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2015年12月27日 (日)

何故ことばを失ったのか

『週刊金曜日』12月18日号 1068号に野坂昭如さんの遺稿が掲載されています。連載「俺の舟唄」22
12月9日にお亡くなりになる2日前、12月7日に編集に入稿されたものです。

かつて枯れ葉は焚火の主な材料だった。道端で焚火する光景は冬の風物詩、冬の季語でもある。今は焚火などやった日にゃ、恐がられるんじゃないか。(中略)今の子どもたちは、はたして童謡の『たき火』という歌を知っているだろうか。

出身地の訛りはいいものだ。耳に心地良い言葉とその抑揚に出会った時など、ふと、ではぼく自身の拠って立つ言葉は何なのか、子どもの頃から漠然と考えてはいた。

日本はあんなに豊かだった言葉遣いが、どんどん貧しくなっていく。美しかった言葉は今やまったくといっていいほどなくなってしまった。今、この国の体裁は整ったように見えるかもしれないが、しかし言葉は失ってしまった。そうか戦後は「黙」なのだ。

ことばを大切にされて生きられた方の、最後のメッセージだなぁと感じました。
当ブログ前回の投稿で、「一言一句を粗末にせず」ということを書きました。
季節を感じて生まれることば、お国訛り・・・ことばは、環境から生まれてきます。
豊かで美しいことばが失われている現代日本。その環境は、いかなるものでしょう。
「美しい国」などと標榜する人から、ことばも、体温も、季節の移ろいを感じるのと同様に他者(ひと)の気持ちを察する気持ちも失われています。

もちろん、他を責めるだけでなく、自身を見つめることばとして突き刺さっています。
野坂昭如さん、ありがとうございます。
たとえ個人のいのちは滅しても、ことばは、想いは死なない。

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