですが。

16~17日、某研修会に参加し、思ったことのひとつ。つぶやきです。

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コメント

こんにちは。

ジュディス・バトラー的に言うと、

演じること、より前に、あらかじめ、演技者というものが、存在しない。

伝統的には、たとえば、カント哲学的には、《統制的》ではなくて、《構成的》。

たとえば、あらかじめ、先ず、我、というものが、自立して存在していて、しかるのちに、言語とか、《法》とかの型にはめられて、統制される…のではなくて、たとえば、言語なら言語、ことば、が、主体に対して構成的。

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